山梨県で二社のみ瀬織津姫を祀る神社として先日、甲州市塩山平山に鎮座する“船宮神社”へ参拝して参りましたが、今回は残りの一社、中央市藤巻に鎮座する“鈴鹿大神社”を参拝して参りました。
鈴鹿大神社 拝殿
ここには、あるべき鳥居、狛犬は存在しません。何もない広い敷地内に拝殿と本殿、祠があるのみです。
本殿 鬼板になぜか菊花紋と大棟の下に武田菱
祭祀:瀬織津比咩命、気吹戸主命、速開津比咩命、速佐須良比咩命 (祓戸の神)
由緒:創建は明らかでないが、安二年(一一六七)二月十三日、伊勢鈴鹿神社より勧請せりといひ、又もと南古の庄に属してゐたが、度々の釜無川の水害に妨げられ今福と共に分離し総鎮守より大鈴を分与され、これを勧請したともいはれてゐるが定かではない。(山梨県神社庁)
拝殿の横には、祠がまとめられていました。
由緒の「伊勢鈴鹿神社」が気になってWEBで少し調べみたのですが、結局三重県の鈴鹿市には、何処にも見当たりませんでした。
そこで、京都祇園祭に「鈴鹿山」と言う「山鉾」があって宵山 の屏風祭に「瀬織津姫」と書かれた額装が飾られていたのを思い出しそちらから調べてみる事にしました。
京都祇園祭「屏風祭」の鈴鹿山『瀬織津姫神』の額装に注目
鈴鹿権現(御前)宵山の際は、ご尊顔は拝めません。(撮影日:2004-7)
山鉾巡行の際に、お披露目となります。
鈴鹿山と鈴鹿権現(御前)(写真はこちらより転載させて頂きました。)
どうやら、こちらの情報によれば元々あった鈴鹿神社は、現在の“片山神社”(三重県鈴鹿市)に合祀されているようです。度重なる水害から合祀に至ったようです。かつて神社のあった場所が峠越えの難所だったので、東海道を往来する人々からいつしか「鈴鹿権現(御前)」として、広く崇敬される様になったとの事です。
しかし「鈴鹿権現=瀬織津姫」との関係がこの辺りを調べてみても今一繋がりません。唯一度重なる水害のため祓戸神を勧請したという予想はつきますがしかし、何かしっくりしません。また、祓戸神は他に姫神が三柱もいるのに、なぜ瀬織津姫なのでしょう?
イマイチこの辺りも色々な方が考察されている様ですが、確たる説明には至っていない様です。
そんな、久しぶりに謎多き姫神でもある「瀬織津姫」に纏わる疑問を投げかけてくれた神社でした。
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