北アルプスは僕にとって遥か遠くの異国の山のような存在でした。
テレビで上高地のニュースを見ても、自分で訪れるには遠すぎる憧れの地でした。
30歳を過ぎて、クライミング技術を教えてもらおうと入会した山岳会で、僕は初めて北アルプスへ行ったのです。
僕のお師匠さんはアルパインクライマーでしたから、入会翌年のGWに岳沢へ連れて行ってくれました。
そこをベースにして、奥穂南稜とコブ尾根を登攀したのです。
同じ年の8月には北鎌尾根、帰京してまたすぐにトンボ返りで北穂小屋で連泊し、滝谷を登攀しました。
北穂小屋へは北穂東稜をアプローチに使いました。
滝谷はクラック尾根、第4尾根、第3尾根を登攀しました。
お師匠さん達パーティーと、僕のパーティーの2パーティー4人で行きました。
そして、この滝谷で僕は初めてさっちゃんとザイルを組んだのです。
今となって振り返っても、怒涛の北アルプスデビューですね!
クライミング始めて間もない僕を連れて行ってくれたお師匠さんの勇気に感心します。
その翌年から僕とさっちゃんはザイルパートナーとなり、一緒に岩トレをするようになって、沢へも行きました。
でもその夏、さっちゃんは吐血して胃潰瘍で入院してしまいます。
さっちゃんにとっては勿論ですが、僕にとってもショッキングな出来事でした。
でも、このことを契機にふたりの心がより接近したのかもしれませんね。
当時のことに想いを馳せていると、その後のさっちゃんとの山行を思い出してしまいます。
しかも、当時の主要な山行のメモまでが見つかりました。
紙に書いてあるだけですから、このブログにも記録として書き留めておこうと思います。
以下はすべて、さっちゃんと一緒の山行です。
1987年8月 剱岳八ッ峰6峰フェース(CフェースとDフェース)、八ッ峰上部と源次郎尾根縦走
1988年8月 剱岳チンネ左稜線と中央チムニー。下山は小窓まで進み、小窓雪渓下降~欅平
1989年8月 6月に会で重大事故が発生したため、本番は自粛。小川山で飲んだくれながらクライミング
1990年8月 滝谷:第3尾根と第4尾根
1991年8月 剱岳八ッ峰6峰フェース
1992年8月 アメリカのヨセミテへ旅行:ハーフドームを登山道から登頂、小さな岩場をトップロープで遊んだり
1993年GW 越後三山。夏休み中の北アルプスは雨だったよう
1994年8月 北鎌尾根~槍ヶ岳~北穂~奥穂~西穂~焼岳(僕が四十肩で登攀はせず)
1995年5月 さっちゃんが帯状疱疹で入院。8月 前穂北尾根
1996年8月 奥又白池~前穂A沢~前穂北尾根下降、横尾本谷右俣
1997年8月 明神東稜(この当時、僕は原因不明の倦怠感があり不調)
1998年2月 愛鷹連峰でさっちゃんが脛骨骨折の怪我
僕は基本的に沢屋なので、沢登りをすることがほとんどです。
上記記録以外の春から秋は、ほとんど沢登りをしています。
でも、お師匠さんがアルパインクライマーだった影響で、岩登り本番の楽しさも知ってしまったのです。
さっちゃんは岩登りが僕よりも上手でしたから、上記のような山行も楽しむことが出来たのです。
さっちゃんは1998年2月に膝を骨折し、2回の手術と計9ヶ月の入院をしました。
膝が曲がらなくなり、正座が出来なくなりました。
膝に大きな負荷を掛けられなくなりましたから、ザックも10kg以上は背負えなくなりました。
だんだんと慣らせば、それ以上背負えるようになったのかもしれませんが、怖くて僕は背負わせられませんでした。
大怪我後、最初の登山は標高192mの近所の山でした。
両松葉杖で登りました。
その後、装具とストックで歩くようになり、下りでケーブルカーを使える高尾や御岳周辺コースをよく歩きました。
退院から10ヶ月後には岩トレを再開し、11ヶ月後には雪山を歩きました。
2年10ヶ月後には沢登りにも行くようになりました。
7年半後には剱岳源次郎尾根をさっちゃんは再び登るまでになりました。
さっちゃんはその時65歳です。
北アルプスということで、僕はどうしてもさっちゃんとの山行を思い出してしまいます。
今年の山行とは関係のない話題でしたが、長く書き過ぎました。
いつかこのブログでそれぞれの想い出を綴る機会もあるかと思います。
思い出話はここまでです。
今回の山行について、詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。
お盆山行1日目 ――― 初日はのんびり涸沢まで。僕は夜のアルコールを控えました
▲16:18。前穂北尾根の全貌(登攀する上部だけですが)が見える場所まで来ました。右から1峰(前穂高岳)、2峰、3峰がまずは連続してあります。その左に4峰、写真の左の平らなピークが5峰です。