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東京調布界隈散策 part5(名所散策編)

2009-03-30 | 写真日記
■鬼太郎茶屋

深大寺を訪れた理由。蕎麦を食べたかった訳ではありません。深大寺の参拝でもありません。温泉(近くに“ゆかり”と言う立ち寄り温泉があります。)に入りたかった訳でもなし。そう、最近何かと縁のあるゲゲゲの鬼太郎。先ほど散策した天神通りにも鬼太郎達がいましたが、ここ深大寺境内にも“鬼太郎茶屋”と言う軽食、甘味、鬼太郎グッズ等を販売している所があり一度訪れて見たかったのが大きな理由でした。




鬼太郎茶屋の周辺は、鬼太郎キャラクターが製ぞろい

深大寺と言えば「蕎麦」ですが、以前訪れた際に入店した老舗の蕎麦屋で、食べた「深大寺蕎麦」は、あまりいい印象がありませんでした。
時間的に、深大寺で昼となったので今回は、特にこだわらず目に付いた鬼太郎茶屋の前の店でリベンジしてみました。

頼んだのは、とろろかけご飯とかけ蕎麦のセット。肌寒かったので熱燗で一杯。右上のニョロニョロしているのは、揚げ蕎麦。どうしてなかなか美味しい。

■調布市郷土博物館

深大寺から立ち寄り温泉“ゆかり”のそばを通りスタートの調布駅南口へ。
南口から多摩川方面へ行き暫く走ると大魔神像が目に留まります。ここが角川大映撮影所で、前の道を右へ入ります。京王相模原線の高架を仰ぎ暫く走った京王多摩川駅の少し先に、調布市郷土資料館があります。こじんまりとした小さな二階建ての博物館ではありましたが、ここにはこの辺りで発掘された貴重な縄文式土器や耳飾りが展示してありました。縄文文様が美しいなかなか見応えのある土器でした。


角川大映スタジオ 大魔神像


近藤 勇像と耳飾り 縄文式土器 耳飾りは、後ほど訪れる「下布田遺跡」出土されたものです。近藤勇の生家は、調布市野水にあります。

ここで興味深かった事実を知りました。市名にもあるように調布の町の成り立ちは、養蚕製糸業の発達と密接な関係があった事です。養蚕と言えば機織りです。地場産業としてこの地域に移り住みその技術を広めた秦氏との関わりを感じた貴重な情報でした。
■古天神公園

郷土博物館を後にしてハケの道(府中崖線)を走ります。(崖線とは、専門用語で
かつて多摩川が流れていた場所の事を指します。)



公園内は、「蝋梅(ろうばい)」が満開でした。

古天神公園は、かつて布多天神があった場所です。多摩川の氾濫で今後へ遷宮されたと聞きます。昭和55年に遺跡の発掘調査を行い、1万年位前の旧石器や4~5千年前の縄文時代の人々の生活跡、近くには5世紀ごろの墓、7世紀の堅穴住居3軒、鎌倉~室町時代頃の地下式横穴墓10基、河原石を積んだ室町~江戸時代の墓10数基が発見されています。 なお、古天神の周辺には、このような各時代の遺跡が多く発見されています。

■ 下布田遺跡


下布田遺跡と近くで遭遇した大木(枝のはり方がちょっとコワイ)
今は、雑木林になっていて、あるのは案内板だけ。埋蔵物は近くの資料に収蔵されているそうです。案内板には、方形配石遺構の写真が掲載されていました。人の頭くらいの大きさの河原石を六百個以上使って、一辺約八米の方形区画に並べた墓域と言われているようです。ここで、先ほど郷土博物館で見た“耳飾り”が出土されたそうです。

■染地せせらぎの散歩道

調布市には、布田とか染地とか布に関連する地名が多いのですが、ここもそんな場所。もともとは武蔵野の「ハケ」と呼ばれる湧水群から流れ出た小川があった場所でその上を遊歩道とした場所。遊歩道を過ぎれば狛江市です。ここから多摩川まで続く根川緑道は、桜の名称だとか。桜の季節はサクラのトンネルになるようです。
前述で紹介した多摩川から少し入った「万葉の碑」の歌にもあるように、江戸時代までは多摩川で布をさらしていた記録が残っておりこの辺り一帯の地場産業であったのも疑う余地はありません。

染地せせらぎの散歩道 国領町まで300m程続きます。

伊豆美神社を出て、レンタサイクルの返却地 仙川駅まで、都道114号をひたすら北上しました。6時ちょうどに仙川駅に到着。レンタサイクルの返却場所が判らず駅周辺をウロウロしましたが無事に返却出来て、帰路に着きました。本当ならば立ち寄り温泉にも寄りたかったのですが、さすがに時間切れ。
調布駅を午後からスタートし、普段自転車を乗り慣れていないのと運動不足もあって、深大寺迄の坂などでは息切れ状態。少々ハードな一日(無謀?)でしたが、普段なかなか訪れる機会の無い神社なども散策できて、それはそれで貴重な休日でした。

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