さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

前回と同じ病院に入院しました

2024-08-03 13:27:55 | 中心静脈栄養

7月29日にI老健の医師からさっちゃんの現状と中心静脈栄養について説明を受けました。

その時のブログにも書きましたが、その時点で僕は二者択一で決定をしなければならなくなりました。

つまり、I老健でこのままの対処を継続し、結果的には看取りを行なうか、

入院して中心静脈栄養の点滴を造設するか、どちらかを選ぶことになったのです。

 

医師の説明を受けながら、僕には後者の選択肢しか考えられませんでした。

その後、さっちゃんの部屋へ案内され、直接会うことが出来ました。

部屋ではさっちゃんはマスクを外しています。

マスクをしている時よりも、顔の表情がより分かります。

基本的にさっちゃんは自分の感情を表現できないと思います。

さっちゃんが表わしている表情は喜怒哀楽等の個人的表層の感情を超えた、内面の根底とでも言うべき表情だと思います。

さっちゃんの無意識部分が顕れているような気がします。

僕はそんなさっちゃんの顔の表情を見て、さっちゃんが生きようとしている、心に温かいものが満ちている、そんな風に感じました。

何と表現しても、陳腐にしか聞こえません。

何も疑わず、何も憎まず、何も怒らず、何も悲しまず、生まれたばかりの赤子のような表情に見えたのです。

「さっちゃんは生きたがっている」

僕は勝手にそう感じてしまいました。

それが本当にさっちゃんにとって正しい選択なのかどうかは分かりません。

でも、その選択の方が僕にとっては無理がなく、嬉しい選択なんです。

さっちゃんは自分の意志を表現することは出来ません。

それを想像し、最終的には僕自身の願いのままに決めるしかないのです。

その結果に対する責任は全て僕自身で引き受けるしかありません。

 

医師の説明を受けた29日には僕の気持ちは決まっていました。

ひと晩経ってもその気持ちは揺らぎませんでした。

30日にI老健のS田さんに電話をし、中心静脈栄養をして欲しい旨を伝えました。

31日の午後、S田さんから連絡が入り、翌日入院が決まりました。

 

8月1日(木)、タクシー会社に電話をし、I老健へ向かいました。

10時45分には到着し、出発を待ちます。

介護タクシーが来て、さっちゃんも車椅子で降りて来ます。

さっちゃんの荷物が大きな段ボール箱に入れられています。

 

医師と看護師も見送りでしょうか、玄関ロビーに来てくださいます。

僕は医師に最後の確認をしました。

「中心静脈栄養がセットされた状態ではこの老健では受け入れられないのでしょうか?」

医師の答えは明瞭でした。

「受け入れられません」と。

中心静脈栄養がセットされた状態の入所者に対する医療的対応が困難だと言うことです。

つまり、この日がさっちゃんにとってのI老健との別れの日でもあるのです。

僕は見送りに来てくださっている皆さんに「長い間本当にお世話になりました」と挨拶を繰り返しました。

 

介護タクシーで病院へ向かい、入退院受付で手続きし、看護師さんを待ちます。

しばらくすると、看護師さんたち2人が来て、さっちゃんを車椅子からストレッチャーに移してくれました。

介護タクシーの運転手さんは次の仕事があるので、ここでお別れです。

料金は9000円でした。

酸素ボンベが必要なのでいつもよりも高くなるのです。

 

▲11:29。病院の1階フロアで、ストレッチャーに載ったさっちゃんは長く待ちました。さっちゃんは病院の8階(くらいあるのかな?)までの高い吹抜けの真下にいます。太陽の明るい光も降り注いでいます。そんな珍しい風景を目を見開いて見ているようです。写真左上の黒いものが酸素ボンベ。

 

さっちゃんに話しかけ、さっちゃんと目を合わせて、毛布の上からさっちゃんの手や膝を擦って、時間を過ごしました。

長く感じる時間が経ち、再び看護師さんたちが来てくれました。

今度はストレッチャーからベッドに移されます。

体重の軽いさっちゃんはいとも簡単に移されます。

一見乱暴にも見える移乗作業ですが、さっちゃんはどこか痛く感じたりはしないのでしょうか?

そして、エレベーターに乗って病棟へ行きました。

さっちゃんはそのまま病室へ向かい、僕は雑多な手続き等で多忙になります。

 

途中、さっちゃんの担当医師が来て話をしてくださいました。

前回入院した時と同じ女性のお医者さんです。

先生もそれは覚えてくださっていました。

T岡先生というお医者さんですが、今後の見通しを話してくださいます。

その内容はI老健の医師とは少し異なるものでした。

どうも中心静脈栄養の造設を次善の策と考えているようなのです。

「出来る限り、胃瘻も活用したい」

「それが駄目なら中心静脈栄養も仕方ないけれど、その後も胃瘻の活用が出来るのならば、戻したい」

そのようにおっしゃるのです。

「胃瘻が使えるのなら、I老健へも戻れますしね」

「その辺りのことは相談員さんと連絡を取り合いたいと思っています」

そんな風におっしゃいます。

僕は聞いてみました。

「でも、中心静脈栄養がセットされたままでは老健では対応できないのでは?」

すると、T岡先生はこうおっしゃるのです。

「老健へ戻るとしたら、中心静脈栄養は外します」

どうやら中心静脈栄養も普通の点滴(末梢静脈栄養)同様、容易に外せるみたいですね。

確かに、胃瘻を使用する限り、胃から逆流して誤嚥することで肺炎を引き起こす確率は高まります。

しかし、胃瘻を使用しなくても唾液等が肺に入る心配はありますから、誤嚥性肺炎にはなります。

T岡先生はト-タルに考えて、可能な限り胃瘻を活かした方がいいと考えているようです。

僕はホッと安心する気分です。

 

「入院診療計画書」には以下のように記されていました。

入院期間はとりあえず10日間程度と見ているようです。

「医師の指示の下、適切な栄養補給法を提案します」とありますから、中心静脈栄養は既定路線ではないみたいです。

 

もちろん中心静脈栄養造設の可能性は高いのかもしれません。

でも、それに至らない、これまで通りの姿に戻ることが出来れば、いちばんいいと思います。

血管が硬くなって通常の点滴を打つ場所が無くなって来ているのは確かなようです。

I老健へは戻れず、医療の充実した介護医療院のような施設へ行くようになるのかもしれません。

先のことは分かりませんが、T岡先生の話を聞いて、ほんの僅かな光明に触れた気がしました。

コメント
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