さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

Y山さんの沢登りに参加しました。実力を付けつつあるメンバーと共に遡行するのは楽しいですね

2022-06-02 23:05:46 | ザイルと焚火と焼酎と

先日の5月29日(日)、奥多摩の鷹ノ巣谷へ行きました。

YYDのY山さんの計画した沢登りです。

彼とそのグループは今年は更なる実力向上を目指して頑張っています。

伸びつつある姿を見るのは、嬉しくて楽しいですね。

慎重さは失わず、大胆に挑戦して欲しいですね。

 

この日は大滝までの往復計画でしたから、体力的には比較的でした。

沢歩き、岩場やゴーロでの足さばきや体さばきが重点ポイントになっている僕にとっては良いトレーニングになったと思います。

思い出や感じたこと面白い挿話などは『ザイルと焚火と焼酎と』に書きましたから、読んでみてください。

登山や沢登りに興味の薄い方には長すぎる文章ですが、飛ばし読みでも大丈夫ですよ。

YYDの山行で、鷹ノ巣谷を大滝まで往復して来ました

 

▲YYD最年長の僕(左)と2番目のK田さん(右)。(撮影:Y山)

 

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奥多摩の長尾谷を遡行しました。20年以上昔のさっちゃんのリハビリを思い出しました

2022-05-26 23:56:53 | ザイルと焚火と焼酎と

3年半のブランクの後、沢登りを再開すると、滝を登ったりする以前に、沢を歩くことが下手になっていることに気付きました。

岩がゴロゴロしている、平坦ではない地面を歩くことが沢登りの基本なんでしょうね。

それで思い出したことがありました。

 

さっちゃんは1998年2月雪の愛鷹連峰で滑落し、右膝を骨折しました。

2回の手術とトータル9ヶ月の入院生活の末、やっと退院できました。

病院でのリハビリの他、普段からよく散歩をするようにしてたのです。

中でもよく歩いた場所があります。

それは多摩川の河原でした。

石っころが敷き詰められたような河原です。

小石ばかりではなく、漬物石くらいの石や、それ以上のサイズの石も転がっています。

そんな河原を歩くと、普通に道路を歩いたりリハビリルームで頑張ったりしても、出来ないリハビリが出来るんです。

微妙な脚の筋肉のいろんな箇所が鍛えられるようなんですね。

 

それと同じことが今の僕にも起きているように思います。

普段の生活や普通の登山では使わないような脚の筋肉が衰えまくっているようなんですね。

それは前回のシダクラ沢でも痛感しましたし、今回の長尾谷でも同様でした。

特に、最後の詰めに関してはショックでしたね。

ブランク前は沢の詰めで後れを取るような経験は僕には一度たりともありませんでした。

それが今回はヒ~ヒ~言いながら最後尾から付いて行ったのです。

シダクラ沢ではY根君もS﨑君も沢登りのブランクが10年以上あったようですから、同じように大変でした。

ですから後れを取ることもなかったんです。

僕は沢の詰めが大好きなんですが、今回は辛かったですね。

 

そんなことは兎も角、詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

久し振りの長尾谷。易しい沢というイメージでしたが、今の僕にとってはタフな沢でした

 

▲12:45。長尾谷にはこんな小滝がたくさんあります。果敢にチャレンジするS上さん。

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つづら岩でマルチピッチを久し振りにちょこっとだけ体験。次に向けてのステップですが、その内容はまだ秘密・・・・

2022-05-21 23:22:05 | ザイルと焚火と焼酎と

僕の山体力がある程度戻って来ると、僕の心の中にやりたいことが波のように次々と押し寄せて来ます。

さっちゃんは7月には老健を退所するでしょうから、とりわけそれまでにしておきたいとの気持ちが強まります。

本当は梅雨入り前に実行しておきたかったんですけれどね。

でも、梅雨に入ってから運よく晴れた週末に実行できればと今は考えています。

それを実現させるためのワンステップとして、つづら岩へ行きました。

 

詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

つづら岩も3年半ぶりです。ダブルザイルの練習をしました

▲13:58。つづら岩の南面です。高さ40m、幅60mあります。

 

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   

 

今日の午後、降り続いていた雨がやんでから、I老健へ行きました。

洗濯済の寝巻き3着を届けに行ったのです。

入浴以外で、寝巻きを汚したりして洗濯が必要になると、来週の水曜日までには寝巻きがなくなってしまうこともありうるからです。

新しく洗濯物もありました。

金曜日の入浴時に着替えた寝巻きと靴下、その他はパジャマのズボンだけが洗濯物としてありました。

持って行って良かったです。

持って行かなかったら、火曜日の入浴時に着替えるパジャマのズボンがなかったはずですから。

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とうとう3年半ぶりの沢登りの再開に辿り着きました!

2022-05-19 23:48:44 | ザイルと焚火と焼酎と

まだまだ十分な山体力には遥かに及びませんが、最低限度のレベルにまでは何とか戻れたかなと思っています。

ですから、5月にもなりましたし、3年半もの長きブランクのある沢登りを再開することにしました。

嬉しいです!

やっとここまで来ました!

 

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。

3年半のブランクを越えて、易しいシダクラ沢を遡行しました

 

▲10:59。久し振りの沢にどっぷりと浸かって、心が躍ります。

 

もっと長い沢、もっと登攀的な沢、もっとザックの重い泊りの沢、そんな沢への道筋はまだまだ遠く感じます。

沢を歩く足取りも不安ですし、緑内障の影響でしょうが、足元を確信持って見定めることが出来ません。

本当にここに足を載せても大丈夫か? 滑らないか? 不安感が付き纏います。

以前のように跳ねるように歩き登ることは無理でしょうから、安全に遡行できるようになれば十分だと思います。

さっちゃんと共に、延べ何百本となく沢登りしました。

さっちゃんも好きだった沢登りをこれからも続けて行きたいと思います。

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GWに秩父の低山徘徊をしました。青空も新緑もまばゆいほどでした

2022-05-16 23:53:54 | ザイルと焚火と焼酎と

GWには2回山へ行きました。

まだまだ重荷を背負って雪の春山へ行ったり、泊りの沢へ行ったりの山体力はありません。

数年前の山体力と比べても、やっと5割くらいに復活しただけだと思います。

GWの5月3日、楽しそうな計画が出ていたので参加することにしました。

計画者はT原さんで、西丹沢の畦ヶ丸で一緒でしたから、今の僕の状態はよくご存知です。

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』をお読みください。

YYDの仲間と秩父の釜ノ沢五峰と品刕(しなしゅう)を歩きました。何とか迷惑をかけずに歩けるレベルになったかな、と思いました

 

▲11:33。長若天体観測所からの眺め。北側だと思います。

 

さっちゃんとのGW山行の思い出も振り返って見ました。

GWらしい最後の山行は尾瀬だったんですね。

確か、佐々木さんが声をかけてくださって実現したんだと思います。

2018年5月4日から6日、鳩待峠~山ノ鼻~尾瀬ヶ原~見晴~尾瀬沼~三平峠~大清水でした。

今からたった4年前なのに、これだけの山行をする体力も意欲もあったんですね。

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1ヶ月前の西丹沢バリエーション山行です。この山行を転機に山体力復活に光明が射して来たように感じます

2022-05-08 23:54:27 | ザイルと焚火と焼酎と
僕の山行記録もこの4月9日(土)を書き終えましたから、やっと5月の山行に追い付きました。
5月3日(火)と6日(金)の山行記録が残るだけになりました。
山行をしてすぐに書き留めないと、やっぱりどうしても印象は薄らいできます。
上記2つの山行も今週中には書き終わりたいですね。

この西丹沢の山行への参加はけっこう悩みました。
計画したT原さんが健脚だということもありますが、その頃の僕にとっては距離も長く標高差もある山行計画だったからです。
山行を計画したT原さんに参加を申し込む際、次のようなメールを送っています。
僕自身がまだ自分の山体力に自信がないことが如実に表われていますね。

『T原さま
畦ヶ丸の山行ですが、山体力の落ちた僕でも参加できますかね?
山体力が落ちているのは確かなんですが、YYDのメンバーと一緒に歩いて、
自分だけで歩くよりは負荷のかかる山行をして、山体力を向上させたいと思っています。
僕の脚では善六ノタワから一般登山道をそのまま下ることになる可能性もありますが、
そうならないように頑張りたいと思います。
そのような可能性もあると考慮した上で、参加OKでしょうか?』


結局、T原さんと僕の二人だけでの山行になりました。
T原さんのペースよりは随分ゆっくりなペースになったと思います。
でも、予定通りのコースをさほど遅くならずに歩き切ることが出来ました。
僕にとってはハードな山行でしたが、このレベルの山行を歩けたことが僕にとっては大いに自信となりました。
そして、その翌週の六ッ石山山行で標準コースタイムの87%で歩けたことで、さらに自信が深まることになりました。

そんな僕にとっての転機となる山行の記録も読んでみてください。
『ザイルと焚火と焼酎と』の YYDのT原さんと西丹沢の畦ヶ丸のバリエーションを歩きました です。


▲10:48。西丹沢の木の葉が芽吹く前の山は奥多摩などとはかなり印象が異なりますね。カラッと乾いて明るい山ですね。
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一ヶ月以上前のYYD伊豆ヶ岳東尾根地図読み山行に参加した記録です

2022-05-01 15:54:36 | ザイルと焚火と焼酎と
3月27日(日)に僕はYYDの仲間と伊豆ヶ岳東尾根を歩きました。
さっちゃんの痰の吸引について悩み考え、胃瘻造設の決断をしたころです。
さっちゃんの状態がどうであろうと、コロナ禍では面会も出来ず、僕には何も出来ることがありません。
鬱々とし続けているよりも、せめて肉体的には元気であろうと山を歩くしかありません。

さっちゃんは以前からよくこんな風に言っていました。
「山を登れなくなったら、私はどう生きて行けばいいの」と。
それほどさっちゃんは山が好きでした。
なので僕はさっちゃんが山を歩ける限り、一緒に山を歩き続けました。
それも2020年12月6日が最後でした。
80歳を過ぎても山歩きしていたのですから、一般的な感覚では十分山を楽しんだ人生だと言えるでしょう。
でも、僕はそうは思いません。
おそらく、さっちゃんも同様でしょう。
もっともっと山で過ごしたかったことと思います。
手前勝手な言いようかもしれませんが、さっちゃんの無念を晴らすためにも僕は山を登り続けたいのです。

さっちゃんの大腿骨転子部骨折から途中10日間の自宅での生活はありましたけれど、肺炎で再び入院してしまいました。
4ヶ月半の入院生活の後、今は老健へ入所しています。
良くも悪くも、さっちゃんの居ない暮らしに僕は慣れてしまいました。
慣れるしかありませんよね。
さっちゃんのことを想って、が滲むのは日常ですけれど、そんな僕を自然な心情レベルに保ってくれているのが山歩きだと感じます。
山の仲間や山の友の存在の大きさや大切さも感じます。
いろいろな想いを込めて、山を歩いていますし、歩き続けようと思います。

独りよがりな前置きが長くなってしまいました。
伊豆ヶ岳東尾根の記録は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。
YYDの地図読み山行で伊豆ヶ岳東尾根を歩いて来ました


▲12:09。伊豆ヶ岳頂上直下の崖状箇所では、練習を兼ねてザイルを出して登りました。


昨日の夕方、僕は久し振りに多摩川土手の基本周回コースを散歩しました。
一時は夏日が連続していましたけれど、昨日がぶり返したような日でした。
温かさに慣れた体には北風の寒さが身に沁みました。


▲17:52。この景色をさっちゃんと共に眺める日が早く来るように、祈りながら僕は歩きます。
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山の友はいいものです。S﨑君と再度、日和田で岩トレしました

2022-04-24 23:50:50 | ザイルと焚火と焼酎と
以前所属していた山岳会は多くの会員を抱える会でしたが、中高年のハイキング主体の山岳会でした。
そこで僕は30年間近く、ずっといちばん若いメンバーのひとりでした。
その会の山のお師匠さんや大先輩の方々はほとんどが鬼籍に入られています。
1998年2月にさっちゃんが雪の愛鷹山で大怪我を負い、僕のザイルパートナーが失われてしまいました。
最初は所属している山岳会内部で声を掛け、同行してくれる仲間を探しましたが、皆僕より年上ですから、今さら危険なことはしたくない人たちばかりでした。
何年か経つと、僕は会内でザイルパートナーを探すことを諦め、会の外に求め始めたのです。
そして、僕と一緒に行ってくれるようになったのがY根君、H原君、S﨑君たちだったのです。
僕たち4人はチームを結成し、チームメロンと称しました。
若者3人は皆個性的で、優しく、優秀で、才能に溢れ、情熱があり、山が大好きでした。
僕にとっては宝物のような青年たちでした。
僕は自分の持てる僅かな技術や知識、また経験を共にしましたけれど、彼らから教えられ与えられたものの方が多かったと思います。

H原君は30代になったばかり、Y根君は20代後半、S﨑君は20代前半でした。
若者3人と僕は岩トレをし、岩登りの本番へ行き、沢登りをし、雪山を登り、雪の岩稜を登攀しました。
さっちゃんと二人でガンガン登攀していた頃と劣らない楽しさでした。

ただ若者たちは環境が激変し易いものです。
仕事が超多忙になり、休みさえ取れない状況になったり、結婚して危険なことは出来なくなったり、引っ越して遠くに移り住んだり・・・・
でも、そんな若者たちと過ごした山の体験は、お互いを単なる山仲間以上の、山の友としてずっと強く結び付けてくれています。
多くの山の友がさっちゃんのことで心を痛めてくれています。
電話が入り、有難いものが送られて来、一緒に山へ行ってくれます。
具体的な行動に至らなくても、心の温かさは伝わって来ます。

いま所属している山岳会でも、幾人もの山仲間がさっちゃんのことを大切にしてくれていました。
まださっちゃんが山へ行けていた頃には、さっちゃんのための山行を計画してくれました。
そんな山仲間は、単なる同じ山岳会の仲間ではなくて、僕にとっては本当に心温まる山の友だと思えます。
僕はそんな山の友を生涯大切にし、感謝し続けたいと思います。

前置きが長くなって脱線気味になってしまいましたね。
そんな山の友と一緒に行くことになった日和田岩トレのご報告です。
詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。
先月に引き続き、S﨑君たちと日和田で岩トレしました


▲13:57。男岩南面の易しいルートには全部トップロープがセットされていたので(プロの講習会かな?)僕たちは女岩南面でトレーニングしました。この日は夏日でしたから、日陰の多い女岩で良かったと思います。男岩南面は基部も日当たりが強くて暑かったから。写真は左からS﨑君、M江君、K森さん。
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『標準コースタイムで歩く』シリーズ№6では独りで歩きましたが、初めて標準コースタイムより速く歩くことが出来ました

2022-04-21 23:06:29 | ザイルと焚火と焼酎と
4月17日(日)に僕は奥多摩の六ッ石山へ行きました。
独りですから、意識的に歩くスピードを速くするよう努めなければなりません。
のんびりペースではなく、スピードアップすることで自分に負荷をかけるわけです。
負荷をかけることで山体力アップのためのトレーニング効果が発生するわけです。
これまではそのように意識していても、なかなかペースアップ出来ていませんでした。
今回、やっと意識している通りのペースアップが出来たようです。

良い結果も現われました。
コースタイムの87%で歩くことが出来ました。
今後は、いろいろなコースで100%未満の時間で歩けるようになることが目標ですね。
更には、そのペースで歩いても負担に感じない自分のペースになっていけばいいと思います。

詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。
『標準コースタイムで歩く』シリーズ№6 ――― 87% 六ッ石山を独りで歩きましたが、初めて標準コースタイム以下で歩けました


▲12:17。六ッ石山山頂です。ちょっと前まで見えていた窓のように開けた青空も消えてしまいました。

今回の山行にかかった時間の詳細です。
               僕がかかった時間    コースタイム
水根~トオノクボ          89分         100分
トオノクボ~六ッ石山        33分          60分
    (水根~六ッ石山の登り       122分         160分)  
六ッ石山~三ノ木戸分岐       31分          40分 
三ノ木戸分岐~奥多摩駅       100分          90分
    (六ッ石山~奥多摩駅の下り     131分         130分)


上の表でも分かるように、登りは76%で歩けていますけど、下りは101%もかかっています。
昔から僕は下りの方が苦手でした。
20代後半で膝を傷めたので、いつも下りは注意深く丁寧にあまりスピードを上げずに歩いていたせいでしょう。
飛ばして下れないこともないのですが、あまり好きではありませんし、転倒しそうで心配なんです。
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さっちゃんが救急搬送された日、6年ぶりの山仲間からの電話に心救われました。そして翌週、日和田の岩トレへ行きました

2022-04-15 23:02:21 | ザイルと焚火と焼酎と
先月の3月5日、さっちゃんが災害医療センターに救急搬送された日。
その日、僕はさっちゃんの生殺与奪の権を委ねられてしまいました。
突然のことですから、僕にはさっちゃんを助けたいという選択肢しかありませんでした。
そんな重苦しい感情や決定を体験した日の夕刻、S﨑君から電話が掛かって来たんです。
6年間何の音沙汰もなかった相手から、よりによってこんな悲惨な日に電話が掛かって来るとは!
スマホ越しのS﨑君の声がイエス様かお釈迦様の声のように響いていました。
長く喋った後は僕の心も相当軽くなっていたのを覚えています。

その日のブログです。
さっちゃんの最期へのカウントダウンが始まってしまった、と思いました

そもそもS﨑君が電話をして来た理由は「一緒に岩トレをしよう」という目的でした。
ですから、翌週の3月13日に日和田で岩トレをしたんです。
その記録を『ザイルと焚火と焼酎と』にやっと載せました。
気が向いたら、そちらも読んでみてください。
6年ぶりのS﨑君と日和田で岩トレして過ごしました


▲15:37。S﨑君(左)と彼の職場の後輩のK森さん。これから懸垂下降をします。
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