僕はまったく知らない言葉だったのですが、山仲間からサイドFIREという言葉を聞きました。
彼は働き盛りの年齢で、多忙な毎日を過ごしています。
趣味の登山に自由に打ち込みたいと思っていても、なかなかそうはいきません。
そんな流れの中で出て来た言葉がサイドFIREでした。
ネットで調べてみると、その意味はこんなものです。
サイドFIRE とは 「不労所得で生活費の半分を賄い、残りは働いて稼ぐ」 というFIREの中間的な考え方です。 仕事を全くしなくても生きられる状態 が FIRE 、 不労所得とちょっとした仕事で生きられる状態 が サイドFIRE というイメージです。 要するに、 どれだけ不労所得を積み上げるかの違い なので、FIREを目指す過程で一定の目標を超えればサイドFIRE達成です。
サイドFIREの正確な意味をまだ知らない時に、僕は彼に以下のようなメールで返事しました。
サイドFIRE 初めて聞く言葉でした。 是非、早めに実現させてください。 僕はサイドFIREを逆の方法で実現させたかもしれません。 その方法は貧乏生活と幸運に頼ること。 人にも頼りましたしね。 20代の頃から、最低月にいくらあれば暮らせるのか、考えていた人間ですから。 当時は5、6万円あれば暮らせそうだな、と思っていました。 それを短期間で稼いだり、不労所得を得る方法を考えたり・・・・ でも、そんな楽な方法はなくて、労働は必須ですね。 ただ、貧乏生活に耐えれば、時間は余ります。
上記のように書くと、何となく格好いい感じがしますよね。
でも、実際にはただ怠け者で自堕落で無計画な人生を送っただけだと思います。
それに、サイドFIRE(みたいなもの)実現のポイントを貧乏生活と幸運と人の3つ挙げています。
幸運の最大要素は健康だと思いますが、それは親がそんな体に産んでくれたことが大きいですよね。
貧乏生活に耐えることは、少しは僕自身の功績かもしれません。
人ですけれど、最初のメールの文章では書いていなかったんです。
でも、「貧乏生活と幸運だけじゃあないよな」と感じましたから、もう少し考えたんです。
すると、すぐに心に浮かんだのが、人との出逢いでした。
人との出逢いがなければ、幸せなサイドFIREは実現するはずもありません。
独りでは惨めなサイドFIREになってしまうのは確実ですよね。
その人とは幾人かはいるでしょうけれど、最大の影響を及ぼして、いちばん長く、今に至るまで大切な人がさっちゃんなんでしょうね。
ですから、僕がサイドFIREっぽい(気儘な、不労所得もない)生活を送ることが出来たのは、
健康な体に産んでくれた親と、僕と共に生きてくれたさっちゃんのお陰だと思います。