さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

8年ぶりに僕は北アルプスへ行きました。その1日目は涸沢まで。そして、遥か昔の想い出話を長々と

2022-09-01 23:52:23 | ザイルと焚火と焼酎と

北アルプスは僕にとって遥か遠くの異国の山のような存在でした。

テレビで上高地のニュースを見ても、自分で訪れるには遠すぎる憧れの地でした。

30歳を過ぎて、クライミング技術を教えてもらおうと入会した山岳会で、僕は初めて北アルプスへ行ったのです。

僕のお師匠さんはアルパインクライマーでしたから、入会翌年のGWに岳沢へ連れて行ってくれました。

そこをベースにして、奥穂南稜とコブ尾根を登攀したのです。

同じ年の8月には北鎌尾根、帰京してまたすぐにトンボ返りで北穂小屋で連泊し、滝谷を登攀しました。

北穂小屋へは北穂東稜をアプローチに使いました。

滝谷はクラック尾根、第4尾根、第3尾根を登攀しました。

お師匠さん達パーティーと、僕のパーティーの2パーティー4人で行きました。

そして、この滝谷で僕は初めてさっちゃんとザイルを組んだのです。

 

今となって振り返っても、怒涛の北アルプスデビューですね!

クライミング始めて間もない僕を連れて行ってくれたお師匠さんの勇気に感心します。

 

その翌年から僕とさっちゃんはザイルパートナーとなり、一緒に岩トレをするようになって、沢へも行きました。

でもその夏、さっちゃんは吐血して胃潰瘍で入院してしまいます。

さっちゃんにとっては勿論ですが、僕にとってもショッキングな出来事でした。

でも、このことを契機にふたりの心がより接近したのかもしれませんね。

当時のことに想いを馳せていると、その後のさっちゃんとの山行を思い出してしまいます。

しかも、当時の主要な山行のメモまでが見つかりました。

紙に書いてあるだけですから、このブログにも記録として書き留めておこうと思います。

 

以下はすべて、さっちゃんと一緒の山行です。

1987年8月 剱岳八ッ峰6峰フェース(CフェースとDフェース)、八ッ峰上部と源次郎尾根縦走

1988年8月 剱岳チンネ左稜線と中央チムニー。下山は小窓まで進み、小窓雪渓下降~欅平

1989年8月 6月に会で重大事故が発生したため、本番は自粛。小川山で飲んだくれながらクライミング

1990年8月 滝谷:第3尾根と第4尾根

1991年8月 剱岳八ッ峰6峰フェース

1992年8月 アメリカのヨセミテへ旅行:ハーフドームを登山道から登頂、小さな岩場をトップロープで遊んだり

1993年GW 越後三山。夏休み中の北アルプスは雨だったよう

1994年8月 北鎌尾根~槍ヶ岳~北穂~奥穂~西穂~焼岳(僕が四十肩で登攀はせず)

1995年5月 さっちゃんが帯状疱疹で入院。8月 前穂北尾根

1996年8月 奥又白池~前穂A沢~前穂北尾根下降、横尾本谷右俣

1997年8月 明神東稜(この当時、僕は原因不明の倦怠感があり不調)

1998年2月 愛鷹連峰でさっちゃんが脛骨骨折の怪我

 

僕は基本的に沢屋なので、沢登りをすることがほとんどです。

上記記録以外の春から秋は、ほとんど沢登りをしています。

でも、お師匠さんがアルパインクライマーだった影響で、岩登り本番の楽しさも知ってしまったのです。

さっちゃんは岩登りが僕よりも上手でしたから、上記のような山行も楽しむことが出来たのです。

 

さっちゃんは1998年2月に膝を骨折し、2回の手術と計9ヶ月の入院をしました。

膝が曲がらなくなり、正座が出来なくなりました。

膝に大きな負荷を掛けられなくなりましたから、ザックも10kg以上は背負えなくなりました。

だんだんと慣らせば、それ以上背負えるようになったのかもしれませんが、怖くて僕は背負わせられませんでした。

大怪我後、最初の登山は標高192mの近所の山でした。

両松葉杖で登りました。

その後、装具とストックで歩くようになり、下りでケーブルカーを使える高尾や御岳周辺コースをよく歩きました。

退院から10ヶ月後には岩トレを再開し、11ヶ月後には雪山を歩きました。

2年10ヶ月後には沢登りにも行くようになりました。

7年半後には剱岳源次郎尾根をさっちゃんは再び登るまでになりました。

さっちゃんはその時65歳です。

 

北アルプスということで、僕はどうしてもさっちゃんとの山行を思い出してしまいます。

今年の山行とは関係のない話題でしたが、長く書き過ぎました。

いつかこのブログでそれぞれの想い出を綴る機会もあるかと思います。

思い出話はここまでです。

 

今回の山行について、詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

お盆山行1日目 ――― 初日はのんびり涸沢まで。僕は夜のアルコールを控えました

▲16:18。前穂北尾根の全貌(登攀する上部だけですが)が見える場所まで来ました。右から1峰(前穂高岳)、2峰、3峰がまずは連続してあります。その左に4峰、写真の左の平らなピークが5峰です。

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モミソ沢で滝のリードをさせてもらいました。初心に帰ってこれからも成長しなければと思いました

2022-08-22 23:40:06 | ザイルと焚火と焼酎と

僕のお師匠さん還暦を迎えたころにほぼアルパインクライミングの第一線を退きました。

当時は50代で一ノ倉沢や滝谷を登攀しているクライマーは珍しくて、お師匠さんは目立つ存在でした。

日常的にジョギングや腹筋・背筋のトレーニングをしていると、聞いていました。

冬が近づくと、アイスクライミングのために木刀の素振りも加えていたそうです。

そんなお師匠さんでしたが、還暦が近づくにつれクライミング能力がみるみる低下してしまったのです。

 

その一因は僕を弟子にしたことに理由があると、僕は感じています。

何故かと言うと、僕がお師匠さんから岩場をリードする機会を奪ってしまったから。

お師匠さんに指導してもらうようになって1年後くらいから、僕は毎週一緒に山へ行くようになりました。

必ず木曜日に電話を入れて、週末の計画を聞き、山行を共にするのです。

丹沢での登攀的な沢登り、谷川の一ノ倉沢や幽ノ沢、赤岳西壁での冬の岩稜登攀、アイスクライミング等々でした。

岩トレも、越沢バットレス、三つ峠、氷川屏風岩、日和田などへよく通いました。

雪山も谷川の西黒尾根、富士山などをよく登りました。

GWには岳沢から奥穂南稜やコブ尾根を登ったりしました。

夏休みには滝谷へ行き、クラック尾根でさっちゃんと初めてザイルを組んだりもしました。

 

それほど密着してお師匠さんと山行を繰り返した期間はそんなに長くはありません。

2年間ほどだったと思います。

僕はさっちゃんとザイルパートナーになり、お師匠さんからは自立していきました。

でも、お師匠さんにとっては、その2年間の影響は甚大だったようです。

途中から岩場でのリードはすべて僕が行なうようになりました。

僕自身がリードしたくてしたくてたまらなかったからです。

リードする機会を僕に譲り、僕の成長を喜んでくれたお師匠さん自身は急激に登攀能力が衰えて行きました。

そんなこともあって、お師匠さんは還暦を機にアルパインクライマーを止めたんだと思います。

いろいろなトレーニングもしなくなりました。

 

いま僕は、そのお師匠さんを反面教師としています。

僕自身が同様にリードすることが極端に少なくなってしまっているからです。

後輩の成長を願い喜ぶ気持ちが強くて、岩のゲレンデでも滝の登攀でもリードを譲ってしまうのです。

気が付くと、リードをしない自分がそこにいます。

長くリードをしない期間が続くと、リードすること自体に不安感を覚えるようにすらなってしまいます。

前々から「それじゃあ駄目だ」とは薄々感じてはいたのですが、ようやく明瞭に意識するようになってきました。

「お師匠さんの二の舞いはしてはいけない」

「同じ失敗を繰り返すと、お師匠さんだって悲しむだろう」

僕は初心に立ち返ることにしたのです。

このモミソ沢で久し振りに滝のリードをしました。

 

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

モミソ沢で久し振りに滝のリードをさせてもらいました

▲10:59。ザイルを出して僕がリードした滝やチムニー滝の記憶はありましたけれど、その他の小滝の記憶は一切消えてしまっていました。モミソ沢はそんな小滝も含めてなかなか佳い沢ですね。

 

僕のリード能力はかなり低下してしまっています。

回復する部分もあるでしょうが、眼の影響もありますから、低下が仕方ない部分もあります。

ただ、それらすべてをひっくるめて、現状よりも成長したいと思っています。

そう思うと、今後が自分でも楽しみですね。

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『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7で奥多摩の水根山を登りました。登りでは安定的にコースタイムより早く歩けるようです

2022-08-09 15:10:41 | ザイルと焚火と焼酎と

東京都の奥座敷、山の中にある奥多摩町でさえ、真夏日が続くほどの酷暑の今年。

これほどに暑い中、普通にハイキングするなど考えもしなかったんですが、ひょんな理由で歩くことにしました。

実際に歩いてみると、森の木陰の山道を歩きますから、思いのほか暑くはなく、心地よく歩くことが出来ました。

そのうち寒気も入って来たようで、涼しさも感じるようになりました。

この寒気は案の定、雷雲を生み出したようで、雷鳴が遠方から聞こえるようになって来ました。

 

この山行のテーマにもなっている標準コースタイムで歩くことに関しては、まあ問題はありません。

標準コースタイムの89%で歩けていますから、合格ですね。

ただ、僕は下りが遅くて苦手ですから、下りだけに関しては106%かかっています。

目が悪くて、足元も見えにくいですから、個人的には下りに時間がかかっていることをあまり問題視したくはありません。

 

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7 ――― 89% 真夏の奥多摩で雷轟く中、水根山に登りました

▲12:47。水根山山頂は石尾根の中にあっては不遇な山頂です。古い板切れの山名標識があるだけで、展望もまったくありません。少し下を巻いている石尾根縦走路を歩く人の方が多いのではないでしょうか? が鳴り続けていましたから、写真を撮ると、すぐに引き返しました。

 

今回の山行での詳細な時間を記載しておきます。

               僕がかかった時間    コースタイム

倉戸口バス停~倉戸山        88分         90分

倉戸山~水根山           109分         154分

  (倉戸口バス停~水根山の登り     197分      244分)   

水根山~木橋            94分         90分

木橋~水根バス停          76分         70分 

  (水根山~水根バス停の下り      170分      160分)

登りは81%で歩けていますが、下りは106%ですね。

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ツルネ東稜を登ることになった背景には、僕の山人生での初出来事がいろいろとありました

2022-08-02 12:29:23 | ザイルと焚火と焼酎と

全ての人は平等に1年で1歳の年を取ります。

その事実に抗うことは出来ますが、結果は大きくは違って来ません。

でも、人はそんな小さな違いを大切に感じて、一喜一憂するのです。

僕とて同様で、高齢者である現在、1年でも長く自分の山人生を引き延ばそうと足掻いているのです。

足掻くことは素晴らしいことだと思いますし、楽しいことでもあります。

足掻けることは幸せです。

 

さっちゃんが入院、入所を続け、一緒に暮らせない期間、僕は自分の山体力を復活させる努力を楽しみました。

山のパートナーでもあったさっちゃんなら僕のそのような努力を喜んでくれると信じています。

でも、そんな努力は僕自身に惨めな現実も見せつけることになりました。

標準コースタイムを大幅に超えた時間でしか歩けない。

長い距離を歩き続ける体力がない。

そんな問題点も時間をかけて徐々にですが、解決の方向へ向かいつつあります。

 

そして、さらに一段階レベルアップした山行も実践しつつあります。

それが八ヶ岳の小同心クラックであり、今回計画した赤岳天狗尾根です。

小同心クラックは無事実現できました。

でも、下山後の疲労感が半端なく長く続きました。

赤岳天狗尾根は訳あってツルネ東稜に変更となりましたけれど、別の問題点が浮き彫りになって来ました。

高齢者になると、様々な問題が発生するようになり、その解決法を模索しなければならなくなります。

そんなことをただ嫌がるのではなく、問題の解決を楽しもうと思っています。

そして何より、僕にとっては一段階レベルアップした山行に付き合ってくれる山仲間がいることに本当に感謝です。

今の所属している山岳会YYDに入って良かったと思います。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』をお読みください。

赤岳天狗尾根を登る予定でしたが、増水で渡渉困難となり、ツルネ東稜に変更して登りました

▲7:12。ツルネ東稜から、本来登るはずだったお隣りの赤岳天狗尾根を眺めました。中央に大天狗が聳えています。その左奥の山は赤岳でしょうね。

 

小同心クラックの時と比べて、下山後の疲労感は長くは続きませんでした。

ツルネ東稜が7月16~17日で、22日に新型コロナワクチンの4回目接種でしたから、山はお休みしたのです。

それも良かったのかもしれませんね。

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石津窪の遡行は僕の問題点を明瞭に示してくれました

2022-07-21 21:08:11 | ザイルと焚火と焼酎と

昨年の11月から自分のペースで山を歩き始めました。

2021年はさっちゃんが山を歩けなくなっていましたから、僕も山へは行けませんでした。

それまでの2年間、僕はさっちゃんのペースで山を歩いていたわけです。

8ヶ月前から自分のペースで山を歩き始めても、最初は思うようにはまったく歩けませんでした。

標準コースタイムよりもずっと時間がかかるスピードでしか歩けなくなっていたのです。

自分自身の感覚的には、本来の1~2割くらいの山体力に低下していました。

それから努力を続け、今は5割くらいにまで山体力は復活したでしょうか?

高齢ゆえの体力低下は致し方ない部分もありますけれど、せめて本来の7割くらいまでには復活させたいと願っています。

 

小同心クラックの後、その疲労がなかなか抜けません。

『少し長い距離を歩く』シリーズは実践できそうにないと感じています。

ですから、2週連続で短い沢の遡行をすることになったのです。

K野さんにとっては登攀的な沢、僕にとっては短い沢ということで、7月10日(日)石津窪が決まったわけです。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

石津窪をK野さんのリードで遡行しました。僕は自分のリード能力を上げないと、と痛感しました

▲13:09。石津窪の大滝25m。K野さんがリードした後、SRさんがフォロウしています。

 

『ザイルと焚火と焼酎と』の中でも書きましたけれど、自分のクライミング能力低下ショックを受けています。

若い人たちの登攀能力の成長を期待するばかりに、自分の成長や維持を疎かにし過ぎました。

今後は成長中の人間のように、積極的にリードもしていきたいと思います。

後輩たちに遠慮して譲ってばかりいては、自分自身が成長できません。

と言うか、急速に衰えて行ってしまいます。

若者は何もしなくても成長することがありますが、高齢者は何もしないでいると確実に衰えて行くだけです。

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僕の肉体には重い疲労感が残っていましたが、休まずに小さな沢へ出かけました

2022-07-15 14:16:53 | ザイルと焚火と焼酎と

『標準コースタイムで歩く』シリーズ6回こなし、何とか標準コースタイムよりほんの少し短い時間で歩けるようになりました。

続く第2ステージとして、『少し長い距離を歩く』シリーズをたった1回実行しただけでの小同心クラック。

いきなりのベルアップに僕の肉体は悲鳴を上げていました。

でも、翌日以降に肉体に残った疲労感が凄かっただけで、山行中は問題なく体は動いていました。

その疲労感は一週間後も残っていて、『少し長い距離を歩く』シリーズ2回目を実践する気にはなれません。

(小同心クラック登攀の当日は全行動時間が休憩込みで11時間ですから、これは『少し長い距離を歩く』シリーズ№2ですね)

 

それで、どういう計画を立てたかというと、こうです。

短い沢の登下降を組み合わせたのです。

ウルシゲ谷沢左俣、千ガ沢下降、棡葉窪、この3本です。

途中で疲れ切ってしまったら、1本目終了時点でも、2本目の終了時点でも気楽に中止できるんです。

 

この7ヶ月間ちょっと、僕の衰えきった山体力と向き合って来ましたけれど、哀しくもあり、楽しくもあり、ですね。

明らかに若いころの肉体とは違っています。

当り前に出来ていたことが出来なくなったりしています。

でも、若いころと同じこともあります。

繰り返し鍛えれば、体力は向上するということです。

ただし、向上のスピードは遅くなっていますけれど・・・・。

 

山体力復活作戦をスタートさせたころは、なかなか成果が現われなくて気持ちが落ち込むこともありました。

それでもめげずに続けていると、ほんの少しずつ成果が見えて来ました。

さらに続けると、予想や期待以上の成果も現われるようになりました。

小同心クラックもホップ、ステップ、ジャンプのジャンプの気持ちでチャレンジしてみた成果です。

ある程度の山体力の裏付けがあると、心の持ちようも積極的になれます。

 

7月2日の沢登りはちょっと中休み的な山行です。

完全休養も考えたのですが、やっぱり体を動かすことにしたんです。

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を見てください。

ここはウルシゲ谷沢? 千ガ沢下降は期待以上の楽しさ

▲14:24。千ガ沢下降のハイライトは15mF1の懸垂下降。この滝の左側、水流の多い辺りを下降しました。

 

このブログにも書きましたが、上の写真の大滝の懸垂下降後、僕は沢歩きで転倒してしまいました。

転倒は若いころでもなくはないですが、高齢になればどうしても増えてしまいますね。

反射神経は実に衰えていますし、眼も悪くなっていますし。

高齢者が沢登りを続けるには、自らの弱点を自覚して、しっかりと対応することが必要になりますね。

さっちゃんと年間20本以上、30本以上、沢を跳び回っていた頃とは比べようもありません。

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さっちゃんが家に戻って来るまでにやっておきたいことがあります。そのひとつが小同心クラックの登攀でした

2022-07-05 16:24:12 | ザイルと焚火と焼酎と

6月25~26日、八ヶ岳の小同心クラックを登攀しました。

実に9年ぶりの岩登り本番です。

2018年まではYYDのメンバーと沢登りする計画も立てていましたが、2019年以降はさっちゃんとしか歩いていません。

さっちゃんが留守番を出来なくなったからです。

2019年と2020年はさっちゃんと奥多摩の低山をハイキングしていました。

2021年はそんな低山ハイクもさっちゃんには歩けなくなり、僕もどこへも行かなくなりました。

 

せめてもと2020年10月から、さっちゃんがデイサービスへ行っているわずかな時間に天覧山ひとり岩トレだけは実践し続けました。

クライミング能力はかろうじて最低限は維持し続けられたのですが、山体力は悲惨なレベルにまで衰えてしまいました。

さっちゃんが大腿骨骨折で入院し、面接にも行けず、何も出来ない僕は、自分の山体力復活作戦を行なうことにしたのです。

幸か不幸か(絶対的に不幸です!)、さっちゃんが自宅に戻れる状況が訪れません。

2021年11月からスタートしたその作戦は半年間を経過したころから少しずつ効果を現わし始めました。

標準コースタイムとほぼ同じ時間で歩くことが出来るようになり、徐々に長い距離も歩くことが出来るようになって来ました。

YYDのメンバーとも沢登りをすることが出来るようになって来ました。

 

さっちゃんは今I老健に入所しています。

当初は7月にも退所できるものと僕は予想していました。

でも、その予想は甘かったようで、8月、否、9月や10月に退所がずれこむかもしれません。

どちらにせよ、さっちゃんが戻って来るまでの短い期間、僕はYYDへ少しでも貢献したいと思いました。

僕にできる貢献は僕の山でのこれまでの体験を共に味わってもらうことです。

今回の小同心クラックにもそのような意味があります。

もちろん、自分自身がこれからももっと楽しみたい、登山を充実させたいということもあります。

自分の年齢を忘れるくらいに楽しみたい、そう思っています。

 

詳しくは、『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

9年ぶりの岩登り本番は、10年ぶりの小同心クラック。これからもまた登攀できるでしょうか?

 

▲10:45。小同心クラックの3ピッチを終え、横岳直下の岩場の最終ピッチを前に、コンテで歩いているところ。僕はウルップソウを撮っています。向こうにはS﨑君。

 

僕にはこの小同心クラックの山行を余裕を持ってこなせるほどの体力は備わっていませんでした。

10日間ほど経った今でも、僕の肉体にはその時のダメージが残って、疲労感を感じています。

前回の日陰名栗沢でやっと長めの距離を歩き始めたのですから、いきなりのステップアップが大変なのは当然です。

ただ、山行後にダメージがなかなか消えないだけで、山行自体は問題なくこなすことが出来ました。

ちょっと強度のある山行を時々実践することで、肉体もそれにゆっくりと慣れて行くことと思います。

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今回の日陰名栗沢は僕の新しいステージへの第一歩になると思います

2022-06-21 19:35:03 | ザイルと焚火と焼酎と

さっちゃんも僕も決して強い登山者ではありませんでした。

クライミングもさほど上手なわけでもありませんでした。

せいぜい中級の下、あるいは初級の上くらいのレベルだったと思います。

でも、二人でザイルを組んだりして、少しずつ自分たちの行きたい範囲を広げていきました。

二人とも山が好きで、山の自然が好きで、その中に浸ることが大好きだったからだと思います。

毎週のように二人で、あるいはそこに山仲間を加えて、山行を繰り返しました。

 

さっちゃんとの濃い想い出は山の中にあります。

ですから、僕はいつまでも山の中に浸っていたいと思うのです。

2020年12月6日がさっちゃんと歩いたハイキングの最後になってしまいました。

それから1年間は、僕自身も山に行けない日々が続きました。

僕の山体力はさっちゃんに恥ずかしいレベルまで落ちてしまいました。

それで2021年11月21日からスタートした僕の山体力復活作戦。

それから7ヶ月が経過しました。

僕の山体力復活作戦は第2ステージに入ります。

それが今回の日陰名栗沢でした。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

日陰名栗沢の遡行は僕にとっての山体力復活作戦の第2ステージです

 

▲11:55。日陰名栗沢は美しい日本庭園のような沢です。登攀的要素はなく、ひたすら美しい森の中を沢に沿って歩き続けるのです。

 

今回の日陰名栗沢から僕は『少し長い距離を歩く』シリーズと命名しました。

僕の命名好きや分析好きは許してくださいね。

その結果の詳細をここに記しておきます。

                 コースタイム  実際にかかった時間

東日原バス停~八丁橋        1時間        48分

八丁橋~日陰名栗沢出合       1時間        46分

(出合での準備                      26分)

日陰名栗沢出合~石尾根終了点    3時間30分   3時間53分

(装備解除の時間                     12分)

石尾根終了点~鷹ノ巣山避難小屋      50分      30分

鷹ノ巣山避難小屋~峰谷バス停    1時間40分   1時間20分

トータル              8時間     7時間55分

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深夜の雨や昼の雷雨でびしょ濡れの天覧山、でも、充実した岩トレが出来ました

2022-06-17 18:24:44 | ザイルと焚火と焼酎と

山岳会に所属するメリットは次の2点にあると思います。

①山の仲間と出会うことが出来る。

②山の技術の教育システムがある。

僕自身に関しても、①については今のYYDで十分に享受しています。

②に関しては、僕は年配者であり、様々な山行の経験者ですから、教える側の人間になることがほとんどです。

以前30年間ほど所属していた山岳会で、僕のお師匠さんから様々教えてもらいました。

岩登り、雪山、アイスクライミング、冬の岩稜登攀、等々。

 

という訳で、僕は新人2名の岩登りトレーニングを担当することになったのです。

梅雨の真っ最中ですから、天気が心配でしたが、何とかトレーニングすることが出来ました。

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。

YYDの新人2人が天覧山で初めての岩登りトレーニングをしました

 

▲13:41。天覧山最下部の岩場で午後の練習スタートです。トップロープて哲さんが登っています。上まで来たら、右に垂れているザイルを使って懸垂下降をします。彼にとっては人生初の懸垂下降になります。その方法は僕が上にいて教えます。下では手伝いで参加してくれているK野さんが、最後まで確保してくれています。

 

▲15:19。この日のうちに懸垂下降だけは完璧に出来るようにしました。この写真のように懸垂下降しては、歩いて再び上に行って、また懸垂下降するのです。自信が持てるまで何度も何度も実践します。上ではK野さんがアドバイスとチェックをし、下では僕が対応します。もう一人の新人O崎さんもマスターできたようですね。

 

この日、僕には大いなる反省点がひとつありました。

それは岩トレ終了後の反省会(という名の打ち上げ)でのこと。

上記ブログの最後にも書きましたけれど、居酒屋さんを出るのが凄く遅くなってしまったのです。

僕は近いのでいいのですが、他の3人は遠くから来ています。

そんなことを配慮して、1時間は早く切り上げた方が良かったと反省しました。

 

下山後の打ち上げは緊張感が緩んで、解放感で溢れていますから、酒の上での失敗は数限りありません。

でも、こんな場にさっちゃんがいれば、いつもさっちゃんがコントロールしてくれていました。

だから、僕は何の心配もすることなく、下山後の解放感に浸りきることが出来ました。

思いっ切り、飲み、食い、喋ることが出来ました。

飲み過ぎているようなら、耳元で囁いてくれ、遠慮してあまり食べないメンバーには食事を勧めてくれていました。

帰りの電車の中でも、必ずどちらかが目を覚ましておくことにしていました。

たまに僕一人だけだったりすると、よく寝過ごして、遠くの駅まで行ったりしていたものです。

丹沢からの帰路、一度は正しく乗り換えたのですが、電車内で寝てしまったことがありました。

神奈川県まで行ってしまい、終電で何とか山手線までは戻ったのですが、結局、漫画喫茶に泊まったことがありました。

本番の岩登りでも、沢登りでも、雪山でも、アイスクライミングでも、冬の岩稜登攀でも、僕の大切なパートナーでした。

それ以外のところでも、常に僕の足らない部分を補ってくれる重要なパートナーだったんです。

 

居酒屋さんでの件を反省しながら、さっちゃんのことを想い出していました。

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さっちゃんと10年前に登ったシダクラ尾根をYYDの仲間と歩きました

2022-06-10 14:57:53 | ザイルと焚火と焼酎と

いろいろと考えることがあって、前日の土曜日にYYDの山行に参加させてもらうことにしました。

入会者募集のための体験山行&地図読み山行で、奥多摩のシダクラ尾根を登る山行です。

多摩川をシダクラ橋で渡ると、正面の尾根がシダクラ尾根です。

ところが、この日のリーダーであるK藤さんは左下のシダクラ沢へ下っていくじゃあありませんか!

「あれっ? シダクラ尾根は真正面の尾根だよ!」と僕は呼び止めます。

そんな僕にはお構いなく、みんなシダクラ沢へ向かい、沢を渡って、対岸の尾根を登り始めます。

K藤さんは山行計画書に添付してあった地形図を僕に見せて、「ここがシダクラ尾根ですよ」と言うんです。

反論しても意味がないので、「まっいいか。初めての尾根を登れるわけだし」と思うことにしました。

途中でシダクラ峠との道標が出て来ると、「ほら、この尾根がシダクラ尾根よ」と言われます。

 

もうひとつ、僕はK藤さんに叱られました。

僕は子供のころから担任の先生やクラスの真面目な女子生徒たちに叱られることには馴れている人間です。

高齢者になって、自分の娘くらいの年齢のK藤さんにこっぴどく叱られても僕は大丈夫。

怒られている訳ではなく、叱られているのですしね。

僕自身が悪かった訳ですからね。

何が悪かったかというと、この山行は地図読み山行でもあるわけです。

だけど僕はこんな風に思ってしまいました。

「シダクラ尾根はただ登って行きさえすれば迷うことはない。その先は一般登山道ばかりだから大丈夫」

実際には、シダクラ尾根を登った後にも、一部分は一般登山道から外れる箇所がありました。

それに迷うか迷わないかの問題ではなくて、地図読みの練習をする山行だったのです。

地形図も昭文社のMAPも所持して行かなかった小生は、ランドセルを背負って行かなかった小学生みたいなものですね。

 

では、この山行の詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

10年ぶりのシダクラ尾根。新鮮な感覚で感動できました

▲10:47。広葉樹林と岩っぽさがある尾根なら、楽しさは倍増しますね。

 

シダクラ尾根は右岸か左岸か? ですが、僕は帰宅後いくつかの地図や宮内敏雄著『奥多摩』で確認しました。

すると、シダクラ沢右岸尾根がシダクラ尾根であることが判明しました。

僕が間違えていたのです!

ところが、それだけではこの問題は終了しませんでした。

上記『ザイルと焚火と焼酎と』のブログの最後に10年前にさっちゃんと登ったシダクラ尾根の記録があります。

な、な、なな、なんと! 僕たちはシダクラ沢右岸尾根を歩いているんですね。

その後どこかで、僕の記憶が間違えた方向へ変化してしまったようです。

まあでも、目出度し、目出度し、ですよね。

 

     *   *   *   *   *   *   *   *

 

前にも書きましたけれど、入院中もそうでしたし、今の老健入所中もさっちゃんと僕との間には大きなが立ちはだかっています。

コロナ禍なので面会が出来ないからです。

でも、病院に入院している時は、医師からの病状の説明や看護師からの近況報告が頻繁にあったりしました。

A病院ではリモート面会もあったりしました。

それなのに、今のI老健では月に1度の相談員さんとの面談くらいで、他には何もありません。

 

さっちゃんの顔を見ることが出来ないどころか、近況すら知らないことに慣れてしまう自分がになってしまいます。

さっちゃんが入所しているから可能になっている自分の山行が充実していくことにすら、申し訳なさを感じてしまいます。

 

今朝、テレビで沖縄の旅番組をチラッと観ました。

さっちゃんと幾度も実行した島旅のことを思い出しました。

さっちゃんと二人で小さな、本当に小さな、何もない島への旅。

他の誰とでもない、心の通じ合っているさっちゃんと旅するからこその、穏やかで幸せな島旅でした。

そんなことが思い出されて、番組を観ながらしてしまいます。

あんな島旅はもう出来ない、そう思うと悲しくなってしまいます。

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