9月25日にシダクラ沢を遡行して稜線に出ると、山栗がたくさん落ちていました。
その時は僕だけは栗拾いせずに、拾った栗は他のメンバーにあげました。
翌週の10月2日、同じ辺りの尾根を歩くことにしたのですが、N村夫妻が参加して、目的のほとんどが栗拾い山行になったのです。
で、僕も今回は栗を拾いました。
今年の奥多摩は山栗の当たり年のようで、どこを歩いても足元には山栗がたくさん落ちています。
山栗拾いをして、山栗ご飯を作ったのは、実に24年ぶりのこと!
何故覚えているかと言うと、長期入院していたさっちゃんのために山栗ご飯を作って、食べてもらったからです。
1998年2月に愛鷹連峰で遭難し、脛骨上部骨折したさっちゃんは2度の手術をし、2度の長期入院をしました。
秋の山栗の時季は2度目の入院中だったんです。
奥多摩で山栗拾いをし、今回よりも苦労しながら殻を剥き、渋皮を剥いで、やっぱり塩味だけで山栗ご飯を作ったんです。
病院でさっちゃんと一緒に食べた山栗ご飯は素晴らしく美味しかった記憶が残っています。
今回のよりもずっと美味しかった!
記憶というのは素晴らしいですね。
恐らくは(ほぼ確実に)、実際の味以上に記憶の中では素晴らしく美味しい山栗ご飯になっているんですね。
そんな記憶は人を幸せにしてくれます。
どのように作ったのかとか、『ザイルと焚火と焼酎と』に書きました。
よろしければ読んでみてください。
▲いつもと同じように3合炊きました。僕にとっては3合は4食分です。3食分は冷凍しますから、昨日も今晩も山栗ご飯を食べます。