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立石熊野神社 その3

2006-02-05 | 神社・仏閣
以下は、境内に掲示してあった由緒書きの立石とご神体と伝わる”石剣”の記述部分の抜粋です。(かな漢字は、記述のままです)

立石村-四神地名録葛飾郡-

此村に立石と称せる奇石有り。是によってむかしは近隣四五ヵ村の村名とし、立石村といひしよし。分郷となりしより、今は此村のみを立石村と称せる也。
名主の云、此石は寒気にいたむ石にて、寒中には爰かしこ欠そんじ、春へこし暖気をもやふす頃よりそろそろ欠所ふくれて元の形になるよし。立ちよりて見しに名主のいへることく、欠損せし跡より木のこぶのごとくふくれててあり。夏中には全く元の石になるよし。奇石といふべし。
石の質は、至而の鹿石にて、砂に泥を交えて作りしやふの鼠いろの和らかなる石也。按に活蘇石なるべし。幸ひ、まだ活蘇石の真物を見ず。物語りに関し事なれば、確に活蘇石とも名つけかたし。諸州に生石はまま有るものにて、常陸国鹿島のかなめ石と称せるも生石也。俗に根有石といふて、幾丈ほりても石の根有りて、こんりんざいよりも生へ出しやふ思はる石也。此立石も根ふかき石と云。寒中に欠落て、夏中に元のことく愈合ふ石なれば、活蘇石といふても無理からぬ石也。

熊野三社権現の旧地あり、小社ながらも神体は神代の神剣也。石のスジ有。重きことは案外にて、なかなか銅・鉄の重きも及ふ事にはあらず。初にもいふことくに、石剣といへるものは、海内におゐても至而稀なるものにして、時下好事家にいはすれば、日本に三ッか五ッかならてはなきもの、やふに称誉せる器也。此度僅なる通行のうちにて、二ッまでも見る事は不思議ともいふへし。
下和(へんくわ)があしきられしを思へは、僕益なき目利なから、此地の石剣は、玉石に違ひなきやふに見ゆ。上手の玉みかきに磨かせなば、必ずひかりを生して玉となるべし。古しへ日本武尊武器を納め給ひし国とて、武さしを似て国号とす。石剣は上世の武器なり。右二ッの石剣も日本武尊の暮し給うひし武器なるべし。かかる神宝の武器、御国に納めること、万代もうごきなきしるしといふべし。里人の云ひ伝へには、熊野三社権現の地は、安部の晴明が住せし旧地といへり。晴明此国に住せしと云事、古書にはなし。貧地にてもありし事にや。五方山南蔵院立石寺といふ真言地有り。さして由緒はなき寺なから土地もきれひにしてあしからぬ寺院にて、御膳所となる寺と云。(四神地名録)


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