日々平穏 

日々の雑多な話題と管理人の趣味中心の見聞記を紹介

【ウォーキング】四ツ谷界隈散策~於岩稲荷田宮神社ほか

2015-08-16 | ウォーキング・トレッキング
夏真っ盛り。皆さんが夏といえばまず思い浮かぶのは何でしょうか?

我が家だと…。幽霊・・・!((((;゜Д゜))))
けっこう自分もサクラさんもコワイもん好き。
テレビで特集などやってれば録画してまでチエックしてます。

そして、幽霊といえば!? 四谷怪談のお岩さん。
以前から四ツ谷に於岩稲荷があるのは知っていたのですが以外と行ったことが無かったので、酷暑も少し和らいだお盆休みの週末にブラっと出かけてみました。
新宿から丸ノ内線で四ッ谷三丁目で下車しまずは、新宿歴史博物館へ向かいました。

スタート 11:30 メトロ丸ノ内線 四ッ谷三丁目駅


新宿歴史博物館 入館料¥300 自分は、20年以上前に一度訪れた以来の再訪です。

内藤新宿ジオラマ

都電5000系レプリカ車両

新宿ゆかりの作家・文学者達それもビッグネームが如何に多かった事に、知ってはいましたが改めて驚かされました。
またもっと驚いたのがあの!北原白秋がなんと!以前住んでいた同じ町内に半年ほど住んでいた事実を初めて知りました。

良き昭和の時代に関連した展示の数々がなかなか興味深かったです。
中でもサラリーマン・学生・主婦・有閑マダム・映画監督の中で、それぞれが新宿で一日遊んだら、いくら遣うか?
というクイズ形式の展示が面白かったです。
屈指の歓楽街がある新宿らしい展示内容でした。

新宿区ゆかりの文学者「漱石・八雲」の企画展が開催されていましたが文学には疎遠の我々はパス。
コーヒーとお茶菓子の振る舞いがあったのでここでしばし休憩。
さて、次は四ッ谷でも数多くの飲食店で賑わう荒木町のど真ん中にある神社を二社回ります。


金森稲荷神社 祭祀:宇迦能御魂大神
美濃国高須藩主松平摂津守上屋敷の守護神として天和3年(1683)創建したと伝えています。

津之守辯財天
古来池のほとりにあった弁天祠を昭和31年(1956)崇敬者によって現在地に遷座再建し「津之守弁財天」の御神明で町民の守り神としてお祭りし御加護を受けています。津之守とは、藩主の松平摂津守より

策(むち)の池 家康がタカ狩りの時、井戸水で策を洗った水が滝となりこの池に注いでいたので策の池と呼ばれているそうです。

こんなところに高級食材スッポンが生息していました。この辺りには料亭があるようなので、厨房から逃げ出したのかも!?

13:30 昼食 
気づくと1時をとうに過ぎていたのでランチを食べに四ツ谷三丁目まで戻り、消防博物館の隣にある韓国料理屋で食事を摂りいよいよ本日のメイン於岩稲荷へと向かいました。
住宅街の中に、赤い幟がひときわ目立ちます。



於岩稲荷田宮神社 祭祀:豊受比売大神、田宮於岩命
徳川家の御家人の田宮又左衛門の娘で、田宮伊右衛門の妻だったお岩は家計を支えるため奉公に出て、田宮家を再興させました。
お岩の死後、その功績を称えて屋敷の跡に建てられたのがこの神社なのだそうです。
今でも田宮家のご子孫がここをお祀りしています。

東海道四谷怪談に登場する「お岩」は、あくまでもフィクションであって実在したお岩さんとは、関係がありません。
心霊スポット等でここを紹介している記事がありますが実際は逆。開運スポットとして崇敬されているようです。

こちらではお守札を頒布して下さっていて自由に持ち帰ることが出来ます。
一枚一枚それぞれ文書が異なっていて、おみくじ感覚です。
自分には、耳の痛いお言葉です。^^; お参りには数多く訪れてはいますが、どれほど神様に届いているのかは?

向かい側には、もうひとつの於岩稲荷があります。


於岩稲荷陽運寺 こちらはあくまでもお寺さんであって、先ほど訪れた於岩稲荷田宮神社との関係は無い様です。
ネット情報によれば、今でも共に根強い確執があるようです。
こちらは、縁切り寺としてのイメージもあって四谷怪談に登場する「お岩」のイメージがつきまといます。

さて、次の目的地はこれといって決めていなかったのですが、近くに須賀神社があったので立ち寄って見ました。

須賀神社 祭祀:須佐之男命・宇伽能御魂命
須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮座しており現在は東京四谷18ヵ町の総鎮守です。明治時代以前に牛頭天王社と稲荷社の二社あったものを一社に合祀して「須賀神社」と呼ぶようになりました。
毎年6月に開催される例大祭は、古くは「四谷の天王祭り」「かっぱ祭り」と呼ばれ江戸の五大祭りのひとつとして有名だそうです。

社殿内天井には、新宿区指定文化財(絵画)の「三十六歌仙の絵」が空襲の難を逃れて伝えられています。

この辺りは寺町で寺院が多く立ち並んでいるのでブラっと参詣してみることにしました。


戒行寺 日蓮宗。文禄4年(1595年)玉泉院日養上人によって麹町8丁目に唱題修行の戒行庵として創建され、寛永11年現在地に移転し戒行寺が建立されました。

池波正太郎の著作「鬼平犯科帳」の主役長谷川平蔵の供養塔と長谷川家のお墓があります。

ここで、気のいい親父が話しかけてきました。
これから何処へ行かれるんか!?
西念寺さんで、服部半蔵のお墓でも拝んでこようかと…。
ん~っならその前にうちんとこにも寄ってらっしゃい。
どうやら、どこかの住職のようでした。
そして、案内してくれたのが...。


宗福寺 曹洞宗 慶長8年(1603)麹町清水谷に勝興寺二世岳室存積大和尚が創立(慶安元年戌子九月朔日寂)寛永11年江戸城拡張の為め現地に移転

江戸後期の刀鍛冶の名匠“源清麿”の墓所で、新々刀(江戸時代後期の刀)の刀工の第一人者として、天保・弘化年間(1830-46)に活躍し、その刀の切れ味は正宗のようだといわれ「四谷正宗」と呼ばれたそうです。

ちょっと調べたらびっくり!日本刀界では、ビッグネームな人物でした。
住職に声を掛けられなかったら素通りするところでした。
暫くここで住職と歓談しお礼を述べ次のお寺へ。
この辺りの道は、狭く複雑で迷います。ショートカットが出来ません。オマケにアップダウンが激しく息がきれます。
そんな坂の上に西念寺さんがありました。大きな銀杏の木が目印と言ってくれた住職さんに感謝。


西念寺 浄土宗 西念寺は専称山安養院と号し、1593年(文禄2年)麹町清水谷に服部半蔵正成により開山した後、1634年(寛永11年)に現在地に移転しました。徳川家康が当時の天下人織田信長の命で断腸の思いで切腹を命じた最愛の我が子信康の介錯を行ったのが重臣服部半蔵です。

服部半蔵の墓所 本堂には服部半蔵の槍(新宿区登録有形文化財)などがあります。

さて、史跡めぐりもここで終了
四ツ谷駅まのルートの確認でマップを見ていたら…。あの!有名な鯛焼き「わかば」を発見!!

しかし残念ながらお盆でお休みでした。 またいつか機会があれば

ゴール JR四ツ谷駅 15:30


本日の総歩数 13.132歩 総距離 10.2キロ

【感想】
於岩稲荷は、やはり四谷怪談のイメージが先行していて棘々しい感じと思っていたのですが、実際に訪れてみるとそんなことはなく境内こそ手狭ではありましたが御札などを頒布してくれていて神社の気遣いが感じられ気持ちのいい境内でした。
もう一つのお寺側の於岩稲荷は、やはり演出感が見え見えで作られた感は否めませんでした。

また、住職から聞いたお話ですが新宿区若葉地区は、マップを見てもらうと分かるように高低差がかなりありその中央にかつて櫻川と呼ばれる川筋があったそうです。
今は、全ては暗渠となっていますが、細い道がクネクネと不自然に曲がっているのですぐ分かります。
この辺りは、旧町名が谷町と呼ばれていたそうで、かつてスラム街だったディープな歴史がある地域だったそうです。
南には、赤坂御所や迎賓館。北は、防衛省など日本の表舞台の華やかな施設の中央に暗い闇のディープなスポットが存在していた事実に、驚かされました。

暑いさなかのウォーキングなど本当はするつもりはなかったのですが、知り得た事がかなりあって有意義なウォーキングでした。
「わかばの鯛焼き」は、是非そのうちリベンジしに行きたいです。

【探訪ルート】
スタート メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅~新宿歴史博物館~金森稲荷~津之守稲荷~於岩稲荷田宮神社~於岩稲荷陽運寺~須賀神社~戒行寺~宗福寺~西念寺~ゴールJR四ツ谷駅
【マップ】



参考ホームページ:四ッ谷探訪 第一章 四谷の歴史スポットをたずねるウォーキング

最新の画像もっと見る

コメントを投稿