サバ奈子

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白老町 野外彫刻 その6

2021-07-04 07:34:46 | 野外彫刻

白老町立白老中学校の敷地に彫刻あり。

一目でわかる作風。

二つの世代
國松明日香

銘板はないが、昔は作品名と作者名を書いた木の看板があったようだ。

白老町立白老中学校
白老郡白老町字東町5丁目3番1号

白老アイヌ民族記念広場です。

敷地内にアイヌ碑があります。

碑文
その昔、私たちアイヌの先祖は、悠久の歴史をこの北海道シラウオイ(白老)の
大地に刻んできた。
そして、自然への畏敬と恵みに感謝し、アイヌの生命を自然にゆだね、独自の
精神文化や世界観などを育んできた。
しかし、明治期以降の開拓の伸展や同化政策などに伴い、生活環境は大きく変化し、
生活の不安と苦渋は筆舌に尽くしがたいものがあったが、私たちの先祖は、風俗
習慣を異にしながら和人に多くの支援と利便を供与し、アイヌ民族としての復権を
図るべく共に力を尽くした。
この地は、アイヌの子弟が教育を受けた白老第二小学校があった地であり、また、
コタンのシュバイツァーとして地域住民に献身的な医療活動をささげられた故
高橋房次先生の病院跡地であり、アイヌ民族にとってゆかりの地でもある。
ここに先祖の遺志に報い、今日の白老の繁栄と基盤をつくり上げた先人アイヌの
幾多の労苦と偉業を讃え、関係者の篤志によってこの碑を建立する。
2005年8月10日
白老アイヌ碑建立実行委員会

ここでは毎年「白老アイヌ碑先祖供養祭」が行われています。

さらに胸像があります。

高橋房次先生像

白老アイヌ民族記念広場ができたときに、白老町中央公民館から移設されてきました。

中央公民館は玄関前の庇の下にいたのに、雨風にさらされて

鳥のフン害がひどい場所に移されてかわいそうです。

原型師 永原廣
高岡市
鋳物師 堀安正

顕彰碑 これは文字起こしできん!と思ったら、

胸像の下に同文が刻まれており、何とか文字起こしできました。

高橋房次先生は明治15年栃木県下都賀郡問々田町に生れ明治36年東京慈恵医学専門
学校を卒業 大正11年町立白老土人病院長として赴任しアイヌ人の医療は勿論一般
村民の衛生思想の普及啓蒙に専念し尓来全町民に対し貧富の別なく医療費等を度外視
し精魂の限りをつくした先生の医療態度は万人敬慕の的である之れ故に昭和30年9月
白老町名誉町民第一号に推された ここに五十余年間真に医療報国に徹した先生の
功績と恩義に酬ゆるべく北海道文化賞を受賞された本日文化の日を期し町民挙つて
この胸像を建立し先生の偉業を永久に記念するものである
昭和34年11月3日
高橋房次先生功績顕彰会

北海道庁立白老病院(高橋医院跡地)
この跡地は、旧土人保護法による保健の目的で、北海道庁が大正11年、道費
5500円をもって白老村に白老病院を建設(同年3月7日開院)し、高橋房次先生が
初代の院長(昭和13年から高橋医院として引継ぎ昭和35年に逝去されるまで医療)
となって、大正から昭和にかけて献身的に地域医療活動を生涯まで捧げたゆかり
の地である。
病院は総建坪63坪(207.9㎡)、診療室兼薬局、治療室兼看護室、応接室1、
病室2(ベッド数6)があり、院長住宅が付属し、共同浴場を併設していた。
当時の新聞記事によると、会員から5か月間で、外来4386人入院264人となる
ことが報じられている

・・・(新白老町史より)


白老アイヌ民族記念広場
北海道白老郡白老町大町2丁目1−9

コメント
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