昨晩は、何か…世界遺産?いや歴史的な建造物?
リサイタルと呼ぶにははばかられるような素晴らしい音を体験することができた。
この出かける前の数分で文字にするにはだいぶ気が引ける(実は、またこれから東京へ…)のだが、でも少しでも書き留めておきたいこともあり、こうしてパソコンに向かっている。
ともかく1925年生まれのチッコリーニは、かなりのご高齢である。もう今年で86歳になられた。ピアノに向かう足どりもゆっくりゆっくり…
しかし、いつものことながら、おもむろに弾き始めるその1音からチッコリーニの世界は始まるのだ。
長年、ただひたすらにピアノに相対するとこんなにも超自然的な音が出せるものか…これ以上、楽譜どおりに演奏することは困難なのではないかと思えるほど、楽譜に忠実に、それでいて神々しいまでに美しく…
演奏者が存在することさえ忘れて、ただただ音に聴き入った…
特に、プログラム2曲目のベートーヴェンの31番のソナタ。
これは、私は32曲のソナタの中で、一番好きな曲なのだが、チッコリーニだからこそ!という音楽が流れた。特に、フーガの出だし…涙がすーっとこぼれるほど極上の美しさだった。
前々回までは、これでもかというほどアンコールを何曲も弾きこなし、しかもミスタッチゼロという狂人的なテクニックの持ち主だったが、今回は、ややその陰りは見られた。が、そんなことに気をとられる必要のないくらい1つ1つの音、1つのフレーズが醸し出す高貴な音に、身を乗り出さずには聴けないほどだった。
後半のプログラムは、リストの「神前の踊りと終幕の二重奏」「イゾルデの愛の死」ほか、渋いプログラムだったが、リストの祈りが聴こえるような名演だった。
アンコールは、私は初めて聴いたのだが「メフィストポルカ」。しかし、表現力がこれまた素晴らしい!ウィットにとんだ終わり方は、チッコリーニのおちゃめな1面を垣間見た。
次の「愛の挨拶」。これは、実は私はあまり好きではない曲の1つで、どうしてこの甘いメロディが一般的にうけるのかどうも納得いかなかったのだが、チッコリーニが、この2曲目を弾く時になって初めて、優しい、柔和な表情になってピアノに向かわれそしてこのメロディが奏でられた時には、またしてもウルウル…きてしまった。
最後の曲は、チッコリーニの血が流れているアンダルシアの〇〇(←すみません、忘れてしまいました!あとで入れます)これは、当たり前に上手い!
とにかく、自然的な美しさ、澄み渡った空が美しいと感じるとき、いちょうの落ち葉の小路を歩きながら、凛とした空気を感じたときの心、そんな誰もが感じる、そして100年前も100年後も変わらない、ベートーヴェンが歩いた、リストが祈りを捧げたそれぞれの空間、それを再現できる歴史的な音に出会えた素晴らしいひと時だった。
リサイタルと呼ぶにははばかられるような素晴らしい音を体験することができた。
この出かける前の数分で文字にするにはだいぶ気が引ける(実は、またこれから東京へ…)のだが、でも少しでも書き留めておきたいこともあり、こうしてパソコンに向かっている。
ともかく1925年生まれのチッコリーニは、かなりのご高齢である。もう今年で86歳になられた。ピアノに向かう足どりもゆっくりゆっくり…
しかし、いつものことながら、おもむろに弾き始めるその1音からチッコリーニの世界は始まるのだ。
長年、ただひたすらにピアノに相対するとこんなにも超自然的な音が出せるものか…これ以上、楽譜どおりに演奏することは困難なのではないかと思えるほど、楽譜に忠実に、それでいて神々しいまでに美しく…
演奏者が存在することさえ忘れて、ただただ音に聴き入った…
特に、プログラム2曲目のベートーヴェンの31番のソナタ。
これは、私は32曲のソナタの中で、一番好きな曲なのだが、チッコリーニだからこそ!という音楽が流れた。特に、フーガの出だし…涙がすーっとこぼれるほど極上の美しさだった。
前々回までは、これでもかというほどアンコールを何曲も弾きこなし、しかもミスタッチゼロという狂人的なテクニックの持ち主だったが、今回は、ややその陰りは見られた。が、そんなことに気をとられる必要のないくらい1つ1つの音、1つのフレーズが醸し出す高貴な音に、身を乗り出さずには聴けないほどだった。
後半のプログラムは、リストの「神前の踊りと終幕の二重奏」「イゾルデの愛の死」ほか、渋いプログラムだったが、リストの祈りが聴こえるような名演だった。
アンコールは、私は初めて聴いたのだが「メフィストポルカ」。しかし、表現力がこれまた素晴らしい!ウィットにとんだ終わり方は、チッコリーニのおちゃめな1面を垣間見た。
次の「愛の挨拶」。これは、実は私はあまり好きではない曲の1つで、どうしてこの甘いメロディが一般的にうけるのかどうも納得いかなかったのだが、チッコリーニが、この2曲目を弾く時になって初めて、優しい、柔和な表情になってピアノに向かわれそしてこのメロディが奏でられた時には、またしてもウルウル…きてしまった。
最後の曲は、チッコリーニの血が流れているアンダルシアの〇〇(←すみません、忘れてしまいました!あとで入れます)これは、当たり前に上手い!
とにかく、自然的な美しさ、澄み渡った空が美しいと感じるとき、いちょうの落ち葉の小路を歩きながら、凛とした空気を感じたときの心、そんな誰もが感じる、そして100年前も100年後も変わらない、ベートーヴェンが歩いた、リストが祈りを捧げたそれぞれの空間、それを再現できる歴史的な音に出会えた素晴らしいひと時だった。