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Web3・AI時代のお金の稼ぎ方  X to earn

2023-03-21 07:08:10 | AI・IT・サイバーセキュリティ・メタバース・NFT・ゲーム、

時代の最先端を素人でも分かり易く説明してくれています。
私もおっさんですが、オッサンは若者に負けずに、時代についていきましょう。

 

 

成田悠輔が提唱する「AI to earn」とは? Web3の新たな稼ぎ方について徹底討論!
https://www.youtube.com/watch?v=KSzpfL8AoDM

 

 

ちなみに、わが日本は、来月(2023年4月)末から、

・デジタル給与解禁、スマトフォン決済アプリ口座も入金可能

・日銀が中央銀行デジタル通貨「デジタル円」の実証実験を、民間企業を交えて開始

・相続人のいない土地、国が引き取り開始(4月27日~)

 

全国のオッサン達、知ってましたか?

 

 

 

 


世界大戦の主原因は石油 メキシコは燃えているか 血と金と女を求めるタンピコ

2023-03-20 03:36:20 | 麻薬・阿片・石油

 

世界大戦の主原因は石油 米国市場に侵入する石油業界のナポレオン、そして日本https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/43f77fe5447587a3dcb8e93115b8c3db
からの続き

 

メキシコの赤い犬

1870年代、南部太平洋鉄道がニューメキシコやアリゾナ州の砂漠地帯を横断して鉄のネットワークを敷いていた時、馬や騾馬(らば)は灼熱のために次から次へと斃(たお)れてまいました。 そこで、シリアから駱駝(らくだ)を輸入して馬に代わらせることとなりましたが、これらラクダ隊と共に、鼻下に髭をはやした皮膚の黒いシリア人の一帯が馭者(ぎょしゃ:馬を扱う者)として米国に渡ってきました。

このシリア人の中の一人は鉄道工事が一段落すると、ラクダを捨ててメキシコに行きました。 彼は土地の夫人を娶(めと)って土着し、大勢の子供が出来ました。 そのなかにプルタルコという名の子供がいました。 プルタコは成長すると、愛国心に燃えるメキシコ人となり、その名も母方の姓をついで、プルタコ・エリアス・カイエスと名乗りました。

カイエスは急進思想を持ち、学校の先生になったり、読書三昧にふけっている間に、トーマス・ペインやカール・マルクスの学説に傾倒し、遂には労働運動のリーダーとなった彼は、米国国境に近いソノラの瘦せ地に住んでいました。 この地方は石油産地でないので、彼もなんら石油に興味も惹かれなかったし、デターディングやロックフェラーやドーニーの手もここまでは伸びてきていませんでした。

しかし、このソニノラの山岳地帯には、銀や銅などの鉱物資源が豊富に埋蔵されていて、外国資本の侵入につれ、幾多の闘争や非惨事が繰り返されていました。 カイエスは若くしてストライキの扇動者となり、メキシコ人労働者の父として活躍し、遂にはグリーン・カネア会社からは仇敵として睨まれるようになりました。

 

マデロがディアス政権打倒の烽火(のろし)を挙げた時、カイエスは革命軍に投じました。 彼はマデロの背後に、英・米のオイルマンの魔手がのびていたことは知らず、自ら陣頭に立って革命軍の指揮に当たりました。

日本で、中国の魔手が伸びている、安倍・高市を、愛国保守と信じ、人の噂に流され、自分の頭で考えれない阿呆達と同じです。

安倍晋三(元首相)暗殺の真相
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5b262c53f6b8da06d2eb53cf6a9a2033

 

武将としてのカイエスの才能は認められ、その官位は驚くべき速さで昇進しました。 そして彼の司令官はその部下の将官が倒れた時、この労働運動出身であるカイエスを将官に任命したのであります。

彼の才能を認めて破格の抜擢を行ったのは、北部メキシコの将軍アルヴァロ・オブれゴン将軍で、以来カイエスはその同志として行動を共にしました。

 

1920年、カイエスとオブレゴンは、カランザ大統領に対しての反旗を翻しました。 カランザは、米国の後援によってメキシコを支配するようになったのですが、彼は決して英・米いずれの味方でもありませんでした。 彼は土地法を改正して、地下資源の国有化を主張したり、土地没収法を制定したり、重税を課したりして、英・米の区別なく、その石油利権に圧迫を加えました。 その点では国家的な革命家ということが出来ましたが、その内政ぶりは暴君的で、農民に対する圧迫は目に余るものがありました。

ここに、北部メキシコを地盤として勢力を張っていたオブレゴン、カイエスの両将軍およびアドルフォ・デ・ラ・ウェルタ(暴君ウェルタとは無関係)という弁護士、この三人はマデロ元大統領の革命的理念を擁護し、土地に対する農民の権利を確認し、メキシコ人のためのメキシコを建設し、労働者を擁護しようとの理念に燃えて、「再擁護革命」の火の手をあげたのです。多くの武将たちはこの計画を熱心に支持しました。

タンピコのデリック(クレーンの一種)から湧き出る石油のおかげで、いつもポケットに札束をうならしている外来人を知っている者も革命に投じてきました。 革命本部では熱心に作戦がめぐらされました。間もなくカランザは亡くなりました。 彼の部下の一人が、不意をついて背後からピストルの弾丸を叩き込んだのです。 かくて三人の革命男は堂々とメキシコ政庁にのりこんでいきました。

 

理想主義者で音楽と美術の愛好家である、眼鏡をかけた小柄な弁護士が新政府の臨時大統領となりました。メキシコ憲法の選挙規定によって、このデ・ラ・ウェルタを臨時大統領に就任させる件はについては、米国の老獪を得ました。 当時、共和党政権を樹立した米国政府は、カランザ前大統領の反対者であれば、石油利権問題も公平に取り扱われるだろうと考えていました。 従って、デ・ラ・ウェルタが退陣して、オブレゴン将軍が大統領になった時も、石油戦線は平和と繁栄に恵まれるものと予想していたのです。

しかし、世界大戦の勃発によって、一時中止した世界石油戦は、大戦の終息とともに再び火の手をあげて燃え始めました。英国とフランスの間には、サン・レモ協定によって近東における油田の分割を行いました。デターディングは宿敵米国に対して、生産、市場、保存の三方面にわたる攻撃を開始しました。彼の前には、既にドイツもなければカランザもありません。 当時、米国を除いて、世界最大の石油生産量を示しつつメキシコがある限り、デターディングは、メキシコの石油を遠慮なく汲み取り、近東地方の石油は将来のために保存してくことができます。 英国政府はこの方針を支持するし、オブレゴンも積極的には反対しませんでした。

オブレゴンは彼の片腕のカイエスの急進的で反資本主義的思想支持すると同時に、石油によって歳入の増加を図ろうとしました。最初の理念はどこにいったのでしょうか? オブレゴンは前大統領カランザの法令を復活し、英・米両国を張り合わせて漁夫の利をしめようとの政策を取り始めました。

その頃、メキシカン・イーグル石油会社の事件を握るカウドレイ卿は、業界から隠退しようとして、その株を売ろうとしました。それより10年前の1911年、スタンダード石油はメキシカン・イーグルの買収を企図してカウドレイ卿の拒絶にあったことがあります。1913年にはデターディングも買収を計画して、やはり同じ運命に陥ったことがあります。

カウドレイ卿が一株につき、3ポンド要求したのに対し、スタンダード石油もロイヤル・ダッチ石油も2ポンド15シリングまでしか出そうとしなかったのです。 メキシカン・イーグルの株は、額面メキシコ金で10ドル、即ち英貨で1ポンド足らずでしたが、数年の間に驚くべき率で値段が上がっていました。 カウドレイ卿が隠退の意思を表示した時、まず米国の石油会社が飛びついてきました。もし、これが米国の手にわたれば英国石油の一大驚異です。当然の結果として、英国政府の手が伸のてきて、っデターディングが乗り出してきました。

デターディングは、一株6ポンドで買うことを申し出て、ここに1919年6月、両者の間に契約が成立しました。 その結果、デターディングのロイヤル・ダッチ石油が150万株、サミュエルのシェル輸送会社が100万株を買うことになり、メキシカン・イーグルは英国(ロスチャイルド財閥)の世界最大トラストである、ロイヤル・ダッチ・シェルの支配下に置かれることとなりました。 米国のメキシコ石油独占の夢は,むなしく挫(くじ)かれてしましました。 

ロックフェラー率いるスタンダード石油は、今まで紹介してきたように、何度もロスチャイルドに煮え湯を飲まされているのです。

 

 

石油に屈伏

オブレゴン大統領の政策は、カランザほどに強硬ではありませんでしたが、依然として1917年の憲法によって、メキシコの存立を毒する外国の干渉から永久に解き放たれることでした。 そして、その政策の第一着手として、石油の輸入関税を60%に釣り上げた時、リオ・グランデの北にある米国には、喧々諤々(けんけんがくがく)の非難の叫びがあがりました。 しかし、英国の立場は有利でした。

カウドレイ卿は予(かね)てからメキシコ系の会社と協力吸うことにより、メキシコ人の間に人気があがりましたが、米国人はこれらメキシコ系会社を頭から馬鹿ににしていました。 こうした有利な外交的利益を利用して、英国は密に大統領と関係をつけ、採掘権の範囲を拡大しようとしました。

しかし、オブレゴン卿も相当な曲者(くせもの)でした。 彼はこれら英国側の密使の口上に身も傾け、好餌をもって外交辞令を用いましたが、彼は最も有利な取引をしようと計算していました。 彼は何よりもお金を必要としていました。さらにウォール街はメキシコの排米政策をけん制するために、数代にわたる前政府の古い借用書を持ち出して清算方法を要求していました。

矢のような催促にたまりかねて、1923年にウォレン・ペイン協定が成立し、ウォール街の要求に対処すべく委員会が設置されることになりました。 こうして、メキシコ大統領にとって最も重要なことですが、オブレゴン将軍はメキシコ大統領として、ワシントンの承認を得ることとなったのです。

その代償として、オブレゴンは従来の革命的理念を投げ出したのです。 もちろん、その戦友だったカイエスの意見も抹殺し、外国石油権益を危機に陥れた、没収(憲法第27条)の強化実行を行わないことも約束させられました。 200条にのぼるメキシコ憲法は、外国の略奪と貪欲からメキシコを守る精神からでたものであり、このためにこそ、内乱が起こり、無用のお金お浪費したにかかわらずです。

これら条款の中には俗語と化したものがありました。 日本でいえば憲法九条のようなものです。

 

 

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日本の阿呆たちが岸信介を愛国保守としていますが、同じA級戦犯だった満州国の盟友・東条英機が絞首刑になるのを横目に、命が惜しくなったのか、鬼畜米英と戦争を煽った岸信介は、GHQに尻尾を振り、巣鴨刑務所から釈放され、日本の首相にまでならせてもらいました。 

そして岸信介政権で日本の軍隊をすべて解体し日本はアメリカの意図通り安全保障をアメリカに依存するようなったのです。 これが、岸政権で締結された日米安全保守条約であります。 

日本の首都である東京周辺には米軍基地がありますが、GHQの日プロパガンダ機関である日本のメディア(TV・CMなど)を牛耳る電通は日本を守ってくれているとプロパガンダし岸さん安倍さんありがとうと信者の阿呆共が言いますが、これは日本が少しでもアメリカに逆らったら、その瞬間に米軍基地から戦闘機がとんできて、また東京を焼け野原にできるということです。 

ちなみに、日本では共和党、およびそのバックロックフェラーが愛国保守で、日本をも守ってくれているとメディア(電通・TV・CM・新聞・雑誌)は宣伝しますが、東京大空襲行ったB-29戦闘機は、ロックフェラー財閥(共和党のバック)の兵器会社・ボーイングでしょうが。 原爆を落としてくれたエノラゲイももボーイングB-29の機名です。ちなみにB-29のBはボーインング。

岸・安倍が憲法改正?、お前が言うなということです。 もt論私は、憲法改正は絶対必要という意見です。 なんで自国の軍隊を解体せねばならんのだ、アホか?

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話を、メキシコの石油に戻します。 メキシコ憲法第33条は不逞外国人の追放処分を規定していしたが、これは一度発動したことがあり、ニューヨーク・タイムズの特派員が追放処分になったことがあります。 そしてタイムズ紙上(NYTimes、Timesどちらもユダヤ系メディア)では、「追放された」という代わりに「第33条された」という表現を用いて有名になりました。

豹変したオレゴン大統領の政策に対して、米国政府は進んで援助していましたが、メキシコ国内には危険な敵手が風雲を望んで機を窺っていました。革命三人男の一人であるデ・ラ・ウェルタは自ら大統領候補候補者を以って任命していました。ウォレン・ペイン協定を締結したも彼ですし、ウォール街の人気も悪くないはずですから、オブレゴン大統領の後を継ぐ者は自分であると信じていました。ことに彼は石油に関しては頑固な排他的考えはもっていませんでした。お金儲けできますから、理念などドk吹く風です。

これに対し、カイエスの思想は違っていました。 彼の思想は急進的で、革命のプログラムを環椎することでした。彼にとってはウォール街の後援もオイルマンの援助もンなんの価値もありませんでした。 彼の背後には自らtr塩にかけた労働団体があり、オブレゴン一派は農民の間に味方を持っていました。

デ・ラ・ウェルタはこうした情勢からみて、オブレゴン将軍下には多数の兵士があり、カイエスの傍らには労働者が控えている限り、大統領の御鉢(おはち)が回って子なる希望のないことを悟り、不満を抱いている大勢の将軍を味方に惹きつけました。米国人のオイルマンの中には強硬ではありませんが、依然として石油保護法の番人であるオブレゴンを倒して、デ・ラ・ウェルタを大統領に擁立すれば、オイルマンにとって不利な法律を廃止するだろうと思っている者がいました。 これらの野心家の後援を得て、デ・ラ・ウェルタは遂に革命の火の手を上げました。

これは、カイエスにとって絶好の機会でした。 彼を支援する労働者たちは、手に銃をとり、革命軍めがけて進軍していきました。 ワシントン政府はオブレゴンを援助する態勢に出たので、米国製の武器はカイエスとオブレゴンン軍隊に流れていき、デ・ラ・ウェルタ軍に対する武器禁止を強化しました。 結果は明らかです。

革命軍は敗れ、デ・ラ・ウェルタは命からがらロサンゼルスに逃れ、ハリウッドの俳優の声楽教師という、極めて平和的な職業を選ぶこととなりました。 カイエスは勝ちました。そしてオブレゴンの後を受けてメキシコ大統領に選出されました。彼の出馬に関してはオイルマンの反対がありましたが、彼は別にその報復を行おうとは思っていませんでした。彼は、元々石油について大した興味をもっていませんでした。 

しかし、彼の目標はもっと急進的で、農民に土地を与え、教会の勢力を圧迫し、労働階級に力を与え、すべての地下資源はそれが、スタンダード石油の名義であろうと、デターディング利権になっていようが、これを国家の所有とすることにあったのです。

 

 

アメリカ vs メキシコ 戦争前夜

カイエスにとっては、メキシコの胎内を蝕む癌は石油ではなく、ソノラ地方の銀であり、ウルアパンの珈琲であり、グアダハラの教会でした。 彼には大掛かりな石油戦についての知識はなかったのです。

その頃、タンピコは混沌(こんとん)たる形相を現していました。 メキシコ湾に臨み、パスコ河を挟んだタンピコには無数の油槽船(タンカー)が入れ替わり立ち替わり出入りして、軍艦・戦車・飛行機・自動車などを動かすための石油を。英国や米国はもちろん世界各地に運んでいました。

赤道下のタンピコ、マラリア菌の媒介者の蚊がうなる沼沢に覆われたタンピコ、そして黄熱病で有名なタンピコ。 ソノタンピコは今や世界の石油業者の戦場と化していました。 そこには娼家、賭博場、酒場が軒を連ねスタンダード石油やメキシカン・イーグル、ドーニー、シェルなどの諸石油会社から支払われる金で繁盛していました。

そしてまた、そこには血と金と女を求める地方軍閥の隊長たちもいました。彼らはもちろん。軍人というよりはギャングと負った方がよい存在だったでしょう。 彼らは金になりさえすれば、米国側にも英国側にもつき、敵方のデリック(クレーンの一種)に火をつけることも平気です。

もし、小さな牧場主が土地を売ることを承知しなかったら、石油会社は隊長に金を渡しさえすれば、よかったのです。彼はピストルによてどうにでも片を付けることが出来ました。こうしたギャングの間に、カイエスの使途たる労働運動者が活躍しました。 彼らは石油労働者の団体をつくり、ストライキや工場閉鎖を敢行し、遊撃隊は暗躍します。

そして、要求が受け入れられなければ、パヌコ河を流れる黒い水に火をつけるという最後の切り札で会社を脅します。もし、これに火をつけられたら最後、炎は河一面に広がるばかりでなく、数マイルにわたる両岸の石油タンクに引火してしまいます。

このような状態なので、各石油会社は金の力で私兵を雇わねばなりませんでした。武器の力なくしてはデリック(クレーンの一種)を守ることも、送油管(パイプライン)を敷くことも、製油所やタンクの安全を守ることもできないのです。外部的情勢のために、石油業が常に不安定な状況に置かれると共に、オイルマンは今のうちにできるだけ沢山汲み取れ都の往診でした。

新しい油田を手に入れると共に、昼夜でデリックが建てられ、たちまち石油が噴出し始めます。もし、この事実が敵側ン知られては、デリックに取り囲まれ、地下の石油を奪い取れられてしまうので、工事は秘密のうちに行われ、警備兵に厳重に監視させ、送油管も秘密裡に敷かれることになります。

かつては、作業中に一命を落としても50ドルの慰謝料で片付けられたインディアンでしたが、今や彼らは労働戦線の戦士です。彼らは組合の力によって、強大なし資本力に抗(あらがう)うことができるようになりました。それと同時に彼らの地位も向上して、技術的にも石油の採掘や製油に立派な腕を発揮できるようにもなってきました。

今まで石油に対して興味を持たなかったカイエス大統領も、これを黙視しておくわけにいかなくなりました。 メキシコの地下から湧き出す石油が英・米の資本家を太らせていることを知っては、これをメキシコ国民のために分配することこそ、最善のことでなければなりません。メキシコ人のためのメキシコ、この理想はまず石油によって樹立されなければならないと考えるようになったのです。

彼の傘下の閣僚、ルイス・モロネスは急進的労働運動者でしたが、タンピコの労働組合が石油会社の私兵のために、次第に圧迫されつつある事実を見ては黙してはおれず、例の27条を発動して、メキシコからドーニー、ロックフェラー及びデターディングを追い払うべくカイエスに意見を申し立てることにしました。 

カイエスは元々これを考えていたので、1925年初め、事実上の協力没収法ともいうべき第27条の発動を宣言して、石油業者を驚かせたのです。 シェフィールド米国大使は慌ててワシントンに帰り、クーリッジ大統領やケロッグ国務長官と対策を熱心に相談しました。その結果、ほとんど最後の通牒というべき強硬な声明が発せられることになりました。

『今や我が政府の政策は、国内強化および秩序ある立憲的発展のためには、圧迫と援助を用いるものであるが、ここに明らかにしておくべきは、我が政府はメキシコ政府が米国人の生命並みに権利を保護し国際的義務と責任を持っている。我々はこれまで忍耐し続けて来たし、強固な政府を樹立するためには時間のかかることも、もちろん承知してきたのであるが、その義務を遂行せず、かつ米国市民を保護s能わざるに至っては、最早黙視することはできない』

このケロッグ声明は、外交史上最もいばっているような語調を持っている文書として有名です。 この強硬声明の前には英国も手が出せず、静観して米国の出方を注視している外はありませんでした。 モロネス初め過激派の面々は、メキシコの体面を傷つけるものとして憤激し、両国間の関係は緊張してきました。

米国の主戦派新聞は、直ちに国交関係を断絶せよと叫び、キューバに戦雲を巻き起こすに成功したことのあるハースト系新聞は、米国軍隊はリオ・グランデを渡って進撃を開始せよと主張しました。 ケロッグは、カイエスの法令をもって没収措置であると非難すると、カイエスは、メキシコ産の酒類の輸入を禁止する米国の禁酒法こそ没収令と同じであると応酬しました。 おたがい譲らず、メキシコ市とワシントンの間に論議が続けられました。

 

 

米国の勝利

その間、メキシコには革命騒ぎが起こりました。カトリック教徒が、寺院の圧迫を目標として制定されたカイエスの寺院報に反対して奮起したのです。 「国王キリスト」と書いた旗の下に、各地にボイコットや一機が勃発しました。 カイエスは米国の感情を刺激するつもりか、ソビエト・ロシアを承認したのです。ボリシェヴィスト(過激派共産主義者)公使はメキシコに乗り込んできて反米宣伝を行います。 彼は米国海兵を相手にまわして戦っているニカラグアの左翼指導者サンディノに武器を送っていました。 米国はこの事実を暴露して反ソ宣伝をぶちまけたのでした。

こうした情勢は、メキシコの革命的将軍を達を刺激し、かつ背後のオイルマンの扇動にのり、遂に革命を計画させるに至ったのです。 その将軍のゴメスとセラノは、1927年反旗革命翻して蜂起しました。 ゴメスはオイルマンの援助を受ける代償として、天下をとった暁には彼らの権利を認め、カイエスの政策を中止することを約束しました。 

しかし暴徒の手に資金や武器が入る暇も与えず、カイエスは圧倒的に反乱軍を撃破し、二人の首謀者を処刑しました。 この勝利にもかかわらず、カイエスは今更ながら、石油の威力を痛感せざるを得ませんでした。カトリック革命大勢の人命だけでなく多額の国兵幣を失いました。 治安回復のために必要な金はどこからくるのでしょうか。 従来、メキシコ国軍の財源となっていたもののうち、石油は重大な役割を愛眼ていました。

それが、第27条や労働運動の影響を受けて、石油生産高は激減の一途をたどり、1921年には1億9300万バレルだったものが、1927年には6400万バレルに低下しました。 従って、石油から上がる税金も4200万ドルから1400万ドルに減少していたのです。

石油の生産高が減れば、それだけ国庫の歳入も減ります。 軍隊を養う資金が減少すれば、革命はいよいよ頻発します。こうしたジレンマに陥って、カイエスじゅうらいの急進政策を訂正すべき必要を痛感せざるを得ませんでした。 一方、米国でも融和論が台頭し、 さらにウォール街方面ではメキシコが債務を履行してくれないので、手ひどい影響を被っていたので、何とかしなければならなくなっていました。

経済界の意見に敏感なワシントンは、対メキシコ強硬派の張本人であるシェフィールド駐メキシコ大使を罷免し、後任としてモルガン財団のドワイト・モローを送りました。この人は温和派の外交官で、米国空の英雄リンドバーグ夫人の父に当たる人です。ロンドバーグの政治思想は、この人物の影響を受けていつことは、次の欧州戦争に関する意見によっても明らかです。

モローは、米国人に好かれるタイプの米国人でした。前大使シェフィールドは大使館に構え、政庁に足を運んだこともないという人でしたが、モローは毎日のようにカイエス大統領を訪れて懇談を交わしました。カイエスはこのウォール街の立役者が非常に穏健で物分かりの良い人物である事発見して、好意を抱くようになりました。

モローはメキシコの美術、文学っや考古学に興味を持ち、さらにメキシコの治安に関心を抱いていることもカイエスを惹き付けずにはおきませんでした。

モローの方でも、カイエスが従来いわれているようなマルキシズムを振り回すボリシェヴィスト(過激派共産主義者)ではなく、立派な政治家であることを発見しました。 そして、その頃のカイエスは急進政策の行方について自ら迷い、石油戦を続けていくことが、自分の地位を危うくするものであるとの現実問題に直面していました。

お互いの好意が交流して、カイエスとモローは個人的に結ばれました。それがメ モローのキシコの政治面に影響を与えない筈がありません。 モローが赴任して間もなくソビエト公使館の鎧戸は閉ざされ,公使(大使館のNo.2)はメキシコを去ってしまいました。 メキシコ政府とスタンダード石油会社との間には了解ができ、憲法第27条の発動は事実上停止されました。

モローの努力によって、アメリカとメキシコの関係は再び円滑に行くようになりました。彼はメキシコ圏内の各種博愛事業や公共事業に貢献するところが少なくありませんでした。 親善大使としてリンドバーグ大佐をメキシコ市呼んだのも彼であるし、漫談家ウィル・ロジャ-スを呼んでカイエスを大笑いさせたのも彼でした。モローの温和策が遂にメキシコを屈服させたのです。

デターディングはメキシコ戦線に於いて敗れました。メキシコは最早ドーニーとロックフェラーのために堅固な城砦を築かれてしまいました。 彼は鉄壁のようなメキシコ石油戦線を守る米国を敵に回して、いたずらに闘争する愚はしませんでした。更に新たな油田を求めて、カリブ海を南下していったのです。そして、彼は米国人を驚愕させる勝利を得ることになります。

 

残された課題

マルキシズムの使徒であったカイエスは、遂に石油の前に方針を曲げなければなりませんでした。 石器問題が彼の急進政策を修正し、停止を余儀なくされました。メキシコにとって、石油は歳入になくてはならない財源です。

彼は石油大使モローの前に屈服し、自ら看板を保守主義に塗り変えざるを得ませんでした。 20年に渡る内乱のために疲弊したメキシコを再建するためには、どうしてもウォール街の機嫌を伺い、貴重な資金を貸してもらわなければなりません。カイエスはこれに成功しました。

それと共に、彼自身も財産を獲得しました。 農場、工場、そして債権が、このラクダ御者の息子の懐をあたためるようになりました。 こうして、功成り、名を遂げ、更に富豪となったカイエスは、その革命的政策を撤回してしまいました。

彼は政治の第一線から退き、大統領の席をカルデナに譲りました。 しかし、事実上メキシコを支配する独裁者でもありました。 大統領もその傘下の閣僚もすべてかれの部下でした。 メキシコには平和な春が訪れました。一時はメキシコの石油をめぐりカリブ海を舞台とする英・米戦争さへ予想されました。

石油問題は巧妙な外交措置によって平定し、メキシコに於ける米国石油資本は圧倒的勝利を得たのです。 しかし、メキシコ憲法は以前として存在しており、その第27条は石油権益を睨みつけており、メキシコ国内の急進派を嘲笑しています。 もし、、メキシコ石油がデターディングにとって重要となれば、またしても血みどろな石油戦を展開する危険性は多分にあります。

カイエスの後を受けたカルデナス大統領は、最初のうちこそカイエスのロボットとして甘んじていました。 しかしカルデナス大統領の強調する庶民階級の地位向上は、必然的に労働争議の風潮をなじませ、ゼネラル・ストライキの危険再燃することになり、財界はもちろん、一般庶民にも怨嗟(恨みを抱くこと)の声が高まってきました。

新大統領もカイエスの若き日と同じく急進派の闘志でした。今は資本家の位置にあるカイエスはカルデナスの政策を危険視するようになっていました。そこで声明書を発して、過激な労働運動指導を非難しました。こうして、両将軍の関係は隔たりが生じましたが、意外にも地方官憲や公私団体は現大統領を支持し、激励の電報は二日間に八千通に達する有様です。

ここにカイエスは、政治に干渉する意図を捨て、余生を安らかに過ごすべく、シナロア州の別荘に引揚げました。カルデナス大統領はカイエスの息のかかった内閣を更迭すべく、メキシコ政治史上未曽有のことではありますが、全閣僚に対して辞表の提出を求めました。 そして、カイエス派を一人残らず追い払った新内閣が成立しました。

カイエスとカルデナスの関係は日に日に悪化し、2936年4月、カルデナス大統領はカイエス将軍および側近5名を捕え、国内情勢その滞在を許さざるものありとの理由で、彼らを飛行機に押し込めて米国国境に追放しました。 


カルデナス大統領は遠慮なく自分の政策を実行に移し始めました。彼もまた代々の大統領がそれを望んでいながら遂に成功することが出来なかった憲法第27条の発動を決心しました。そして、1937年3月、この石油法によって英・米・蘭石油財産の没収を宣言しました。

またしてもイギリスーメキシコ間の関係は悪化しました。しかし、自己の勢力圏における国際紛争を望まないアメリカは、幾度か平和裡にこの問題の解決点を見出そうとしました。 カルデナス大統領はメキシコ石油業界から断固として外国資本を追い出し、国民を石油によって潤そうとしたのです。

しかし、同国に最も経済的勢力を持っている米国としては、メキシコ石油から敗退することは、すべての産業界から手を引くことになるので、容易に第27条を承認するわけがありません。 たずらに紛争を重ねつつ、カルデナスの任期は過ぎ、1940年12月、(ちなみに日本軍による真珠湾攻撃は1941年12月8日)、マヌエル・アヴィラ・カマチョ将軍が新たにメキシコ大統領の椅子につきました。 米国からどんな工作があったのかは知りません。

彼はカルデナスと同じ国民革命党に属していますが、右派であることはその就任演説によって窺うことが出来ます。カマチョ大統領は『汎米連帯の政策に伴い、外敵の侵略に対する南北アメリカ大陸の国々との共同防衛に賛成する』とし、カルデナス前大統領の没収法の発動緩和を暗示しています。

世界情勢の緊迫は、メキシコが過去数十年間戦い続けた外国資本、とくに米国資本からの離脱はなくなりました。 しかし、彼らメキシコ人の血には、米国の黄金の鎖から解き離たれたい希望があります。 メキシコ経済が低迷し、中露の甘いささやきがあれば、一時はアメリカの圧迫によって鳴りをしずめても、いつの日か再びメキシコの石油は燃え上がる事でしょう。 日本はどうする。

次の投稿に続く

 

 

(参考 本件、今までの投稿)

 

世界大戦の主原因は石油 米国市場に侵入する石油業界のナポレオン、そして日https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/43f77fe5447587a3dcb8e93115b8c3db
世界大戦の主原因は石油 サン・レモ協定、米国の危機
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4c30b30442f48694cf4c907373148457
世界大戦の主原因は石油  英米 vs ソ連(ロシア)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/716c20c7e9b5f6da55384c38513cc0cd
第一次世界大戦の主原因は石油 死の商人ザハロフ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6b5f8da6b280295600c593cd8ed50141
第一次世界大戦 本当の主原因は石油
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d703a4b6c6cf41438a0dd8907308e261
日本市場でのロイヤル・ダッチ・シェル vs スタンダード石油 販売戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f9b0c8415ececd8eb83f86f3c2271c80
極東における血みどろの石油販売戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f22623351b78925c3350ffb60ea56de9
ロックフェラーを倒したロイヤル・ダッチ・シェル(デターディング・サミュエル連合)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f8dee26c06fec6a31193a3eee46ad2c9
石油業界のナポレオンと英国のユダヤ人、マーカス・サミュエル   https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7addcc3b4d7d47626e3ddf56898b30ec
独ガソリン・ディーゼルエンジンと仏プジョー、そしてロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e16baece0ccf5acec5e58e26f8bdcd04
ロックフェラーより早かった日本の石油商用化
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7bf2a45203a4f71982dfdf7e53dd2c02
石油の発見と利用の人類史
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b555050c36935ad6e972408f0bae2c6b

 

 

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哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6
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ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec
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世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
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Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8
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名勝負 【前田日明 vs アレキサンダーカレリン❗"格闘王" 前田日明 引退試合

2023-03-19 17:32:27 | スポーツ・格闘技

 

 

素晴らしい試合でした。 

オリンピック金メダリスト・カレリンの強さが際立っていました。

 

【前田日明 vs アレキサンダーカレリン❗"格闘王" 前田日明 引退試合❗※ニュースステーションのスポーツコーナーより❗】’99 2.21 

https://www.youtube.com/watch?v=pAWIBPWUxrs


【前田日明引退試合】前田日明VSアレキサンダー・カレリン ※前田日明の解説あり

https://www.youtube.com/watch?v=VobaYV7mm5U


元祖『霊長類最強の男』カレリン の凄まじい伝説を漫画にした。 (13年間無敗の男)

https://www.youtube.com/watch?v=Hp-uaigwbRY

 


世界大戦の主原因は石油 米国市場に侵入する石油業界のナポレオン、そして日本

2023-03-19 00:57:32 | 麻薬・阿片・石油

世界大戦の主原因は石油 サン・レモ協定、米国の危機
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4c30b30442f48694cf4c907373148457
からの続き

 

石油業下のナポレオン、デターディングの米国市場侵入

既に紹介したよ、英国の石油政策は自分のものは貯えておいて、他人のものは汲み出す作戦でした。サン・レモ協定にも明らかのように、フランス勢力圏内の石油を自分の支配下に置こうとする企みは、条文の節々に見られるし、メキシコ石油戦もその老獪な政策の現われであったと言えます。

英国石油業界を代表するデターディングは、大胆不敵にもロックフェラーの牙城である米国侵入を企みました。 ちょうど、スタンダード石油帝国が反トラスト法の裁きを受けて崩壊した時、デターディングは「石油業界のナポレオン」の名に背向かず、米国内の石油地帯に支店を設けることに成功しました。

すなわち、1914年、彼はカリフォルニア州のコーリンガ油田を買収しました。 彼はこの新会社にロイヤル・ダッチ臭のある名前を付けず、カリフォルニア油田会社としたのです。 そんため、この会社の正体が広汎な英国石油トラストに属しているとは、一般に気づかれませんでした。

ついで、米国石油産地の心臓部に進撃し、オクラホマ州ロクザナ石油会社が生まれ、デターディングの最大の小会社となります。それまでは名もなかったオクラホマの中心部に忽然(こつぜん)としてロクザナ石油都市ができ、そっくり英国石油王国の植民地の景観を呈するに至りました。

米個人労働者のヤンキー式の騒ぎ、そして消費者も米国人、しkしこれを支配するのは英国資本であり、監督に当たるのも英国人、さらに金を設けるのも英国人でした。

1915年になると 、堂々とシェルを名乗ってカリフォルニア州シェル社団が設立されました。 その生産額は最初500万バレルで、米国産額のわずかに2%に過ぎませんでした。 まさにほとんど無視できるほどのものでしたが、デターディングの攻勢は辛辣になってきます。

彼は米国資本によって、米国自身の石油を攻撃しようとの老獪な作戦を立てました。この作戦によって、米国の最大財団モルガンの敵であるクーン・ローブ商会を抱き込んで、シンジケートを組織させました。

 

*************************

ここで、モルガン財閥、ロックフェラー財閥、クーン・ローブ財閥、ロスチャイルド財閥の関係を簡単に紹介しておきます。

米国政財界を支配しているのはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)のロックフェラー財閥とモルガン財閥です。そしてロスチャイルド財閥とクーン・ローブ財閥は、ユダヤ系で、クーン・ローブのジェイコブ・シフは、ロスチャイルド家と同じくフランクフルトのゲットー出身で、親戚関係に当たります。

クーン・ローブ財閥は、日本では日露戦争の時、お金を貸してくれたくらいでしか有名ではありませんが、アメリカを代表する大銀行で、ロックフェラーの顧問、さらに資金融資で、ロックフェラー財閥を育てた財閥です。 

欧州のロスチャイルドはアメリカ市場参入を企てるも、当時メリカではユダヤ人差別があり、参入できなかったので、英国ウェールズ出身の敬虔なプロテスタントのモルガンを、アメリカでの代理人としてロスチャイルドはアメリカ市場に参入しました。だからモルガン一族は巨大財閥になれたのであり、最盛期は、GE、GM、ATT、USスチール、カーネギー、NY鉄道などを金融支配し、アメリカの陰の政府とまで言われていました。

 

だから、国際金融財閥の序列は、今でも以下の通り。
ロスチャイルド > クーン・ローブ > ロックフェラー > モルガンです。

ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af41696ec05203f68b46d63b897e9b3d

 

また、2013年(平成25年)11月7日(木) 18:00-赤坂にあるANAインターコンチネンタル東京ホテルの37階(アリエス ⅠⅡ)で、ロスチャイルド・ジャパンのアレクサンドル・ド・ロスチャイルド会長(当時、日本ロスチャイルド社長に就任を機会として)を交えての、プライベートな会合がありました。政治家・メディアは呼ばれていないので、一切の報道はありません。

そこで配布された資料には、ロスチャイルド家の全総資産約500兆円で、ほかに傘下に、Mediaでは、英国新聞タイムズ、ザ・サン(Sun)、ロイター通信、ABC、CBS、NBCのアメリカ3大TV Network、ロイヤル・ダッチ・シェル石油、BP(英国石油)、デビアス(ダイヤモンド鉱物株式会社=独占)、リオ・チント・ジンク(金・ウラン)、ロッキード、AT&T、ネッスル(Cofee)、フィリップ・モリス(タバコ独占)、ブルック・ボンド(紅茶)、デュポン、コカ・コーラ、ソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックス、米国FRB(米国連邦準備銀行:日本の日銀のような公的機関でない)、ウェストミンスター銀行、フランス銀行、パリ国立銀行、イングランド銀行、香港上海銀行(HSBC)、アラブ投資銀行、ウォルト・ディズニー、リーマン・ブラザーズ、クレディ・スイス、映画産業ハリウッドも傘下。  とあり、本で読んだのとほぼ同じだと思いました。

 

ロスチャイルド財閥-196  ロスチャイルド7代目当主 Alexandre de Rothschild 
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eb9df5eb208317312b0a1bf276cdbde2
ロスチャイルド財閥ー197  Bloomberg ロスチャイルド、7代目の後継者が就任へ-5月に最高幹部交代
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/22264fa7af5870581605b9e01f2cd1f7

 

ロスチャイルド家の金融資産は、現在、3Group構成で、
1. Edmond de Rothschild Group(本拠地スイス総資産 140億スイスフラン)
2.The Rothschild Group(本拠地ロンドン 総資産100億ユーロ)
3.RIT(Rothschild Investment Trust)Capital partners(本拠地ロンドン 総資産22億ポンド)

現在、ロスチャイルド家の代表は1,2,3組織の2系に位置づけられ、第7代目の後継者が、Alexandre de Rothschild(アレキサンンドル・ド・ロスチャイルド、略称Alex.Rothschild)との事です。 

1940年代、アメリカ議会の調査報告によると、ロスチャイルドは、アメリカの富の約2倍、世界の富を半分を支配していたとされていますが、本当にすごい一族です。 まあ、本当はケイマン諸島などのタックスヘイブンを使って、マネーロンダリングし、資産隠しをしているでしょうけど。

そして、今日、世界の金融業界でのニ大投資銀行は、①ユダヤ系のゴールドマン・サックス(ロスチャイルド系)と ②モルガン・スタンレー(モルガン系)です。

*************************

 

 

本題に戻ります。

デターディングは、米国資本によって米国自身の石油を攻撃しようと老獪な作戦を立てました。この作戦によって、米国最大財団モルガンの敵のクーン・ローブ紹介を抱き込んで、シンジケートを組織させる。 それはロイヤル・ダッチ・シェルの株を買い込み、これを確保しておいて、更に多額の「米国人相手」の株式を売りに出しました。

米国石油人(オイルマン)は不平を言うし、世間も騒ぎましたが、米国投資家は貪欲にもぉれに食いついてきました。 こうして、デターディングは米国の金によって、対米攻勢を拡大していくことができたのです。

彼の胃袋はますますぐくれていき、ロクザナ石油会社はオクラホマ州の群小油田を片っ端から自分の勢力下に取り込んでいきました。カリフォルニア州の会社も次第に発展し、一時はその石油生産額は倍増し、州内で第二位を占めるようになったのです。


デターディングの英国国家はやがて米国各州に翻るようになりました。 ニュー・オリンズ、ウッド・リバー、イースト・シカゴ、セント・ルイス、カリフォルニア及びウィルミントンの各地に製油所が創立されました。

英国資本最初の送油管(パイプライン)が、オクラホマ州の油田からセント・ルイスまで敷設されました。 ついで、シェル経営の送油線管(パイプライン)が蜘蛛の巣のように中西部地方に張り巡らされ、遂にはシカゴまで延びて、油槽船(タンカー)によって、カナダや海外に石油が輸送できるようになりました。

仮フォルニア州にもデターディングの送油管(パイプライン)が敷かれたのは、もちろんの事です。 貯油庫が米国各港に建設され、多くの油槽船(タンカー)が購入されました。これらの油槽船(タンカー)は続々と米国石油を国外に積み出し、海外における従来の米国石油と競争する役目を持っていました。

カリブ海のオランダ領キュラソー島には、デターディングの大製油所が建てられました。 作戦的に見て、この島はパナマ運河往復の重要航路線上にあったっています。 かかる施設は、米国のシェル石油を支配する上に必要なもので、その生産額は飛躍的に増大していき、1921年とその翌年の生産数字を比較すると、二倍以上にはねあがっています。

ロスチャイルドがバックにいる、デターディングのこの攻勢には何ら非合法なところはありませんでした。 いかに米国の反トラスト法を不利かあしてみたところで、この世界最大のトラストの米国侵入を防ぎとめることはできません。 注意深い法律顧問をおき、反トラスト法に触れないような作戦をめぐらしさへすれば、散り散りばらばらに刻まれた米国諸会社の間に入って、油田の開発に従事することができるのです。

反トラスト法には、外国カルテルや支社を禁止する法文は見当たりません。デターディング資本はこの地で、公然と従属会社を経営していくことができました。 それどころか、これらの会社はシャーマン法の庇護をうけており、かつ国外の大トラストを背後に控えているという状態でした。 こうして、デターディングはスタンダード石油を小間切れのように切り刻んだ法理の隙間に食い入ってくることができたのです。

 

石油界のナポレオンは実に懸命な手を打ちました。 米国資本の競争社会は足並みをそろえて互いに助け合って。これに対抗できなくなっていたために、あるいは敗北して倒れ、あるいは激化する競争に混乱をきたすという有様です。英国石油トラストの在米従属会社のあげる利潤は怒涛の如く米国外へ流れていき、海外市場における軍資金となり、英国の株主を微笑ませる結果となりました。

英国は自己の勢力圏内の土地を傷つけることなく、石油業界に確固たる地位を占めることができたのです。 デターディングの政策は、エドウィン・マッケイ・エドガーが希望的に予言したように、米国が英国から石油を買わなければならない日を近づけれいるかのように思われました。

 

 

 

あえぐ米国石油

このようにデターディングの美国に於ける横暴を助成したものは何か? それは反トラスト法でした。この法律は、結局『米国人を制限して、外国人を歓迎する』といことになったのです。

今や米国国民もこの恐るべき英国禍を警戒せざるを得なくなったのです。 しかし、スタンダード石油に対する反感は一夜にしてくつがえるものでありません。 それに再び石油企業が合同して、生産を抑制して価格を吊り上げるような、さきに第大スタンダード石その油・トラストが執ったような手口をやられては、一般消費者も黙ってはいられません。 かつ、今まで無制限に発達してきた石油企業は、いかに国内石油の枯渇の危険が近づいたからと言って、一朝一夕に制限することもできそうにありません。

米国における石油資源の問題は差し迫ったか後なってきました。 いうまでもなく、石油は液体であり、地下を流れています。その地帯の真ん中にいる地主が地中を掘れば、そこから噴出する石油は隣接地帯の石油も汲み出します。従って、一つの油井があれば、その周囲にデリック(クレーンの一種)が築かれ、競争的に石油はくみ上げられてしまいます。

反トラスト法の制定によって、こういった自由競争が助長されました。 この問題の根本に遡ると、土地の所有者はその土地の地上権と共に地下権をも持っているという米国の法律が禍いすることになってきたのです。

従来のように、個人の利益のみを尊重した法律が、国策運営上の障害となっているのを自覚し、米国政府は対策を講じなければならなくなりました。 そのためには、反トラスト法に触れるところがあっても仕方ないのです。 1924年、連邦石油保存委員会が組織され、石油起業家が互いに共同戦線を張るべき機運をつくりましたが、これは米国土における外敵は計算に入れていませんでした。

カリフォルニア州のヴェンチュラ油田では、数社の石油会社が申し合わせて、その油田を一部分閉鎖することにしました。 協定によって、従来の1/4の量を節約することに決定しました。これらの会社の中に、カリフォルニア州シェル会社も一枚加わっていましたが、同業者間の協定を尊重して一部の油井を閉鎖しました。 

他州に先駆けたこの措置は、来るべき石油保存問題の洗例となるので、識者の注目するところになっていました。 しかし、生産制限実施後、数ケ月して、シェル会社は他社が全力を挙げて石油採取を再び開始しつつある事実を発見しました。彼らはヴェンチュラの石油をシェルに分けるのを望まなかったのです。 ここに1/4生産制限の協定は破れて、再び競争状態に入ってしまいました。

 

 

 

シグナル・ヒル事件

シグナル・ヒルは南部カリフォルニアのロングビーチに臨んだ丘で、全面美太平洋を望む景勝の地でした。週末の旅行地として新たに開けつつある土地でした。 このシグナル・ヒルを一望の中に収める位置に、米国系の石油会社が油井を持っていました。この会社に属する地質学者は、窓の外に眺めるシグナル・ヒルをただの別荘地として見ており、その下に石油が眠っていることに気づきませんでした。

シェr会社はそれに気が付き、試掘してみるとおびただしい湧出量でした。 別荘地はたちまち、油田と化しました。バンガローを建てるために買った土地は鰻上りにはねあがり、へそくりで買った小地主は財産持ちに、そして石油業者が買い煽ったために,地価は青天井。 

こうした競争の間に、シェル会社が700エーカーの土地を買収すれば、他社も広大な範囲に権利を獲得。バンガローは片っ端から取払われて、デリック(クレーンの一種)が林立しました。一時は驚異的な数字を出した石油生産額も、間もなく衰退の一途トたづるようになったのは、こうした競争によるものです。 こうしたデターディングの攻勢は、米国政府の悩みの種でした。上院のフェラン議員は次のように指摘しています。

 

『英国は世界の石油の1/2を所有し、1/4を生産をしているが、合衆国は1/6を領有し、3/4を生産している。 このままいけば、英国は18年間に消費される米国資源を、どうにかして減少させようとしているのである』

 

このような懸念を排除するために、1920年の一般借地法によって、連邦政府は国内の石油会社に対し、その株主の中に米国人市民意外の者を加えてはいけないということを強制する権限を得ました。 その結果、カリフォルニア州に於けるシェル関係の会社は、その株主が米国人であることを証明する文書を提出するよう要求されたのです。 これは明らかにデターディングに対する反撃でした。

 

 

ティポット・ドーム事件

ハーディング大統領下の内務長官フォールは、「スタンダード石油派勢力得ねばならぬ」とのスローガンの信奉者で、露骨にデターディングに挑戦しました。 その一例として、デターディングがオクラホマ州のオーセイジに借地権を得ようと長い出てきたとき、その土地は政府保護下の土地であるから、米国人以外に貸与することは出来ないとの理由で拒絶しています。

しかし、フォール内務長官は有名なティポット・ドーム疑惑事件に連座して失脚することとなりました。スタンダード石油やその他国内石油会社の忠実な番犬は、尾を巻いて大さんしなければならなくなったのであります。 米国海軍は将来戦に備えて国内の石油源を海軍用として保存しておくため、1909年、三油田地方を海軍保存油田に指定し、開削を禁止しました。 第一号地はカリフォルニア州エレク・ヒル、第二号地は同州のブエナ・ヴィスタ、第三号地はワイオミング州ティポット・ドームであります。

しかし、これらの保存油田も隣接地帯の採掘に禍されて、枯渇の恐れが増大してきたので、1920年には海軍長官の権限を拡大し、隣接地他の開削についても制限を加えることができるようにしたのであります。 しかし、フォールが内務長官に就任して後、その政策は一変しました。

更に軍縮会議開催直前の1921年に、海軍首脳部会議の席上、来るべき対日戦を予想する場合、ハワイの真珠湾その他の作戦基地に燃料庫を建設して、いつでも必要に答えるだけの石油を充たしておくべき意見が出ました。これはフォールと思うところと同じであったので、彼は海軍保存油田を民間会社に開発させ、これにより上がった利益金によって石油タンクを建設し、かつこれらのタンクにセキユを充填させることとしました。 かかる権限は海軍長官に属していますが、申し合わせによって、この権限を内務長官が自由に駆使したのであります。

こうして、1922年4月、フォールは密かにマンモス石油会社のハリー・インクレアに対して、海軍保存油田第sン号ティポット・ドームの借地権を与えました。

ついで、同年12月には、パン・アメリカンのエドワード・ドーニーに権利を与えたのです。 これらは軍事上の機密に属するために、極めて秘密裏に、それぞれの会社とフォールの間に協定されました。ところが、後に至って、フォールと石油会社との間に不正が行われていたことが発見されました。 フォールはシンクレアから26万ドルの金を国債によって貰っており、ドーニーからは無利子無担保で現金10万ドルを借りていたのです。 これが有名なティポット・ドーム事件の全貌です。

この事件のためにフォールは失脚し、ワーク博士が後任となるに及び、デターディングは借地権の獲得に成功したのです。

その作戦たるや実に巧妙を極め、しかも凱歌をあげています。シェルは米国海軍の石油を日本向け販売していることが明らかになってきました。どうしてこのような不合理がおこなわれていたのでしょうか。 海軍保存油田第一号地はカリフォルニア州のエルク・ヒルですが、ここの借地権はホノルル石油会社に賦与されていました。ホノルル石油はこれをスタンダード石油に転貸していましたが、期限が切れると共に、スタンダード石油はその更新方を交渉しました。 

ところが意外にも、ホノルル石油は既に他社と契約を決定していました。シェルが莫大な権利金を出して買収していたのです。シェルはこの油田から汲み出した石油をどしどし日本の支社に輸送していました。

このような皮肉な行為が暴露するに及んで、海軍長官は対策を講じるための委員会を設定し、米国海軍用石油が外国の手に渡らない方法を研究することになりました。現在の法律ではシェルの行為には、なんら非合法な点が見いだせないからです。 米国はデターディングの方がいt枚上であることを痛感させられましたが、これを如何ともすることができませんでした。

議会は一般借地法を通過させ、米国内における石油業者は必ず米国国民であるべきを規定していました。 しかし、この法律による土地は公有地に限られていて、個人所有地に関しては除外されており、従って石油生産額にはほとんど影響がない有様でした。

 

一滴一滴、また一滴と、デターディングは米国の石油を枯らしていきました。世界の石油生産額の69-72%は、米国の地下から汲み出されていきました。 しかも、米国は国内に侵入している外敵に対して、何ら対策を施すことができない。 そこで遅ればせながら、海外の石油資源獲得のために、国内の業者と一丸となって共同戦線を張り、英国に対して報復しようと計画しました。

上院議員フェランは「米国石油社団」とも呼ぶべき。米国石油会社の企業団を組織し、海外資源獲得に協力すると共に、外国における敵国の反撃に備えようとの案を提出しました。

この案が英国を敵としたことは、火をみるより明らかです。 しかし、米国の政治家はスタンダード石油に対して偏見を抱いており、かかる共同戦線がトラストの再現ちなるのを恐れていたので、このフェラン法案は簡単に葬り去られてしまいました。 

今回も、反トラスト法成立のときのように、ロスチャイルドの工作が米国内であったかどうかは分かりません。 反トラスト法が成立した時は、スタンダード石油の前にデターディングが率いるロイヤル・ダッチ石油会社とマカス・サミュエル率いるシェル輸送会社が苦戦していた時で、ロスチャイルドが助け舟を出し、仲介して、ロイヤルダッチ石油会社とシェル輸送会社が合弁を組み、ロイヤル・ダッチ・シェル(現・シェル)が設立され、ロスチャイルドもこの新階差の株主となった時でした。 

そしてあまりにタイミングよく、米国内で反トラスト法案が成立し、石油王ロックフェラー率いる最強のスタンダード石油が解体された時期でした。

 

 

 

世界の石油資源探索に乗り出す米国およびスタンダード石油

米国石油資本の海外進出の邪魔になるは、いうまでもなくサン・レモ協約です。 「米国は外国における石油をたくさん取れ」との政府方針に従い、スタンダードの踏査員(出かけて行って調べる人)は世界各地に向かって市出発しました。 ある米国人踏査員(とうさいん)は1919年10月イスラエルの死海の沿岸にやってきました。

パレスチナの統治者たる英国将軍は、何の躊躇もなくこれを捕らえてエルサレムに拘禁(監禁)しました。強すぎです。 米ウィルソン大統領は厳重な抗議を提出しましたが、英国はパレスチナは新たな法案が発布するまで一切の踏査が禁じられている旨を答えただけです。

同じような事件がメソポタミアでも起こりました。その他の英国植民地はもちろんその保護圏内に於いても、米国人は完全にっシャットアウトされていました。 そして、こうした英国の石油政策を条約化し、強化したのがサン・レモ協定でした。 米国の急務はサン・レモ協定を撃破して、「外国における石油を拓さん取る」ことです。 ウィルソン大統領の抗議がカーゾン卿によって一蹴されるや、国務長官コルビーは再び爆弾的抗議をつきつけました。

 

『米国政府はメソポタミア全体に対して貴国が特殊利権ありとされる根拠は明確ならずとも思惟するものなり。 委任統治国はその委任統治に於いて自国に有利なる性質の独占をも樹立するに非ずとの我が政府の確信に鑑み、余はメソポタミア石油開発に従事すべき一切の私設石油会社が常に英国の統制下にあるべきを規定するサン・レモ協定に対し、その意義を理解するに能わず』

 

この抗議に対して、英国のカーゾン卿は、現在メソポタミアに於ける英国の権利は大戦前トルコ石油会社が得ていた権利を単に再確認したもので、世界大戦とも全然関係なく、委任統治とも別問題であるとし、単に戦前ドイツが持っていた株式をそのままフランスに譲渡したものに過ぎない旨を弁明した。ついで、米国政府論難の充填たる、石油資源は国籍に関係なく。これが開発を開放すべしとの一点は、英国政府とまったく一致しているが、しかし現在世界の石油生産の70%を占める米国が、この地の石油開発にまで支配の手を伸ばさねばならぬとの主張を正当化できない旨を強調した。

しかし、米国は黙ってはいませんでした。ついに英国を威嚇するため、旧ドイツ植民地に対する委任統治の問題は再審議すべきであることを要求する旨の覚書を国際連盟に提出しました。この威嚇に驚いた英国政府は、アングロ・ペルシャン(英・イラン)石油会社社長ジョン・カドマンを米国に送りました。

カドマンは、スタンダード石油の首脳部と商議を重ねましたが、その内容は発砲されていないとはいえ、結果から見て米国に対して譲歩したことは明らかです。 メソポタミアのトルコ石油会社の株式は、アングロ・ペルシャン50%、ロイヤル・ダッチ25%、フランスに対して25%、の割で分配されていました。 この割合は訂正されて、アングロ・ペルシャン(英・イラン)の持ち株の半分tる25%はスタンダード石油に譲渡されました。 交渉では米国の勝利です。

米国の抗議は英国に対すると同様にオランダに向けられました。オランダはいうまでもなくシェル財団の味方ですが、デターディングングは祖国の政府に対してオランダ領東インド(インドネシア)のジャンビ油田に対する独占権を得ようとしました。ジャンビ油田は400万エーカーにわたる広大なものでした。

デターディングは何の反対もなく独占権を得たので、その付属会社であるバタフシェ石油会社に採掘させることにしました。米国のスタンダード石油とシンクレアはかねてかねての割り込みの件があったので、黙ってはいられません。国務省に対して抗議を陳情。ここにワシントン政府は再び門戸開放主義の旗を押し立て抗議しました。しかし。これに対しオランダ政府は米国の「門戸開放」は米国ン氏において実行されておらず外国資本が不当に制限圧迫されている時日をあげて欧州し、ここにきて米欄交渉はとん挫しますが、米石油業者のヒューズは、オランダ駐米大使に対して訓令を送り、オランダ政府はオランダ領東インド(インドネシア)に於いて他国の会社に対するのと同様の便宜を賦与すべしとの抗議を提出しました。

そして、もしオランダ政府が米国政府の要求を受け入れない場合、米国におけるオランダ系会社の土地利用を禁止するだけでなく、場合によってはオランダしぃう品をボイコットすると脅し、遂にオランダは譲歩をやむんなくされ、スタンダード石油は意気揚々としてスマトラ半島に乗り込みました。

スタンダード石油の子会社頃にある石油会社は、事業を開始しました。 1923年には、わずか1万3千トンしか生産していませんでしたが、1927年には16万6千トン、1936年には205万8千トンに達しました。それはロイヤル・ダッチのオランダ領東インド(インドネシア)における生産量若半分に当たります。

インドネシアにおける石油投資総額は約10億フロリン(オランダ、イギリス、ドイツ連邦でかつて使用された通貨の単位)で、その半分はオランダのもので、残り半分を英・米・日の三国が分け合っています。しかし、その外国投資の3/4まではシェル財閥に抑えられています。

支那事変前まで、日本は輸入石油の1/4をインドネシアに仰いでいました。インドネシアは極東における唯一の石油産地であり、日本にとっても重要な石油供給地です。 

 

次の投稿に続く

 

 

 

(参考 本件、今までの投稿)

世界大戦の主原因は石油 サン・レモ協定、米国の危機
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4c30b30442f48694cf4c907373148457
世界大戦の主原因は石油  英米 vs ソ連(ロシア)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/716c20c7e9b5f6da55384c38513cc0cd
第一次世界大戦の主原因は石油 死の商人ザハロフ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6b5f8da6b280295600c593cd8ed50141
第一次世界大戦 本当の主原因は石油
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日本市場でのロイヤル・ダッチ・シェル vs スタンダード石油 販売戦争
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極東における血みどろの石油販売戦争
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ロックフェラーを倒したロイヤル・ダッチ・シェル(デターディング・サミュエル連合)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f8dee26c06fec6a31193a3eee46ad2c9
石油業界のナポレオンと英国のユダヤ人、マーカス・サミュエル   https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7addcc3b4d7d47626e3ddf56898b30ec
独ガソリン・ディーゼルエンジンと仏プジョー、そしてロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e16baece0ccf5acec5e58e26f8bdcd04
ロックフェラーより早かった日本の石油商用化
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石油の発見と利用の人類史
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世界大戦の主原因は石油 サン・レモ協定、米国の危機

2023-03-18 10:34:57 | 麻薬・阿片・石油

世界大戦の主原因は石油  英米 vs ソ連(ロシア)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/716c20c7e9b5f6da55384c38513cc0cd
からの続き

 

サン・レモ協定

1920年4月、英・仏間に結ばれたサン・レモ協定は、アメリカを驚愕させました。 元来、このサン・レモ協定は、ベルサイユ条約の延長というべき石油平和協定でした。 

ベルサイユ条約がそうだったように、連合国の一つである米国は,戦勝国としての分け前にあずかれませんでした。また、ベルサイユ条約がそうであったように、ロシアには何の相談もありませんでした。この協定によって会心の笑みを浮かべていたのは、デターディングによよって代表代表された英国でなければなりません。

もし、彼らが希望的に予想している通りに、ソビエトが陥落すれば、ロシア石油を支配することができます。 そしてまた、フランスにはシリアを分けてやっただけで、広大なイラク平原の石油帝王の椅子にふんぞり返ることができるのです。

サン・レモ協定の条文を注意深く読むとき、これによって最も多く利益を得るものが英国であるとの結論が容易に得られます。 これによって、ドイツから没収されたトルコ石油会社の株式の25%はフランスに引き渡されました。 しかし、フランスはその代償として、その勢力圏内に鉄道を敷設する義務を負い、かつそこに2つの送油管(パイプライン)を設けることに同意し、しかもこの送油管による石油を無税で輸送し、かつその終点である地中海の港に港湾施設をつくる約束を強いられているのです。

ついで、英帝国領植民地に於いてはフランス国民に対し、仏領植民地アルジェリア、チュニス、モロッコなどの保護国に於いては英国国民に対し、相互に石油利権の獲得および油脈探査に関して特恵的便宜を与えるべき義務を規定しています。 

旧帝政ロシアの石油利権に対しては、英・仏は相互に努力し、その国民を支持すべき義務を定めています。 このサン・レモ協定の真意が。英国の石油世界制覇の野心から出発していることは、ロンドンの有名な銀行家エドウィン・マッケイ・エドガーがスペアリング誌に発表した一論文によっても明らかです。

『米国が湯水を使うよな速度でその国内貯蔵物を使い果たしっつある時、我々は世界の石油貯蔵を試打に確保しつつある・・・ 中国・南米油田の2/3は、英国の手に収められたと言っても差し支えない。 試しにあらゆる石油組織中最大なシェル財団をt理にとって見よ。それは米国、ロシア、メキシコ、オランダ領東インド(インドネシア)、ルーマニア、エジプト、ベネズエラ、トリニダード、インド、セイロン、東南アジア諸国、南北志那、シャム、海峡植民地及びフィリピン等を含む世界の石油産地を、独占的に所有し、利害を左右してるのである

老獪なこの英国人は、さすがに紛議を避けて英国政府直轄石油会社ともいうべきアングロ・ペルシャン(英・イラン)については言及していません。

『かかる状態の利益が十分に収穫をあげるまでには何年か待たねばなるまい。しかし、その収穫が遂には莫大なものとなるべきは一転尾疑う余地もないであろう。 遠からずして米国は、必要欠くべからず、しかも最早自国の貯蔵量では間に合わなくなった石油を年間数百万ポンドの割合で英国会社から購入し、次第に増大する金額をドル貨で支払わねばならなくなるであろう』

エドガーの予言はまだ早すぎました。ドル貨少しも米国からは流出していません。「遠からずして」といった彼の言葉は、更に延長しなければならなようです。

『』メキシコ及び中部アメリカの一部分を除き、全世界は米国の実力攻撃に対し厳重に防備されている。小範囲な孤立的出撃はあるかもしれないが、到底集団的な攻撃はあり得ない。 英国の地位は各固不動である。 かく言ったところで、何も荒唐無稽の説ではない。米国の識者は既に一年以上も前からこの状態を知り尽くしている。 詩化し、国会も世論もこれを支持してはくれなかったのである。 

一般国民は、米国は無尽蔵の石油を貯蔵していると信じており、石油不足のためにエンジンが停止すること夢にも思わず、石油は林檎樹になる林檎のごとく自然に生産されるものであると考えていた。 彼らにとっては不幸にも、我々にとっては幸いにも、彼らがそれと気づいた時には既に後の祭りであったのである』

 

たしかに米億人は寝耳に水を注ぎこまれたように驚きました。地質学者は声を大にして、地下の大動脈が決して無尽蔵なものではなく、それはいつの日か枯渇するもであることを叫びました。油m井の中には既に枯渇に瀕したものもあったようですが、経済学者は地下資源私有制度や反トラスト法や無制限競争などを取り上げ、英国がじっと握り込んでいる間に、米国の石油をどしどし市場にバラまいている不合理を摘発しました。 

実業家は実業家で、過剰の生産が価格を暴落させているたwおめに、あまり儲けがあがらないことを告白します。米国議会は石油資源調査特別委員会を任命しましたが、その調査結果として、米国の石油埋蔵量はあと18年間を支えるに過ぎないという報告がク評されました。 米国石油業界は恐怖と混乱の中にあえぎました。 サン・レモ協定は米国石油業界に衝撃を与え、ウィルソン大統領はカーゾン卿あてに抗議提出しました。

この爆弾的抗議は約一年にわたって、英・米外交戦略に火花を散らすことになりました。カーゾン卿はこのウィルソン大統領の通牒に対し、米国の「門論は欺瞞に満ちたもので、米大陸に於ける英国の石油利権がノックアウトされた事実によっても、この政策を破ったのは米国自身であると一矢を報いています。そこで、英国石油資本の米国侵入の歴史を見ておく必要が生じてきました。

 

 

英国の米国侵入

既に紹介したよ、英国の石油政策は自分のものは貯えておいて、他人のものは汲み出す点前でした。サン・レモ協定にも明らかのように、フランス勢力圏内の石油を自分の支配下に置こうとする企みは、条文の節々に見られるし、メキシコ石油戦もその老獪な政策の現われであったと言えます。

英国石油業界を代表するだたーディングは、大胆不敵にもロックフェラーの牙城である米国侵入を企みました。 ちょうど、スタンダード石油帝国が反トラスト法の裁きを受けて崩壊した時、デターディングは「石油業界のナポレオン」の名に背向かず、米国内の石油地帯に支店を設けることに成功しました。

 

次の投稿に続く

 

 

(参考 本件、今までの投稿)

世界大戦の主原因は石油  英米 vs ソ連(ロシア)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/716c20c7e9b5f6da55384c38513cc0cd
第一次世界大戦の主原因は石油 死の商人ザハロフ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6b5f8da6b280295600c593cd8ed50141
第一次世界大戦 本当の主原因は石油
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d703a4b6c6cf41438a0dd8907308e261
日本市場でのロイヤル・ダッチ・シェル vs スタンダード石油 販売戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f9b0c8415ececd8eb83f86f3c2271c80
極東における血みどろの石油販売戦争
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f22623351b78925c3350ffb60ea56de9
ロックフェラーを倒したロイヤル・ダッチ・シェル(デターディング・サミュエル連合)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f8dee26c06fec6a31193a3eee46ad2c9
石油業界のナポレオン、デターディングと英国のユダヤ人、マーカス・サミュエル   https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7addcc3b4d7d47626e3ddf56898b30ec
独ガソリン・ディーゼルエンジンと仏プジョー、そしてロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e16baece0ccf5acec5e58e26f8bdcd04
ロックフェラーより早かった日本の石油商用化
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7bf2a45203a4f71982dfdf7e53dd2c02
石油の発見と利用の人類史
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b555050c36935ad6e972408f0bae2c6b

 

 

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ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
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