今年は母の新盆でした。お迎えをすませ、義妹と母の衣類の整理をしていたところ、17年前に亡くなった父の宝物が見つかりました。出征する時の日の丸です。肌身離さず持っていたと思われます。若いころに見せてもらった事はありましたが、それ以来行方知れずになっていました。他に軍隊時代のアルバムが有るはずですがまだ見つかりません。
父はお酒が入ると軍隊時代の話をよくしました。弟二人は「また始まった」と言って逃げ出しましたが、私は父の話を聞くのが好きで、いつも最後まで聞き入っていました。
父は19歳で徴兵され、後にニューギニアに渡ったそうです。いかに過酷で壮絶な状況だったのか、何を食べて命をつないできたのか、上官の理不尽な殴る蹴るの暴力をいかに耐え忍んできたのか話てくれましたが、とても口には出せない事もいろいろあるようでした。
私の記憶に今も深く残っているのは、敵の銃砲から逃れるために三日三晩川の中に首まで浸かり、意識を失いながらも気がついた時には、30数名いた同じ班の仲間が自分を含めて3人しか残っていなかったという話です。
そして、万に一つあるかないかの偶然で姉の夫と戦地で出会い言葉を交わしたそうですが、自分が帰還してみると叔父も従兄弟もそして姉の夫も、皆戦地で亡くなっていたそうです。父は幼子三人を抱えた姉を思い、まだ独り身だった自分が代わってあげたかったと…、そして周囲の人達も同じように思ったようです。六歳の時に母親を亡くした父は、姉を母のように慕っていて、姉とその子供達をいつも心にかけ力になっていました。
時を同じくして、私は百田尚樹の永遠の0を読んでいました。深い感銘を受けていたところに父の宝物が見つかり海軍航空隊と陸軍の違いこそあれ、父の話と重なるところがいくつもあり、感動で涙が溢れました。戦争の上に今の日本社会が成り立ち、そして私達がいる……感無量です。
いつも物静かで穏やかだった父は、警視庁警察官の奉職を全うし80歳で亡くなりました。私が持ち帰った宝物は、父の孫達が集まった時にお披露目をしてから、私が父の元に届けようと思っています。
虫食いの穴がいっぱい開いていました。寄せ書きのないのが少し淋しいですが…。
「武運長久」とは武人としての命運が長く続くことだそうです。