おかんのことをここで詳しいことを書くつもりはないですが、彼女ががんになったことでいろいろなことを感じています。
第一に、病院も大きく変わりましたね。
私が治療・経過観察をゴリゴリしていた2004~2007年ぐらいとはまるで別の仕組みになって動いていることがわかります。
患者の動線も働いている人の動線もよくなって、迷子になりにくい(笑)
車いすの人や歩行器の必要な人も移動しやすいように通路が広いし、明るいし!
がん拠点病院は大きく変貌を遂げています。
第二は医療者の進化。施設の見た目だけではなく、先生や看護師さんをはじめとしたスタッフの方は患者さんとのコミュニケーションをとるためのトレーニングをきちんと受けていらっしゃる方も多く、相談窓口もオープンで分かりやすく設置されており、非常に今、助かっています。
言葉もかなり簡単な言葉で説明していただけるので、概要は年寄りでも理解できるのですよ。
余談ですけど、以前骨折でおかんが入院していた時、整形の頭キレッキレの女医さんが、術後のドレーンのことを「血抜き管」って説明してて、心の中で拍手喝采しましたけど、今回はがんなので説明量がてんこ盛り。
こっちは体験したことやら見聞きしたことが多いので、ポイントだけを集中して聞くことができるので、理解したうえで質問もできますけど、患者であるおかんは、いくら説明が簡単だからとはいえ、心が追いついていってない。ショックだし、怖いし、説明が入っていかないのが見ててよくわかります。
第三に患者同士のつながり。
先生たちも努力していて少しずつ医療現場もよくなってて、患者も勉強しやすい環境が整いつつありますが、怖さを和らげるのは唯一患者同士の助け合い(ピアサポート)。なんでもない「私も同じなんだよ」の言葉で救われる。そんな看護師さんがいらっしゃって、おかんの心がほぐれていったのが分かりました。
ただただ患者の声を代弁するんだったら、共感が得意な人ならだれでもできそうなんだけど、医療者の声を分かりやすく単純化して患者へ橋渡しして、場合によっては嫌な治療もやろうという決意を促さなければならない。正しい知識が必要なんですがね。
ピアサポートすべき患者会もピンキリで、西洋医学ではがんは治らないとか、抗がん剤で死ぬとか、いつの時代の話ですか??みたいなことを掲げているところも少なくないから困ってしまう。
こんな極端な例ではなくても、薬は体に悪いから飲まない方がいいなどという、メリットとデメリットの天秤が理解できていない人が、患者の治療を邪魔することもある。
第四は情報収集について。
たまたま中部ろうさい病院は治療に対する取り組みがスバラシイ先生たちばかり出会いましたけど、別の病院では田宮二郎の白い巨塔時代かと思う白衣来た人もいたし。(←知っている人、古い人(>▽<))
ただ、めんどくさいのは医療者の人格と治療の知識はイコールではないので、仮にクズのような人格でも知識は正しいことは多い。そこは専門的に勉強してきた人なので、知識としてはきちんと聞く必要がある。感情的な情報収集(好き嫌い)は意味がない。
(一般の生活の中では、クズは言っていることもクズなことが多いけどw)
がんに限らず、病気を治すというのは冷静な判断を積み重ねることが一番早い治癒への道なので、感情的判断(好き嫌い)もろくな結果にならない。
情報収集と判断以外では感情は豊かに出せばいい。
結果的にこの一カ月は、右往左往しながらも本人が辛いだろう治療をすることを受け入れることができたので、大事な時間だったと思います。
あえて患者に振り回されてやりつつ、知らないうちにいい方向に行っていた、あるいは自分で選んだと思えるのが一番いい。そうじゃないと、治療の目的が分からなくなってしまうから。
このブログを読んでいただいている人は、30代~60代が圧倒的に多いので(笑)、こんな話はとっても身近ではないかと思います。ネコも親も自分も老いていくけど、老いは締めくくりの生。病や老いはさみしいものではありますが、反面、当たり前のことへの感謝に気づかせてくれるものでもあります。
全てを受け入れ、こねくり回して笑いへと変えていこうかと思っております。
猫に紛れて、たまにこんな話も入りますが、どうぞご容赦を。