さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんの退院が近いかもしれません

2024-05-17 22:13:07 | 肺炎

5月14日の朝9時41分、前日にひき続き病院から電話がありました。

前日のこともありますから、さほど心臓には負担がかかりませんでした。

前日に「相談員の方からも電話が行くと思います」と言われていましたし。

とは言え、やっぱり病院からの電話は嫌なものです。

 

やはり相談員さんからでした。

さっちゃんの転院先や療養病棟への移動についてだろうと思いました。

ところが、そうではありませんでした。

なんと! なんと! いきなり退院についてでした。

 

5月14日15:23。この日のさっちゃんはどんな風だったのでしょう? この日の面会から数日後に書いていますから忘れてしまいました。僕だって数日後にはいろいろ忘れてしまうことがあるのですから、さっちゃんは僕が連日面会に来ていることを覚えていないのかもしれませんね。それでも、僕は会えることが嬉しいです。

 

この日も朝に、退院についての電話が掛かって来ました。

内容は前日のと同じですね。

 

5月15日16:40。この日もさっちゃんはよく目を開けてくれています。それに何やら喋ってもくれます。意味は感じられませんが、僕に語りかけてくれてるように感じます。僕がいない時、一人でいる時は、こんな風に声を発しているのでしょうか? 目の前に人がいるから喋っているのだとすると、やっぱり僕に語りかけているんだと思います。

 

僕の勝手な思い込みなのかもしれませんが、さっちゃんは僕を見つめてくれていると思います。

もちろん、赤ん坊がそうであるように人の顔をとりわけ強く認識しているだけなのかもしれませんが。

 

この日は洗濯物も箪笥の棚の中に入っていました。

メモ用紙が貼ってあって、どうやら汚れているようです。

汚れているということは、便か尿か、ですね。

帰宅してから、洗濯物をチェックしてみました。

浴衣の寝巻きのお尻より下に便がたっぷり付いていました。

オムツから漏れて出て来たんですね。

お風呂場で便で汚れた部分にお湯を掛けて便を落とします。

バケツで受けているので、バケツの中のお湯をトイレの便器に運んで流します。

お湯を掛けるだけでは落としきれませんから、結局最後は素手で落としました。

ヌルッとした感触が手に感じられます。

自宅で介護していた頃にも便との格闘はよくありましたから、久し振りで懐かしくさえありますね。

浴衣の寝巻きに付着したヌルッとした手触りがほぼ無くなって、その寝巻きを洗濯機にかけました。

洗い終えて見てみると、便で汚れた部分が黄色っぽくなっています。

どうすればいいんだろう?

あっ、そうだ! 漂白剤を使おう!

これまでの人生で僕は漂白剤なるものを使ったことがありません。

探してみると、ありました。

さっちゃんが買っておいたのですね。

細かな文字で書かれた使用方法を何とか読み解いて、バケツにお湯と漂白剤を入れました。

そして、そこに寝巻きの黄色く色の付いた部分を浸しました。

書いてあった時間浸して、ビニール手袋をはめた手で絞って確認すると、黄色みが消えています。

さらにお湯で何度かすすいで、2度目の洗濯機にかけました。

洗濯終了し、薄暮の中、ベランダにひとつ寝巻きを干しました。

その日の晩はそれから雨なんです。

でも、翌日(16日)は山の仲間と天覧山で岩トレしますから、朝はバタバタしています。

とりあえず、夜から干しておくことにしました。

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連日、さっちゃんと面会できるのが嬉しいですね

2024-05-14 13:17:40 | 肺炎

5月7日(火)は、本来ならばI老健でS田さんと面談を行なう日でした。

入院すると、いったん退所扱いになるようで、入所者ではありませんから面談もありません。

そればかりか、さっちゃんの持ち物を全部持って帰らなければならないんです。

まあでも、持ち物のほとんどは入院生活で必要なものでしょうから、どうせ運ばなくてはならないのですけれどね。

 

この日は午後から雨が降りやすくなる予報でしたから、雨の予報と睨めっこしながら、自転車で出かけました。

100リットルの登山用ザックを持って行きます。

I老健に着くと、さっちゃんの荷物が手押しの荷台に載せられて大きな段ボール箱に入っていました。

たいした量はなくて、70か80リットルくらいの量で収まりました。

そして、病院へ自転車を走らせます。

さっちゃんの居る病棟のNSへ行くと、面会の手続きをします。

荷物は適当に備え付けの箪笥に入れればいいとのこと。

5月7日14:39。さっちゃんは窓際のベッドにいました。マスクはしてなくて、酸素チューブは鼻に入っています。頭の下にはアイスノンのようなものがあります。勿論いろんなセンサーや点滴も。

 

写真の右端にちょっとだけ見えているのが箪笥です。

細長くて、容量はほんの少しです。

そこに衣類や口腔ケア用のもの、入院中に必要そうなものを入れました。

寒い時用の膝掛のようなもの等は持って帰ることにします。

 

荷物整理が終わると、さっちゃんのそばへ。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」

「大変だったね~」

「目を開けてごらん」

と語りかけます。

老健での面会と違うのは、さっちゃんが目の前に居ること。

さっちゃんの手を持ち、時々顔を撫でたり出来ることです。

さっちゃんはどう思い、感じているんでしょう?

解熱剤も投与しているでしょうから、この時はさほど熱は高くありませんでした。

そして、ほんの時にですけれど、目を見開いてくれます。

うっすらと半分ほど見開くだけですけれど、僕を見てくれます。

僕のことを分かってくれているかどうかは分かりません。

でも、その一瞬だけでも見てくれれば、ほんのちょっとは幸せな気分になれます。

 

5月8日14:53。酸素チューブが鼻から外れましたね。それだけ容態は良くなっているのだと思います。この日はあまり目を開けてくれませんでした。でも、この写真では左目が少しだけ空いてますね。

 

ティッシュがなかったので、家から持って来ました。

前日は病院の用意した寝巻きを着ていましたが、この日はさっちゃん自身の寝巻きでした。

看護師さんは浴衣タイプの方がいいと言っていましたが、着ているのはパジャマタイプのでした。

看護師さんが来たので、「今日は熱が下がって来たようですね」と僕が言うと、

「でも、朝は40度ちかくあったんですよ」とのこと。

痰の吸引も2時間おきに行なっているそうです。

 

5月9日15:59。ほんの時々、うっすらと目を開けてくれるさっちゃんです。この日は左目だけでなくて、右目も一緒に開けてくれることがありました。この写真も、右目が本当にうっすらと開いてるように見えますね。

 

この日はなかなか目を開けてくれませんでした。

と言うか、完全に寝ている様子でした。

それでも、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、目を開けてごらん」と呼びかけ続けました。

だいぶん経って、声を発するようになり、目をうっすらと開けてくれました。

しかも、両目を。

まあ、すぐに目は閉じるんですけどね。

さっちゃんの両手はかなり拘縮していて、胸の前で組んだ状態になっています。

指も握った状態になっています。

その握られた左手の指の中に、僕の指を差し込みます。

僕はさっちゃんの指を擦り、手の平を擦ります。

さっちゃんは赤ん坊のように僕の指をちょっと強く握るように持つんです。

赤ん坊と同様の反射反応なのでしょうかね?

 

箪笥に紙が貼られていて、オムツチェックの記録(多分)が記されていました。

尿と便の記録が+と-で記されています。

尿は常に+、便は全部-でした。

看護師さんが来たので、さっちゃんが便秘気味だと話すと、

「まだ食事をしていませんからね」と言います。

胃瘻からの食事をしていないので、排便が無いのが普通だと言うことでしょう。

栄養も水分も今は点滴を通じて摂っているんですね。

看護師さんに、家からタオルとバスタオルを持って来たことを告げました。

 

5月10日、病棟のNSへ行くと、

「今、1階で検査してますから、しばらくデイルームで待っていてください」と言われました。

で、待っていると、事務の女性が

「4時半くらいに検査が終了するそうです」

「エレベーターで上がって来ますから、来たら一緒に病室に向かってください」

と伝えに来てくれました。

5月10日16:46。検査帰りなのでマスクをしていますね。出かけていたので、意識がはっきりしているようです。目もしっかり開けてくれています。声も出ていました。

 

洗濯は僕がすることにしています。

「分かり易い所に置いておきます」とのことだったのですが、探しても見つかりません。

帰り際、事務の女性にそのことを話すと、病室に行って探してくれました。

見つかりました。

そして、僕を病室に連れて行って、置いてあった場所を教えてくれます。

箪笥の中に、ビニール袋を固く縛って「洗濯物」と書いて置いてあったそうです。

ちょっと分かりにくい場所でしたが、こんな所に置くことがあると分かったので、次からは大丈夫でしょう。

 

5月11日は手術して退院後、初めて沢登りに行きました。会の仲間3人が僕をサポートしてくれました。小さな易しい沢を登ることが出来ました。本当に嬉しいことです。山仲間の優しさに感謝! 写真はこの沢の核心部の滝を登っている僕です。ザイルで確保してもらっています。

 

この日は面会は出来ませんでした。

夕方5時までしか面会できません。

 

5月12日16:19。入院してから、この日が一番パッチリと目を開けてくれていました。声もよく出ていて、高音の声を発してくれていました。

 

金曜日に受け取った洗濯物を12日の日曜日に洗濯しました。

まず、さっちゃんの服を洗濯し、干します。

続いて、僕が沢登りで汗まみれになった服を洗濯しました。

この日は陽はあまり照りませんでしたけれど、風があって、洗濯物はよく乾きました。

ですから、面会の時に持って行くことが出来ました。

 

5月13日(月)の9時24分、さっちゃんが入院している病院から電話が入りました。

さっちゃんが急変でもしたのかと、ドッキリします。

すぐに、そんな Bad News でないことが分かってホッとします。

さっちゃんの容態が安定しているので、この先転院するか同じ病院の療養病棟に移るかの可能性があるとの話でした。

以前もそうでしたが、肺炎自体が収まって来ていても、痰の吸引がまだ必要なんです。

夜も2度3度、痰の吸引をしなければなりませんから、I老健ではまだ受け入れられないのです。

I老健には看護師さんがいますが、せいぜい夜に1度の痰の吸引が出来る程度の体制なんだそうです。

 

この日はでした。

僕は病院まで歩いて向かいます。

5月13日16:25。前日ほどはパッチリとは目が開いていませんが、よく僕の方を見てくれています。時々、視線もよく動いていました。

 

看護師さんが来て、痰の吸引をしてくれました。

からだけしていました。

カテーテルを鼻から入れると、さっちゃんは嫌だと言う声を発します。

嫌に決まってますよね。

僕も自分でカテーテルを鼻から入れてみたことがありますが、実に不快です。

口から喉へは、いったん入れると少し慣れて、あまり不快には感じなくなります。

でも、鼻は違います。

慣れません。

不快極まる感じが続きます。

痰の吸引も2時間おきだったのが、今では2~3時間おきになったそうです。

そして、この日から胃瘻を使い始めたそうです。

もちろん、まだだけだそうですけれどね。

すぐに栄養を入れると、胃がビックリしてしまうので、最初は慣らすことから始めるようです。

箪笥に貼ってある、さっちゃんの排尿と排便の記録を見ると、前々日から排便の欄に「+」が記されています。

栄養はほとんど摂っていないそうですから、宿便か何かなんでしょうかね?

少しずつ胃腸も活動し始めているということなんでしょうね。

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嘔吐からの誤嚥性肺炎で、さっちゃんは救急搬送されました

2024-05-07 22:17:41 | 肺炎

5月6日(月)の朝、I老健から電話が入りました。

「さっちゃんが昨晩嘔吐して、発熱があります。酸素も使っています」

その後、I老健の看護師さんとも話し、

「今日は連絡が行くかもしれませんから、電話を気にしておいてください」と言われました。

僕はそれを了解し、次のように伝えました。

「今日は用があってこれから埼玉県の方へ出かけます。戻るとしても少し時間が掛かります」

その時点では、さっちゃんの詳しい容態は僕には分かっていませんでしたから、最悪のことまで予想していました。

このまま危篤状態になって、最期を看取れなかったらどうしよう?! と。

そんなことを想像すると、が滲み出て来そうです。

 

この日は僕が所属している山岳会YYDのI橋さんから誘われて、天覧山で岩トレをする予定でした。

もう一人参加者はいるのですが、岩登り初心者なので、I橋さんのためにも僕は参加してあげたいと思っていたのです。

電車に乗っていると、I老健から電話が掛かって来ます。

座席を離れ、車両の隅へ行き、小声で話をしました。

「これから救急搬送することにしたので、急ぎその病院まで来てください」と告げられました。

僕はすぐ戻ることにし、同じ電車に乗っているはずのI橋さんを探します。

彼はすぐに見つかり、事情を告げて次の駅で僕は下車しました。

隣りのホームに電車はすぐに来て、僕はそれに乗って戻りました。

駅からはタクシーでまず自宅に戻り、自宅からI老健に電話を入れました。

救急車がもうすぐ来て、病院へ搬送される直前のようです。

病院は以前にも肺炎で入院していた近くの病院です。

 

さっちゃんの保険証などを持って、自転車で病院へ急ぎました。

休日ですから、正面玄関は閉まっています。

夜間通用口から入り、受付で聞くと、さっちゃんが待機している部屋に連れて行ってくれました

 

▲11:13。さっちゃんがいました。見た感じでは、苦しんでいる様子はありません。体温が38.9度あったことを聞いていたのですが、熱っぽい感じもありません。ただ、目を開けることはなく、声掛けしても反応してくれません。血圧、心拍数、呼吸等をカウントするセンサーが体に付けられています。マスクで隠されていますが、鼻には酸素を送るチューブが入っています。

 

スタッフの一人にちょっと離れた場所に連れていかれ、延命措置について確認されました。

僕もこれまで何度も確認されたことなので、感情的になることなく淡々と答えました。

強制的な延命措置は採らないということの確認です。

心臓への電気ショックとか、人工呼吸器とか、を使用しないことの確認ですね。

 

他にも幾つもの書類の説明を受け、サインをしました。

 

時間が空くと、僕はさっちゃんに声掛けします。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」

目は開けてくれません。

点滴などの影響なんだと思います。

 

しばらくすると、病棟へ移動することになりました。

僕も一緒にエレベーターで病棟へ。

さっちゃんは自分の病室へ向かいましたが、僕はデイルームで待つことになりました。

入院に関するより具体的な説明を看護師さんから受けました。

担当医師からも説明を受けました。

この病院では現在、直接面会することが出来ます。

15分間だけですけれど、病室で会うことが出来るのです。

医師に「明日にも面会は可能でしょうか?」と聞くと、

「もちろんですよ。患者さんにとって良いことなので、是非に来てください」と言ってくれます。

「よしっ、明日は病院へ来る用事があるので、面会しよう!」と決めました。

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K子さんが面会に来てくださいました

2024-05-01 21:26:19 | 面会

僕が入院する直前、2月8日にK子さんが面会に来てくださいました。

その後、コロナ感染等の影響もあって面会の出来ない状況が続きました。

ですから、ほぼ3ヶ月ぶりにK子さんはさっちゃんとの面会が出来たことになります。

有難いことです。

 

さっちゃんの意識は確認のしようもありません。

しかし、認知症は新しい記憶よりは古い記憶の方が残っている可能性が高い病気です。

僕との濃密な生活や刺激的な登山や旅の記憶よりは、子供の頃の姉妹の生活記憶の方が残っているのかもしれません。

僕からすると、悲しいことです。

でも、絶対にさっちゃんの意識の底に僕の記憶も生きていると信じているのです。

 

電車とバスでI老健まで来てくれるK子さんはすでに到着していました。

▲15:01。さっちゃんは最初は割と目を開けてくれていました。妹のK子さんが来てくれていると分かったからのような気がします。声も最近の中では数多く大きく発していました。何か喋りたいことがあるのだと思います。この日はずっとK子さんに通話機を持ち続けてもらいました。

 

▲15:03。いちばん目を見開いてもこの写真程度でした。目を開けるのには力が要るのでしょうかね? 

 

時間は無情にもすぐに過ぎていきます。

K子さんも言っていましたが、早く直接会えるようになって欲しいものです。

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さっちゃんの服を洗濯するのは楽しいですね

2024-04-29 17:50:14 | 洗濯

さっちゃんの洗濯物の外注を止めて、半月以上は経ちました。

自力で生活する体力が戻って来て、さっちゃんの服の洗濯をする余裕も生まれたわけです。

ただ、さっちゃんのものを洗濯すると嬉しいですし、力も湧く気分です。

離れて住んでいるさっちゃんと一緒に暮らしているような錯覚を一瞬ですが感じられるのです。

錯覚だと分かっていても幸せな気分ですね。

4月26日(金)15:02。雨が続いていましたから、23日に受け取った洗濯物を24日夕方に洗濯して外干し。25日は晴れの日だったのですが、朝から天覧山の予定だったのです。結局、26日も外干ししていました。この写真を撮ってすぐに回収し、I老健へ届けに行きました。

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先週の面会の報告です。今週は面会の予約が取れませんでした

2024-04-23 23:14:56 | 面会

4月17日(水)にさっちゃんとの面会に出かけました。

さっちゃんからは声がほとんど発せられなかったので、何となく寂しいですね。

目を開けてくれるのも少なかったです。

▲15:05。時々、さっちゃんは目を開けてくれます。この写真を撮った時は、何故だか少し顔が斜めに向きました。何か気になることでもあったのでしょうかね。

 

この日は洗濯物も届け、受け取りもしました。

4月21日(日)にも洗濯物を授受しました。

その後は天気が悪くて、洗濯できていません。

23日(火)は洗濯物を受取るだけでした。

今、家には2回分のさっちゃんのまだ洗濯してないのが溜まっています。

 

23日は玄関ロビーに顔馴染みの看護師さんがいました。

なので、聞いてみました。

「直接会って面会できるのは何時頃になりそうですかね?」

「インフルエンザも収まって来ましたよね。コロナはどうでしょう?」

看護師さんは期待を込めて言ってくれました。

「来月中にでも、そうなるかもしれませんがね」

「そうなればいいですね」との思いがこもった発言だと思います。

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雨の日の面会、さっちゃんは前の週より目も瞑ることが多く、声もあまり発しませんでした

2024-04-12 12:07:09 | 面会

4月9日(火)、さっちゃんとの面会です。

朝から雨が本降りでしたが、予報では午後3時くらいから雨が上がることになっています。

いつも通り自転車で行けるか、歩いて行くか、それともタクシーか、ギリギリの時点で判断が必要になりそうです。

気象庁のHPで「今後の雨」を見ていると、午後2時くらいには雨が上がりそうです。

ですから、僕はひとまず自転車で行くことにしました。

出発前になって、雨具を着ていくか、それとも雨の時だけ自転車を押して行くか、決めることにしました。

 

2時前からは、気象庁の「雨雲の動き」をチェックします。

これは5分おきの雨雲の動きを1時間後まで予測するもの。

ただ、それほど正確に5分おきの雨雲の位置が予測できるわけもなく、信頼し過ぎてはいけません。

自転車で大丈夫そうな予報になったので、2時半前に家を出ました。

「雨雲の動き」では雨が降っていないはずなのに、ほんの少しですが雨が降り続いています。

霧雨程度ですから、薄っすらと濡れる程度で、びしょ濡れにはなりません。

充分に傘無しの自転車で行ける程度の降りです。

 

▲15:07。この日のさっちゃんは先週よりも目を瞑っていることが多かったですね。ほんの時々しか目を開けてくれませんでした。この写真ほど目を開けたのは一瞬でした。声を発することも少なくて、僕としては寂しかったですね。

 

「さっちゃ~ん」

「今日は雨だよ~。サクラの花が散っちゃうよ~」

「さっちゃんはサクラ見たのかな~」

桜の話題が多かったですね。

時間はすぐに過ぎてしまいます。

 

終了後、窓口で洗濯物外注の中止をお願いしました。

僕もそろそろ体力的にも自分で出来そうな気がしています。

2日後の11日には、次の面会日の予約をしました。

それと、洗濯物を受取りに行く日も告げました。

さっちゃんの服を再び洗濯できるようになって、嬉しいですね。

 

ちなみにI老健からの帰路ですが、往きよりは雨は弱まっていました。

ところが、気象庁の「雨雲の動き」では本降り状態が続いていました。

この予報はあくまでも「雨雲の動き」であって、雨の予報ではないようですね。

上空に雨雲があっても、地上にまで雨が必ず届くわけではありませんからね。

どちらにせよ、自転車でほとんど濡れることなく往復できて良かったです。

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さっちゃんと一緒に歩いている気分でお花見散歩しました

2024-04-09 11:22:03 | 散歩

多摩川土手はあちらこちらに桜並木が植えられていて、花見スポットが豊富です。

こちらへ引っ越してきて以来、ほぼ毎年さっちゃんと二人でお花見をして来ました。

お花見と言っても、散歩をしたり、レジャーシートを敷いてお昼ご飯を食べたりするだけですけれどね。

 

2021年3月29日14:35。この年がさっちゃんと二人での最後の花見散歩の年になってしまいました。この年の暮れに家の中で転倒し、大腿骨転子部骨折。歩けなくなったり、誤嚥性肺炎を繰り返したりするようになったのです。この写真の前の年くらいからさっちゃんから笑顔が消えていました。自分の意志を伝えられなくなっていましたから、何か苦しさを抱えていたのかもしれませんね。でも、その後一時期笑顔が復活しました。今はまた消えてしまっていますけれど。

 

4月7日の日曜日、僕は独りで花見の散歩に出かけました。

独りですけれど、さっちゃんと二人で歩いている気分で、さっちゃんと語らいながら歩きました。

 

▲13:25。散歩に出かける前に、我が家の桜を観賞。ベランダからこんな感じで見えますから、我が家の桜と呼んでいます。

 

▲13:43。散歩の途中の草っ原の広場にタンポポが何百と咲き誇っていました。さっちゃんとも絶対に一緒に見ていますね。

 

▲13:51。青空バックにソメイヨシノが輝いています。

 

▲13:57。さっちゃんがいれば、菜の花と桜の間に立ってもらうのですけれどね。

 

▲14:08。コロナの影響でしょうか、「桜祭り」は行なわれていませんが、人々は例年と同様に楽しんでいます。最初のさっちゃんの写真と同じ場所です。

 

▲14:28。団地の11階まで上って写真を撮りました。さっちゃんと二人でよくここに来たものです。川はもちろん多摩川です。

 

さっちゃんとの散歩コース、いつもの基本周回コースにも花見スポットがあります。

翌日の4月8日(月)、雨の一日でしたが、夕方に雨の止む時間があったので、散歩して来ました。

 

2021年4月1日17:05。「基本周回コース」が多摩川土手から離れるところにある桜並木。

 

▲16:30。雲に覆われた空に桜の花びらの白が溶け込んでしまっています。上のさっちゃんの写真と同じ場所の桜です。

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N子さんと二人で面会して来ました。S田さんとの面談も3ヶ月ぶりです

2024-04-03 17:25:16 | 面会

4月2日(火)、先週に引き続きさっちゃんとの面会が出来ました。

このペースが続いて欲しいと思います。

この日はさっちゃんの妹のN子さんも来てくださいました。

僕の入院中も含めて、N子さんは2回ほど面会予定が流れてしまっています。

N子さんにも久し振りにさっちゃんの顔を見てもらえて嬉しいです。

 

さっちゃんが降りてくる前に、スタッフさんがこんな風に言っていました。

「眠たそうにしています」

もちろん、そんな日もありますよね。

 

▲15:00。確かに、さっちゃんは目を瞑った様子でここまで来ました。N子さんが通話機で話しかけます。完全な座位姿勢を長くは保てないさっちゃんですから、目線も上向きなのは仕方ありませんけれどね。頭の後ろに何か置いて、視線がもう少し下がるようにして欲しいですね。

 

「さっちゃ~ん」

「今日は暖かいよ~」

「桜も咲き始めたよ~」

「一緒にお花を見たいね~」

N子さんと僕とでさっちゃんにいろいろと話しかけます。

すると、さっちゃんは

「あ~~~」

「お~~~お」

などと、先週の時以上の大きな声で応えてくれます。

声の大きさは体調の良さにも直結していると思うので、嬉しいことです。

 

▲15:04。最初は閉じていた目も開くことの方が多くなりました。写真はいちばん見開いている状態ではありますが、視線は僕たちの方に向けられているようですね。

 

さっちゃんが眠たそうにしていると言われていたのですが、ほとんど目を開け続けてくれました。

もちろん、大きな瞳をパッチリと、まではいきませんけれどね。

薄く目を開け続けてくれていました。

僕たちの語り掛けに対して応えてくれているように感じました。

もちろん、それはこちらの勝手な思い込みだと言うことは分かりますけれど、そのように感じられるのも事実です。

僕や妹のN子さんのことを覚えているんだと思いたいですね。

 

面会時間は無情に早く終了します。

S田さんとの面談までN子さんといろいろとお話しました。

 

相談員のS田さんとの面談も1月以来ですから、3ヶ月ぶりです。

さっちゃんの状態を報告してくれるのです。

体調自体は安定しているそうですね。

1月の面談以降のさっちゃん及び周辺の出来事と言えば、

1月17日:同室者がコロナ感染、さっちゃんも抗原検査すると陰性、念のため部屋は隔離。

2月29日:体熱感あり、37.1℃。

2月下旬~3月12日:コロナ感染予防対策の一環でリハビリを一時的に中止。

          その間は拘縮傾向にあったが、その後戻りつつある。

これくらいで推移しているので、穏やかな暮らしぶりと言えるでしょう。

 

両腕の拘縮に改善は見られないようですが、右足は少し改善がみられるようです。

体温や血圧も安定して、一定水準を保っているようです。

意味は不明ながら、言葉(音声)もよく発しているそうですし、スタッフの皆さんも話しかけてくださっているのでしょうね。

 

ところで、面会のルールが変更になりました。

これまではS田さんが前もって面会予約を入れてくれていました。

今後は毎回電話で予約申し込みをすることとなります。

恐らく面会希望が多かったり、時間が重なったりするケースがあるからなのでしょう。

条件を同じにし、平等を保つために申し込みの方法を同じルールにしたようですね。

 

「さっちゃんに桜を見せてあげることは出来るでしょうか?」と、聞いてみました。

S田さんも、そうしてあげたい心持ちが表情に溢れています。

でも、確かなことは言えませんから、口を濁すしかないようです。

さっちゃんは何年間桜を見ていないのでしょう?!

 

洗濯物についてもS田さんが聞いてくれました。

「まだ、それだけの体力の余力がないのです」と僕は答えました。

でも、そろそろさっちゃんの洗濯物を僕自身で洗いたいものです。

この日も面会と面談で疲れたせいか、夕方6時前にちょっと横になるつもりで布団に入ると、目覚めたのは10時過ぎでした。

夕食を食べるかどうか迷いましたが、空腹感はあったので少し食べました。

食後、ちょっとだけ横になるつもりでしたが、目覚めると朝の5時。

以前はこんな感覚で布団で横になっても、30分とか1時間で目覚めていたのですが、今はこんな具合です。

肉体が睡眠を求めているのでしょう。

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退院後初めて、ほぼ7週間ぶりの面会です

2024-03-28 12:54:25 | 面会

一昨日の3月26日(火)、実に久し振りの面会が実現しました。

先月の2月8日(木)に面会して以来、僕は12日入院した訳ですが、I老健は面会できない状況に陥りました。

コロナ感染者が出たせいです。

2月28日退院し、3月5日(火)には面会できると思っていたら、またまた面会は出来ず。

さっちゃんの妹さん達も2度ほど面会できるつもりで準備してくださったようですが、それもふいになりました。

 

そしてやっと巡って来た、さっちゃんとの面会。

一昨日はは朝から本降りの雨でした。

どうやって行こうかとちょっと悩みました。

雨具を着て自転車で行くか、歩いて行くか。

電車で行く選択肢はありません。

ひと駅しか電車には乗りませんから、駅までの歩きと駅からの歩きを足すと、全部歩くのとさほど変わらないのです。

これまでなら、雨具を着て自転車で行ったと思います。

でも今は、体へのダメージが心配ですから、それはやめました。

当然、歩くのも論外です。

 

選んだ方法はタクシー。

まあ、仕方ないですね。

でも、快適です。

自転車なら30分もあれば行ける距離をタクシーは2800円かかりました。

こんなお金の使い方は有意義です。

 

I老健に到着し、3時を過ぎると、上の階からさっちゃんの車椅子が降りて来ます。

エレベーターのドアが開くと、さっちゃんの姿が。

▲15:06。口をモガモガと動かすので、マスクが下がって来ますね。

 

この日のさっちゃんはまずまず目を開けていてくれました。

それほどパッチリとは開きませんでしたけれど、長く薄く目を開けてくれていました。

「あ~~、う~~」と、時々声も発します。

「さっちゃ~ん! 久し振りだね~」

「今日は朝から雨だよ~」

「もうすぐ、桜の花も咲くよ~」

「僕は少し前まで入院してたんだよ」

「でも、もう大丈夫だよ」

・・・・・・・・・・

 

無情な時間はたちまち経過してしまいます。

いつ頃からだったか、さっちゃんから表情も失われて来ています。

期待は出来ませんし、していないのですが、ほんの僅かでも笑顔の表情が浮かべばと期待しているのです。

でも、当り前のことですが、その期待は裏切られます。

まあいいです。

さっちゃんの体調が変わりなさそうなことが分かっただけで十分です。

 

帰りは雨の中、駅まで歩きました。

電車では帰らず、駅前から出ているコミュニティーバスで帰りました。

この方が自宅の近くまで行ってくれるからです。

バスで待つ間に、銀行でお金をおろし、お菓子を買ったりしました。

 

僕としても退院後初めての面会を無事に終了することが出来ました。

まだ何となく疲労感が以前よりはあります。

入院前にさっちゃんの洗濯物を外注に切り替えましたが、まだそのままです。

もう少し、自分自身の日常生活を余裕で行なえるようにならないと、洗濯も自宅には切り替えられないと思います。

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面会停止はまだ続くようです。さっちゃんにお土産を届けました

2024-03-02 11:59:53 | 介護老人保健施設(老健)

昨日の午後2時23分、I老健から電話が入りました。

内容は予想したとおり、面会できない状況がまだ継続することです。

本来なら来週5日の火曜日が面会日でした。

ですから、その日はまだ駄目です、との連絡が入った訳です。

僕はその電話で退院したことと、その日の夕方までにさっちゃんへの届け物をしに伺うことを告げました。

 

I老健まで自転車で行くことが出来ました。

こんなに早く、自転車に乗れるとは思っていませんでしたから、タクシーやバスと歩きで行くとばかり予想していました。

左足はまだあまり力が入りませんから、サドルを下げ、6段変速の4から3に下げて走りました。

凄くゆっくりとしたスピードです。

以前なら25分もかからなかったのですが、30分以上かかったと思います。

でも、これで退院後も何時でも自由にI老健へ行くことが出来ます。

 

I老健へはさっちゃんへのお土産を届けに行きました。

お土産と言ってもお菓子やお酒ではありません。

僕が入院していた病院の介護ショップで購入したものです。

下着のシャツ2着と薄くて小さな毛布のような膝掛けです。

下着のシャツは何と! 前開きだけでなくて、肩開きなんです。

両腕が拘縮気味のさっちゃんにとっては腕に負担なく着たり脱いだりしてもらうことが出来ます。

 

I老健の看護師さんがロビーまで出て来て、僕の退院を喜んで下さいました。

嬉しいことです。

 

その時はまだ、洗濯物の件については話しませんでした。

入院前から洗濯は外注することにしていました。

それを再び元に戻して、「自宅で洗濯します」とは言いませんでした。

僕自身がまだ自宅での生活に自信が持てていないからです。

もうしばらく自宅生活を続けて、余裕が出来てからさっちゃんの洗濯物を自分で洗うことにしたいと思います。

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入院中の僕にI老健から電話が入りました

2024-02-19 20:32:31 | 面会

今日、2月19日2時16分、I老健から電話が入りました。

気も付かなかったのですが、気付いたとしても病室では電話での会話は禁止です。

ちょうど点滴中でもありましたしね。

点滴も終了し、3時28分、電話室からI老健へ電話しました。

 

何となく用件がなんだかは感じ取れていたので、心配はしていませんでした。

案の定、I老健でコロナ患者が発生したので、明日(20日)面会は中止になります、と言うもの。

再開されたら電話連絡するということですが、来月5日の面会日も中止になる可能性が高いかな?

どうあっても、5日までには退院していて、面会に行こうと思っていましたから、凄く残念です。

でも、退院はして元気になって、面会再開されたら行けるようにしておきたいものです。

 

僕の手術は予想外に上手くいったみたいです。

僕に関する情報はこちらから。

僕の左足大腿部の粘液型脂肪肉腫は19cm (goo.ne.jp)

当初の入院3週間という予定も早まりそうです。

本来なら、5日の面会日にも余裕で参加できそうでしたのに。

 

今日、さっちゃんの下着のシャツを買いました。

病院内の介護ショップで購入したのです。

前開きは当然ですが、なんと! 肩開きもするんです!

ですから、両腕が拘縮気味のさっちゃんでも楽に着脱できます。

取り寄せだったので、まだ届いてはいませんけれどね。

いちばん欲しかったものが見つかりましたから、明日以降は一品一品じっくりと見たいと思います。

 

今回の入院生活にはさっちゃんが使っていた短めのを持って来ています。

食事のたびに、さっちゃんのことを思い浮かべることが出来ます。

退院したら、さっちゃんが20数年前大怪我をした後で最初に登った山を、僕も最初に登ろうと思います。

さっちゃんはその時、両松葉杖でしたけれど、僕は普通に登れると思います。

ストックを1本くらい持って行くかな?

さっちゃんが使っていたストックを。

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1ヶ月ぶりの面会、これから再び1ヶ月は面会できません

2024-02-08 22:42:25 | 面会

先週、面会再開について電話で聞くと、「7日から可能になると思います」とのことでした。

ですから、6日面会申込みを電話でお願いしてみました。

本来ならば、6日の火曜日が面会できる日だったのです。

これまでなら、予約表を確認するのでしょうが、すぐに「では〇日の△時に」と返事が返って来たものです。

ところが、「あとで連絡しますね」との返答。

その日に連絡が来るかと思いましたけれど、結局その日には連絡がありませんでした。

そして、昨日7日の午後、「8日の14時30分に面会できます」と、連絡が入ったのです。

面会が出来なかったのは他の方々も同様ですから、面会の要望が集中しているのだと思います。

相談員のS田さんは僕が12日から入院することを知っています。

なので、その前に1度は面会を実現してあげたいと考えてくださったのだと思います。

有難いことです。

もしかしたら、どなたかの予約を別の日に代えてもらったのかもしれません。

そうであれば、その方にも感謝ですね。

 

K子さんにも面会が決まったことを連絡していました。

そして、来てくださることになりました。

2時半にI老健に到着すると、K子さんはすでに到着していました。

僕は入院前最後の洗濯物を届けます。

以降のさっちゃんの洗濯物は外注となります。

 

▲14:40。さっちゃんの様子はこれまでと変わりはありませんでした。目もこれまでと同様、時々しか開けてくれません。ただ、これまでと違って頭をよく動かしていました。動かすと言っても数センチですけれど、これまでにはなかったことです。僕やK子さんの方を見てくれる時も、視線だけを向けるのではなくて、頭ごと顔をこちらに向けてくれます。(もちろん、僕がそのように感じているだけかも)

 

▲14:41。ガラス越し、通話機を通じての面会。まどろっこしいですね。さっちゃんはほんの時々ですけれど、「あ~~、ヴ~~」と、声を発してくれます。「そうそう。もっと喋ってごらん」。前回とかの声よりも、少し大きな声だったようです。

 

僕は長らく入院しますけれど、面会はしばらくは混み合っているようです。

月に2回という基本ルールに戻るようです。

次回の面会日は入院中で、K子さんが面会に来てくださると思いますが、次々回には退院して、僕が面会に行けるようにしたいものです。

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1月9日を最後にさっちゃんとの面会が出来ていません

2024-02-05 23:53:50 | 面会

1月9日(火)に今年最初の面会がありました。

翌週の16日(火)もK子さんと共に面会に行く予定でした。

しかし10時12分、I老健から電話が入り、面会が中止になったのです。

理由は、入所者の中にコロナ感染者が発生したからです。

感染理由は分かりませんが、正月休みに自宅へ戻り、そこで感染したのかもしれませんね。

翌週の23日(火)の面会は中止になりそうだとは思いましたが、30日(火)の面会は出来るだろうな、と思っていました。

ところが、30日中止、さらに6日(火)中止となってしまいました。

感染者は個室で隔離はされているそうですが、どんな状況なんでしょうね。

さっちゃんには問題は及んでいないそうですけれどね。

7日からは通常に戻ると思いますから、そこで面会予約をしてみたいと思います。

入院前に一度はさっちゃんの顔を見ておきたいですからね。

入院前に一度、面会が実現しても1ヶ月ぶりの面会です。

僕が入院しますから、退院後の面会も再び1ヶ月後になってしまいます。

寂しいですね。

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2週間ぶりにさっちゃんに面会し、その後、S田さんとの面談では僕のがんを報告しました

2024-01-11 22:35:13 | 面会

年末年始の期間はI老健も休日体制です。

面会も出来なくなります。

新しい2024年最初の面会1月9日(火)でした。

クリスマスの日に面会して以来ですから、15日ぶりの面会ですね。

 

エレベーターの扉が開き、車椅子でこちらに向かって来たさっちゃんの様子は昨年と変わらないようです。

「さっちゃ~ん、こんにちわ~」

「もう2024年だよ。明けましておめでとう!」

「さっちゃんは元気でしたか~」

僕から一方的に話しかけ続けます。

さっちゃんも少しかすれた小さな声「あ~~、ヴ~~」と喋ってくれます。

「そうそう、もっと喋ってごらん。あ~あ~」

「今日はね青空がとっても綺麗だよ」

「もうすぐ水仙とか花が咲くよ~。来月には梅も咲き始めるよ~」

「一緒に見たいね~」

すると、さっちゃんは「あ~~、う~~」と小さな声で喋ってくれます。

まるで「そうだね。一緒に見に行こうよ」と返事しているみたい。

僕にはそう聞こえる、否、そう聞こえたいんです。

 

15分間、一人でさっちゃんに喋りかけ続けるのはそれなりには大変です。

でも、係の人が近づいて来て、「もう時間ですから」と終了を告げられると、もっと時間が欲しい気持ちが強くなります。

僕はさっちゃんがエレベーターに乗る後ろ姿を見送りました。

▲15:09。この日も目を開けたり閉じたり、半々くらいでした。目を開けてもこの写真くらいがMAXでしたね。何やら小声で喋ろうとするので、もぞもぞ動く口のせいで、マスクがだんだん下がって来ます。散切りぽかった髪の毛も少し長くなって来て、女性らしい髪になってきましたね。

 

面会の後は、月に一度の相談員S田さんとの面談です。

最近のさっちゃんの様子や今後の介護方針などの提示がありました。

以下、その内容を箇条書きにして記しておきます。

一般的な事柄は書き留めず、少し注目する箇所だけを抜き書きします。

・体重:29.0kg(僅かですが、増えたようです)

・筋緊張は落ち着いていて、動かすことに抵抗も減ってきた

・右膝関節の拘縮も少しずつ改善している

・体調を見ながら、離床時間を設けていきます

・1日800Kcal提供

・離床時間を設け、リトミックなどの活動に参加し、少しずつ刺激がある生活が送れるよう取り組む

・経管栄養の前と必要時に痰吸引を行なう

・オムツ交換や着替え、移乗などは2名で行なう

・車椅子での離床時間を増やす

そして、最後に特記事項として、以下のように書かれていました。

《身体機能面》

・入所時の筋肉のつっぱった状態は改善され、ベッド上では穏やかな表情でいることが増えました

・右下肢の可動域も少しずつ広がっています

《口腔機能面》

・入所時は口腔内不衛生でしたが、現在は清潔を保てております

・今後もプログラム継続にて機能維持や誤嚥予防につなげていきます

 

S田さんからの報告終了後、今度は僕からS田さんに報告しました。

もちろん、僕の病気のことです。

手術日等、概要だけですが伝えました。

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