サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

白老町 野外彫刻 その10

2021-07-08 05:34:51 | 野外彫刻

既に野外彫刻ではなくなってしまっています。白老町の最後になります。

POROTOMINTAR
ポロトミンタラ(白老駅北観光インフォメーションセンター) です。

敷地に隣接してSLがあります。

社団法人白老青年会議所
創立三十周年記念品

蒸気機関車(愛称:SLポロト号)
D51333

製造年月日 昭和14年12月17日
製造所 日本車両製造株式会社
機関車の寸法 長さ:19.73m 高さ:3.98m 幅:3.00m

機関車の重量(運転整備のとき)125.77t
動輪の直径 1.40m
水の量 20t
石炭の量 8t

主な運転路線 室蘭本線・函館本線・江差線・松前線・夕張線・万字線・幌内線
廃車年月日 昭和50年11月5日
総運転粁 26,494,437km(地球約66周相当)
保存展示 昭和51年9月13日からポロト湖畔
     平成20年3月31日から白老駅北広場

民族共生の人 松浦武四郎
松浦武四郎は、幕末にアイヌ民族と心を通わせ、現代にアイヌ文化を
伝えるなど数々の業績を残したヒューマニズム溢れる人でした。
生まれは伊勢国須川村(三重県松坂市)、少年期から人々の温かさに
触れながら、全国を旅する中で豊かな知識と真実を見抜く力を養い、
弘化2(1845)年にアイヌモシリ(蝦夷地)に初めて渡りました。
そして、この大地で生きるアイヌ民族の固有の文化に深く心を打たれ、
アイヌ民族の信頼に支えられながら、夢と情熱と権力に対する反骨精神
を胸に、全六回、およそ二万キロを踏査しました。
これらの探検の記録は百五十一冊の書物にまとめられ、うち五回訪れた
白老の様子は「初航蝦夷日誌巻之七」、「按東扈従巻之五」「丁巳東西
蝦夷山川地理取調日誌 於沙流別日誌」、「東蝦夷日誌弐編」に詳しく
記されています。
明治維新を迎え開拓使の判官を務めた武四郎は、蝦夷地に代わる名称と
して、古くからアイヌ民族が暮らす北の大地という思いを込めて「北加
伊道」を提案、そこから「北海道」の名が生まれました。
加えてアイヌ語地名とともに、国名(後の支庁名)や郡名の選定にあた
るなど、武四郎はアイヌ民族と和人が共に暮らすことができる社会を
目指して行動した民族共生の人だったのです。
平成26年10月 白老町長 戸田安彦

武四郎が白老を訪れて詠んだ和歌
一しきり 過るみぞれに 見上げれば しら老が峰は 雪に白めり

幕末の白老の様子
シラヲイ 従ホロベツ会所八里廿七丁、陸地七り、従境目六里十七丁
五間、制札、備蔵、会所、通行や、勤番所、板くら五、芽くら、馬や、
漁や、土地東南向、素浜、船沖懸り、土地平地なり、一里余上に到る、
山有、辨天社、阿弥陀堂 慈覚大師作三尊弥陀、名義、シラウは蛇の
事也、此地に多きが故号し也、土人 文政改 七十二軒、三百三十余人、
安政改 八十二軒、三百九十九人、産物、鰯、鮭、昆布、鱈有、鯡、
雑魚粕、鹿皮、椎茸、海鼠多し、又紫根多し、惣て此邊北西山を受、
巳午向浜にして暖気也、是より沙浜なり、△又是より上十二丁、仙台家
陣屋安政甲寅年立り有、西に白老川を被所、三好監物縄張にて築き、
旭岡と号く、川水を曳、沼地を掘て用水となし、是に塩釜社を勧請し、
邸中より眺望する所を以て十景を作る 啓明山霞、盤井川桜、宮川夕立、
中川夏月、大野萩、新川氷、泉橋眺望、月峰鹿、泉川雪、旭岡神祇、
是皆三好氏の功業なり
「東蝦夷日誌 弐編」より

中に入ってみましょう。

白老土産が売っています。

イートインスペースがあります。

熊の彫り物があります。

山田國峰 作

フクロウの彫り物があります。

彫刻師 山田祐治 

アイヌ文様のレリーフあり。

白老編は文字起こしが多くて大変だった。

POROTOMINTAR
ポロトミンタラ(白老駅北観光インフォメーションセンター)
白老郡白老町若草町1-1-21

 

コメント
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