先日、龍くんが遊んでいる姿を若住職と見ながら、「私たちって子煩悩だね」と話していました。
「子煩悩」というと、何となくほのぼのとしたイメージがあり、一般に「我が子をとっても可愛がる親」という意味で使われています。
だから何となく自画自賛のようなつもりで言ったのですが、ふと「煩悩」は決して褒め言葉ではないなぁと、互いに思い直しました。
煩悩の語源は「苦しめるもの」。
それは、人間が人間として生まれ生きる限りは、決して捨て去ることのできない毒のようなものです。
とどまることを知らない欲望、自分の正しさを疑わずに抱く怒り、我が身を省みることなく愚痴をいう愚かさ。
自分の中に巣食う毒。
その毒が苦しみを生み、執着を生み、偏りを生み、ものごとをあるがままに明らかに見る悟りの境地への道を阻みます。
それが煩悩であるのだから、そもそも「子煩悩」とはどういう意味なのかが気になりました。
すると答えは、「子という煩悩」「子は煩悩である」というものでした。
つまり、子供は親を苦しめるものということ。
我が子という存在は、あらゆるものへの執着を生みます。
我が子への愛情は、あらゆるものへの偏見を生みます。
お釈迦さまは我が子が生まれたとき、「ラーフラ(障り)」と叫びました。
大河ドラマで登場した藤木直人演じる西行は、自分にまとわりつく幼い娘を足蹴にして、その足で出家しました。
愛情という言葉はとても素敵な響きを与えてくれますが、すべてに愛情を注ぐことのできない凡夫にとっては、それもまた煩悩であり、執着です。
そして、我が子から生じた執着を離れ、捨て去るところに、偏ることのない悟りへの第一歩がありました。
けれど私は、子という煩悩を味わうことのできたご縁を、大切にしたいと思います。
捨て去りたくない煩悩を抱えたまま救われていく道の前に、私はいるのですから。
だからせめて、生きとし生ける全ての人々が、親に愛情という煩悩を生じさせた存在であるということを忘れないでいたい…。
忘れないでいられたら、きっと私はもう少し優しくなれると思うから(笑)
お彼岸が終わりました。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年は何とも言えない陽気が続きましたね。
さてさて、お彼岸というと見かける「おはぎ」、皆さんは食べられましたか?
私も小さい頃は、中のツブツブ感が苦手だったのですが、今は大好きなのでしっかりいただきました。
今では通年で「おはぎ」と言いますが、同じ食べ物でも春のお彼岸にいただくのは「ぼたもち」です。
これは春に咲く牡丹の花を見立てられているためで、漢字で書くと「牡丹餅」になります。
「おはぎ」は漢字で書くと「お萩」。
これもやはり秋にさく萩の花に見立てられているためで、9月のお彼岸にいただくのが「おはぎ」になります。
じゃあ夏と冬はどう言えばいいんだと思われませんか?
面白いことに、きちんと名前があるんです。
夏は「夜船」で、冬は「北窓」といいます。
もともとおはぎは、杵でつくお餅と違って、炊いた(蒸した)もち米を半分潰した状態にすれば作れます。
なので、周囲に音が漏れることもありません。
いつ搗(つ)いたか分からない → 搗き知らず
夏の夜船は、「搗き知らず」を「着き知らず」と読み替えるところに派生します。
夏の夜に、静かに着岸する船をイメージしましょう。
そして、冬の北窓は、「搗き知らず」を「月知らず」に読み替えます。
北の窓からは、東から昇り西に沈む月を見ることはできません。
北と冬の関連は、それぞれが同じ水に属する季節と方位となる五行説がもとにあるのかは定かではありませんが、同じく寒さを感じさせる言葉ですね。
春は牡丹餅、夏は夜船、秋はお萩、冬は北窓。
季節によって名前を変えるのは、日本が四季に恵まれていることの証です。
そして、その移り変わりを受け流すのではなく、機敏に察する情緒を「おはぎ」から感じました。
ちなみに、お中日の初参式にお出ししたのは、おはぎではなく冷たい白玉に温かい粒餡をかけたもの。
← これは私のオヤツ用 温×温(笑)
うーん、情緒が足りなかったかぁ。
昨日より春の選抜高校野球が始まりました。
選手宣誓をしたのは石巻工業高校(宮城)の阿部翔人主将(3年)が務めました。(以下全文)
東日本大震災から1年
日本は復興の真っ最中です。
被災された方々の中で苦しくて心の整理のつかない方、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみに暮れている方々がたくさんいます。
人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。
しかし日本がひとつになり、この苦難を乗り越えることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています。
だからこそ、日本中に届けます。
感動、勇気、そして笑顔。
見せましょう、日本の底力、絆を。
われわれ高校球児にできること。
それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
宣誓文はチームメイト全員で考えたそうです。
「人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。」
「人は誰でも」ではなく、他でもない彼らが抱えている悲しみと苦しみが伝わってくる宣誓でした。
お彼岸のお中日に、縁あって初参式をお勤めさせていただきました。
初参式とは、仏の子の誕生を慶び、お寺のご本尊にご報告をする儀式です。
主役の仏の子は、翌日に2ヶ月目を迎える女の子の赤ちゃんでした。
式のあいだ、ずっとぐっすり眠っていた赤ちゃん。
最後に皆さんで記念撮影するときになると、ぱっちり目を開けてくれて、とっても素敵な写真を撮ることができました♪
来られたときから写真を撮り続け、記念撮影が終わってから即プリントアウト。
刷り上った写真をアルバムに納めて、記念品としてお持ち帰りいただきました。
そして、もう一つの記念品がこちら。
赤ちゃん用のお念珠です。
比較するものがなくて分かりづらいですが、とっても小さくて可愛らしいお念珠です。
こちらのお年珠は、京都の西本願寺前にあるぜにや(http://www.zeniya.jp/)というお店に注文して取り寄せました。
石は薄いピンクで、むちむちした赤ちゃんの手に可愛く収まり、とっても微笑ましかったです。
初参式は外出が可能な赤ちゃんから、小学校入学前のお子さまが対象です。
今回のように小さなお子様の場合には、授乳やオムツ換え用のお部屋もご用意いたします。
(赤ちゃんを寝かせられるマットレスも完備)
人生で初めてのお参りを、記念に残るものにしてみませんか?
お申込み、お待ちいたしております。
城ヶ島の漁港にあったマグロ料理屋さんでお昼ご飯を食べてから、思いつきで向かったのは、高徳院にある鎌倉の大仏さま。
この大仏は阿弥陀如来です。
「奈良の大仏」で親しまれている東大寺の大仏は盧舎那仏(るしゃなぶつ)なので、同じ大仏でも異なる仏さまを現しています。
高さは11.39m(台座を含めると13.35m)で、奈良の大仏(14.7m)より一回り小さめ。
高徳院は浄土宗のお寺です。
なので、単純に浄土宗のご本尊である阿弥陀さまの大仏を造立したのだと思っていたのですが、このお寺はもともとは真言宗のお寺だったようです。
お寺の開基や建立された年代は不明ですが、大仏は鎌倉時代には完成。
浄土宗に属することになったのは、真言宗から臨済宗への転派を経て、江戸時代に入ってからのこと。
ちなみに大仏が造立された当時は、当然ながら建物(大仏殿)の中に安置されていました。
しかし、造立から100年ほどの間に2度倒壊し、それ以後再建された形跡はなかったという調査結果が出ているそうです。
さて、鎌倉の大仏の最大の特徴は、中に入れるということ。
龍くんを抱きかかえ、狭い階段を上がると、大仏の胸の下あたりに位置する空間に出ます。
そして、上を見上げると…。
穴の部分が大仏の頭部になります。
龍くんが怖がっていたので、すぐに外に出ましたが、なかなか貴重な時間を過ごさせていただきました。
というわけで、お土産はこんな感じ(笑)
中は小さな草餅で、大仏的な要素はゼロでしたが、美味しかったです。