4/13 追記あり
前回の投稿でも記述したが、現在見られる宇佐鳥居の型式は大分の宇佐市にある「宇佐神宮」でしか見ることが叶わないのだが、実は今見る事ができる宇佐鳥居には、原型があった事に触れられている記事は無いようだ。
根岸の言うところでは
「近年改められた宇佐神宮の規式は、朱塗りで貫の鼻を斜めに切り落とすことに変わりはないが、額束がなくなったこと-元のには有った。~省略 尤もこの形式は決して新規なものではない。何時の頃のものか知らないが、神道大辞典に挿入してある『宇佐神宮古繪図』に描かれている大鳥居の形状を見ても、現に同神社末社八坂神社(?)にある古い石の小鳥居の如き、屋根こそ無いが、全くこの形式の基本型なものであることから考えると、新制ではなくして、規式の復古なのかも知れない。」
と述べている。
では、オリジナルの額束のある宇佐鳥居は今は存在しないのだろうか?
実は、撮り溜めていた写真を整理していたところ偶然撮影していた写真があったので紹介したい。

元祖宇佐鳥居(額束有り)一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)妻垣神社(大分県安心院町)奥宮巨石(米上(めーとる)の磐座)に至る処にある鳥居 (撮影:2006-03)
貫の両端がクイッと上部に持ち上がっており額束があるところ等は、まさしく宇佐鳥居の原型と言えるだろう。
参考記事:大分紀行(7)妻垣神社

ちなみに、根岸も修理中で見る事が叶わなかった、御許山頂上「大元八坂神社」前にある石鳥居がこれ。(撮影:2006-03)この写真だと分かり難いがここの写真を見ると笠木の部分がクイッと上部に持ち上がってはいるが、貫はストレートのままの様である。

御許山(宇佐神宮 奥宮)大元神社の石鳥居 (撮影:2006-03)
こちらも、貫の端が持ち上がっているので宇佐鳥居の原型として構わないと思う。
ちなみに、推測ではあるが、根岸が「大元八坂神社」と「大元神社」を混同していた可能性が考えられる。ワザワザ本文中の同項(冒頭で引用)に八坂神社(?)を用いている事と彼がここを訪れた際 たまたま修理中で近くまで立ち入れなかった事からそう推理する。
追記:
八坂神社は、宇佐神宮の境内に存在していた。
以下の写真は、たまたま当初訪れていた際に、携帯で写真に収めていたもの。

摂社 八坂神社前にある「元宇佐鳥居」 これこそ根岸が言っていた「宇佐鳥居」のオリジナルと思われる。(撮影:2006-03)

貫の両端が直線で無い訳だから、どのように加工しているのだろう?(撮影:2006-03)
前回の投稿でも記述したが、現在見られる宇佐鳥居の型式は大分の宇佐市にある「宇佐神宮」でしか見ることが叶わないのだが、実は今見る事ができる宇佐鳥居には、原型があった事に触れられている記事は無いようだ。
根岸の言うところでは
「近年改められた宇佐神宮の規式は、朱塗りで貫の鼻を斜めに切り落とすことに変わりはないが、額束がなくなったこと-元のには有った。~省略 尤もこの形式は決して新規なものではない。何時の頃のものか知らないが、神道大辞典に挿入してある『宇佐神宮古繪図』に描かれている大鳥居の形状を見ても、現に同神社末社八坂神社(?)にある古い石の小鳥居の如き、屋根こそ無いが、全くこの形式の基本型なものであることから考えると、新制ではなくして、規式の復古なのかも知れない。」
と述べている。
では、オリジナルの額束のある宇佐鳥居は今は存在しないのだろうか?
実は、撮り溜めていた写真を整理していたところ偶然撮影していた写真があったので紹介したい。

元祖宇佐鳥居(額束有り)一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)妻垣神社(大分県安心院町)奥宮巨石(米上(めーとる)の磐座)に至る処にある鳥居 (撮影:2006-03)
貫の両端がクイッと上部に持ち上がっており額束があるところ等は、まさしく宇佐鳥居の原型と言えるだろう。
参考記事:大分紀行(7)妻垣神社

ちなみに、根岸も修理中で見る事が叶わなかった、御許山頂上「大元八坂神社」前にある石鳥居がこれ。(撮影:2006-03)この写真だと分かり難いがここの写真を見ると笠木の部分がクイッと上部に持ち上がってはいるが、貫はストレートのままの様である。

御許山(宇佐神宮 奥宮)大元神社の石鳥居 (撮影:2006-03)
こちらも、貫の端が持ち上がっているので宇佐鳥居の原型として構わないと思う。
追記:
八坂神社は、宇佐神宮の境内に存在していた。
以下の写真は、たまたま当初訪れていた際に、携帯で写真に収めていたもの。

摂社 八坂神社前にある「元宇佐鳥居」 これこそ根岸が言っていた「宇佐鳥居」のオリジナルと思われる。(撮影:2006-03)

貫の両端が直線で無い訳だから、どのように加工しているのだろう?(撮影:2006-03)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます