先日テレビの番組で、「ホノルルマラソンになぜ参加するか?」
というテーマ?だったかをしていました。
ご子息が、ホノルルマラソンに毎年参加しています。
という方がいらっしゃるので、ぼんやり見ていると、
参加理由の第一位が、「達成感を味わうため」でした。
少女時代、体が弱かった私は運動をしませんでした。
夫は、バスケのキャプテンをするほど運動をした人です。
「若い時に一度はマラソンなり、なんなりやったーという経験は必要だ。」
とよく言います。
残念ながら、私には経験がないので
その事について論を張れない!
「真夜中のピクニック」恩田陸著という小説があります。
あんな感じかもしれないなぁ。と考えています。
何も考えずひたすら走る・歩く。
武道の形みたいなものなのでしょうか?
武道の形のように日々無心に鍛錬すれば、
その先に違ったパワーが得られる。
私たちは、限界を自分で決めてしまっています。
それを乗り越えるために日々の訓練はあるように思います。
きっとそれはマラソンだけではないでしょう。
芸術の世界も、家庭も対人関係も皆同じかもしれません。
でも、達成感って一瞬のもの。
その先にはまた、ながーい道のりがあるのですよねぇ。
というテーマ?だったかをしていました。
ご子息が、ホノルルマラソンに毎年参加しています。
という方がいらっしゃるので、ぼんやり見ていると、
参加理由の第一位が、「達成感を味わうため」でした。
少女時代、体が弱かった私は運動をしませんでした。
夫は、バスケのキャプテンをするほど運動をした人です。
「若い時に一度はマラソンなり、なんなりやったーという経験は必要だ。」
とよく言います。
残念ながら、私には経験がないので
その事について論を張れない!
「真夜中のピクニック」恩田陸著という小説があります。
あんな感じかもしれないなぁ。と考えています。
何も考えずひたすら走る・歩く。
武道の形みたいなものなのでしょうか?
武道の形のように日々無心に鍛錬すれば、
その先に違ったパワーが得られる。
私たちは、限界を自分で決めてしまっています。
それを乗り越えるために日々の訓練はあるように思います。
きっとそれはマラソンだけではないでしょう。
芸術の世界も、家庭も対人関係も皆同じかもしれません。
でも、達成感って一瞬のもの。
その先にはまた、ながーい道のりがあるのですよねぇ。