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東京調布界隈散策 part2(神社散策編)

2009-03-11 | 神社・仏閣
布多天神を後にして、佐須街道沿いの「虎狛神社」へ向かいます。
「虎狛神社」読み方は「こはく」と読みます。琥珀神社とも書かれるようです。ただ「狛」は「こま」と読みますが「はく」とは読めません。この辺りちょっとWEBで調べてみたところ延喜式神名帳の編纂のおり「虎柏」と誤記したのが理由みたいです。「狛」は「こま(高麗)」左須街道を西へ行けば、調布市と隣接する「狛江市」です。この辺り調べて見ると、どうやらここ「虎狛神社」は「こま(高麗)神社」だった様です。
これを裏づける理由として、この周辺には渡来人が移り住んでいた事が判っています。すぐ近くに名刹「深大寺」がありますが深大寺と言えば「蕎麦」で、大陸から持ち込んだ渡来人(高麗)達が、ここ武蔵野で栽培していたのがルーツだとか。
そんな彼らの産土神として、ここに高麗神社があっても決しておかしくはないですね。
祭祀は、大歳御祖神と倉稲魂神。大歳神は、尊饒速日と同体とも。(ちなみに、千と千尋の神隠しでハクこと“ニギハヤヒコハクヌシ”なるコハク川の主神、白龍の化身が登場しますが、一説には宮崎監督がこの虎狛神社からヒントを得たとか。このすぐ裏手には、野川という川が流れていて、コハク橋という橋もあります。)
倉稲魂神は、穀物の神様ですからやはり地域密着の神社であったのでしょう。

高麗神社であれば、渡来人の祖神「高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)」をお祭りしているはずですが、なぜ「大歳御祖神」ニギハヤヒに遷神されたのでしょうか?このあたりは、調べると何か面白い事実が分かるかも知れません。


良い感じの「額束」やはり虎狛神社と書かれています。すぐ手前は、深大寺詣での参道だった佐須街道

社殿 神社には珍しい北向きのお社です。

クロマツ伐採跡 かつては、名所図絵にも描かれた都内の三大巨松のひとつ。近年、枯死して伐採されてしまったそうです。

場所:東京都調布市佐須町1-14


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