JR追分駅です。
敷地内に動輪があります。
動輪とレール
この動輪と主連棒はD51465号機のものである。465号機は昭和15年に製造され、
以来、北海道貨物輸送の花形として活躍。追分機関区には昭和48年、小樽築港
機関区により転属、夕張線室蘭本線の石炭輸送を担い、昭和51年にその使命を
DLに譲り、静かにその火を消した。晩年静態保存で各地より要望されたが、昭和
51年4月13日、追分機関区車庫の火災により僚友のSL4両とともに焼失した。
この動輪を支えている左側のレールは、1898年(明治31年)、アメリカのイリノイ
社で製造され日本に輸入。阪鶴鉄道(私鉄)で使用された。その後、大正5年追分
機関区転車台の側線となり、昭和58年8月、転車台改造時に発見された。
右側のレールは北海道官設鉄道(道庁)が発注した、アメリカのカーネギー社が
1900年(明治33年)に製造したものである。
駅前に橋があり、
安平川にかかる
追分橋です。何か鉄道の部品が組み込まれていますね。
安平川の堤防に
壁画有り。小さくて見えないな。手形がいっぱいあります。
拡大しました。これを見たとき、一瞬ぎょっとしました。(気持ち悪かった)
小学生くらいが描いた絵でしょうか。
だいぶ色がはがれているものもあります。
これは列車に乗る子供たちの絵ですね。
橋ができたのが昭和60年12月なので、その頃の作品でしょうか。
追分駅から由仁町方向の230号線の国道へ向かう途中、最初の信号機の手前
に石碑あり。
青年流汗之碑
北海道産業開発青年隊は本道開発の基本的精神を「働きつつ学ぶ」という理念の
もとにその流汗の第一歩を昭和36年7月にこの地に印した その情熱と功績を讃
えて碑を建て、永く記念す。
昭和42年7月
北海道開発局 札幌開発建設部長 森勝平
昭和42年7月10日建立
施工者 富士ブロック建設株式会社
碑文の「産業開発青年隊」とは何ぞや?と調べてみると、
太平洋戦争直後、農村に次男三男などを中心に過剰な労働力があふれた。また
戦後の復興をになう建設現場には、ブルドーザーなどの機械はほとんどなかった。
このような状況から、「働きつつ学ぶ」という教育理念のもと、第一線の技術者を
養成する「産業開発青年隊」が、昭和28年、当時の建設省に発足し、北海道では
36年に誕生した。国の事業のなかで、一般教育と機械施工の技能教育を行い、
有能な人材を建設業界に送ることで、北海道開発の促進に貢献することを目的
とした。
若者を表わすYがモチーフで、どうやら砂川や深川など、他にも同じものがある
らしい。
JR追分駅
北海道勇払郡安平町追分中央