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東京調布界隈散策 part4(神社散策編)

2009-03-29 | 神社・仏閣
深大寺で食事をとった後、調布駅に戻り南口方面から多摩川方面へめざします。大映角川撮影所の前を右に曲がって京王多摩川駅近くにある調布市郷土資料館を拝観。(別項で紹介します。)拝観後は、下布田遺跡から狛江市にあるハケの道(府中崖線)に沿ってチャリを走らせます。桜の名所根川通りから多摩川に突き当たったすぐの所に水神社があります。
水神社由緒:
鎮座地狛江市元和泉二丁目三一八〇番四号
御祭神:水波能売神(みずはのめのかみ)・順正院宗可日久夛神(小泉次大夫)
此の地は寛平元年(889年)九月二十日に六所宮(明治元年伊豆美神社と改称)が鎮座されたところです。その後天文十九年(1550年)多摩川の洪水により社地流出し、伊豆美神社は現在の地に遷座しました。
この宮跡に慶長二年(1597年)水神社を創建しその後小泉次大夫により六郷用水がつくられその偉業を讃え用水守護の神として合祀されたと伝えられています。
明治二十二年(1889年)水神社を改造し毎年例祭を行って来ました。昭和三年(1928年)には次大夫敬慕三百四拾二年祭を斉行 もとより伊豆美神社の末社として尊崇維持されて来ました。  平成十二年九月吉日


多摩川のほとりにある水神社 この地にかつて伊豆美神社の元宮「六所宮」があったと伝えます。
ここは、寛平元年(889)に伊豆美神社の元となる六所宮(※)が鎮座されたところだそうです。多摩川の洪水で伊豆美神社が現在の場所に移ったあと、水神社として再建され、六郷用水で功績のあった代官・小泉次大夫が用水守護の神として合祀された。と由緒を伝えています。(※ 府中の大国魂神社を勧請したものと思われます。)ここから北に少しはいると玉川碑(万葉歌碑)があり、その先の緑多き場所が今日の最後の目的地 伊豆美神社です。
ここの小さな石鳥居は、武州一古いモノだとか。(慶安4年(1651))身をかがめないと通れない様な背の低い鳥居です。頭を下げ一礼をしなさいと言う事なのでしょう。
伊豆美神社 由緒:
御祭神:
大国魂大神〔おおくにたまのおおかみ〕
小野大神〔おののおおかみ〕
小河大神〔おがわのおおかみ〕
氷川大神〔ひかわのおおかみ〕
秩父大神〔ちちぶのおおかみ〕
金鑚大神〔かなさなのおおかみ〕
杉山大神〔すぎやまのおおかみ〕
〈相殿〉
水波能神〔みずはのめのかみ〕
宇多天皇の御代、寛平元年(889年)9月20日、現在の元和泉2丁目(現在、末社の水神社がある場所)に府中の六所宮(大国魂神社)の分霊を祀り、「六所宮」の名で奉斎されたのが始まり。天文19年(1550年)、多摩川の洪水のため、現在の境内に移された。明治元年(1868年)には、社号を地名の「和泉(いずみ)」に因んで伊豆美神社と改称。同16年(1883)郷社に昇格する。 参道にある高さ2.65mという小さな石の鳥居は、慶安4年(1651年)、この地を領した徳川家の旗本石谷清定の三男貞清が寄進したもの。貞清は寛永15年(1638年)、九州島原の乱鎮圧の副使を務め、慶安4年(1651年)に江戸北町奉行に就任した直後、由井正雪の慶安事件に加担した丸橋忠弥らを江戸で逮捕した。鳥居はこの事件の3ヶ月前に寄進されたもので、武蔵国(現在の埼玉県と東京都の隅田川以東、神奈川県北東部)では最も古い石の鳥居とされ、市指定文化財となっている。http://www.tachikawaonline.jp/local/omairi/index3.htm より


伊豆美神社の飛び地境内にある 玉川碑(万葉の碑)歌は「玉川にさらす手作りさらさらに、なにぞこの児のここだかなしき」と詠まれています。調布から狛江にかけては、朝廷に産物として布を収めていましたが、その布をさらす少女のしぐさを見ていると、たまらなくいとおしくなると詠っています。

伊豆美神社 ここの所在地“和泉”もここから ごくせんのロケにも使われたそうです。

高さ2m65cm この鳥居は「日本三大鳥居」の一基と伝えられているのですが...。うそだぁ。(>_<) ここも額束に竜のレリーフがある事に注目!
水神社 住所:東京都狛江市元和泉2-36

伊豆美神社 住所:東京都狛江市中和泉3-21-8


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