先週末は、帝京大学八王子キャンパス内 にある帝京大学博物館へ出向き表題の企画展を拝観して参りました。
帝京大学博物館へは、京王線 聖蹟桜ヶ丘駅・高幡不動駅・京王、小田急多摩センター駅よりバスに乗車し帝京大学構内行で下車
バスロータリーの正面に見えるタワー ソラティオスクエア地下1階にあります。
エントランスの様子
そもそも、この企画展を知ったのは、次のツィートでした。
八王子から「蝦夷の土器」が出土 朝廷に敗れ…移住示す根拠かhttps://t.co/DpQ96pFynx
— 産経ニュース (@Sankei_news) December 3, 2019
→土器は「赤彩球胴甕(せきさいきゅうどうがめ)」と呼ばれるもので、瓶(かめ)の胴部分が大きく広がり、「ベンガラ」と呼ばれる赤い顔料が塗られているのが特徴
記事では、最近になって土器片を精査しその工法と特徴的な彩色から岩手県北上市を中心とした特定の地域でしか出土されていない「赤彩球胴甕(せきさいきゅうどうがめ)」である事を結論づけていますが、実は以前より今回の関連展示は、常設展示されています。
なぜ今頃になって、にわかにクローズアップされたのかは謎ではありますがどちらにしてもこうした土器が東北地方以外で発見されるのは極めて異例なのだそうです。
以下は、当日拝観した際の会場の模様です。
(※なお以下企画展の掲載写真は、研究資料として許可を得て撮影したものです。転載はご遠慮ください。)
こちらが今回目玉展示の赤彩球胴甕です。(以前より常設展示されていたもの)ベンガラと呼ばれる顔料を用い彩色されてます。口縁部に丸や縦線などの文様を描いているものは極めて特徴的で、東北以南での出土は初めてなんだそうです。
また、この陶土にはここからほど近くの多摩川や荒川周辺の粘土が使われておりこの地で製作されていた事は間違えないそうです。
こちらもエミシの民達が使っていた特徴的な土師器です。
ろくろは使わず紐状にした粘土を螺旋状に積み上げる技法で製作されています。内側が黒いのは、炭を用いてヘラで磨かれているからなのだそうです。
9世紀頃の関東地方の遺跡では、殆どみつかっていないのだそうです。
ちなみに、写真左と中央のものが上ッ原遺跡で出土されたもの。右側のものは岩手県北山市の遺跡で出土されたものです。全く手法が同じであることが良くわかります。
上ッ原遺跡の出土品の土師器の数々 中央の瓶は製作工程がよく分かる一例です。
後半は、エミシの謎を掘り起こしていく展示内容でした。
古代東北の民エミシ達は、「騎馬技術と鉄と鍛造技術」に奏でていたことは知られていますが、それにまつわる遺構もここでたくさん出土されています。
大和朝廷の騎馬は東国の牧から貢馬 されていて、これを支えていたのは騎馬の飼育に長けた専門職能集団でした。
日野市南部から多摩市・稲城市かけての一帯は武蔵国きっての小野牧だった地域で朝廷は彼らをここへ俘囚させ専門職能集団をおき、やがてこれらの牧を中心に侍のルーツ武士団が形成されて行ったものと思われます。
展示で興味深かったのは、牛の骨髄液で皮をなめす手法でした。現在では鞣し剤が一般的ですが昔は牛の骨髄液や脳みそなどを用いて革をなめしたそうです。それらの手法は東北地方からここに俘囚させられた彼らの独自の職能技法です。
馬具の一つ鉄製のハミなど騎馬武装に必要不可欠な馬具や武具なども彼らの高い職人・鍛造技術によって造られ朝廷へ献納されていたのでしょう。
その後のエミシ達の足跡は、パッタリと跡形もなく途絶えてしまいます。
可能性としては、俘囚させられた彼らの子孫たちは人々と文化に同化していったのではないかと言うことでした。
可能性としては、俘囚させられた彼らの子孫たちは人々と文化に同化していったのではないかと言うことでした。
会場内の様子 我々が滞在時間に訪れた来場者は、わずか二組程度でした^^;
今まで、なかなか例を見ない好企画の展示内容でした。
来年の1月14日まで開催されていますので、この機会に是非訪れてみてはいかがでしょうか?
最後に…。
こんな展示も^^; 改めてやっぱり帝京ラグビー部は凄いなぁ。と思った次第
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