4月1日(日)午後2時から平和公園のロシア兵捕虜墓地で日露戦争時のロシア兵捕虜(名古屋で亡くなった15名)の慰霊祭が行われました。慰霊祭は日本ユーラシア協会愛知県連とハリストス教会の共催で行われ、松島神父様と教会の聖歌隊の方々が毎年ここでミサをとりおこなってくださっています。
4月1日は雨模様で冷たい風が吹く日でしたが在大阪ロシア領事館のアレクセイ・ウソフ領事、日本ユーラシア協会会員、「ロシアとの友好・親善ををすすめる会」会員など約40名が参加し、名古屋で亡くなったロシア兵の冥福を祈り、日露全戦没兵士と東日本大震災の犠牲者に黙とうを捧げました。ミサの後全員がお墓に献花を。
この後、愛知県連の合唱団「ミール」が「ロシアわが祖国」と「ふるさと」を献歌し、あいにくのお天気なので短時間でしたが「パミンキ」(追善のもてなし)がありました。
日露戦争後名古屋には数か所の捕虜収容所があり、数千人の捕虜がいたとのことです。名古屋の収容所で亡くなった15人のロシアの兵士は最初は東区にあった陸軍墓地内に埋葬されていたそうです。名古屋の空襲や墓地の移転などでよくわからなくなっていたのだそうですが1990年に日本ユーラシア協会員によって再発見され、ユーラシア協会愛知県連やハリストス教会の呼びかけで市民から募金もあり、15基の墓が再建されました。
1991年から毎年4月の第一日曜日にここで慰霊祭が行われています。
今では亡くなった15人の名簿も確認されているそうです。名簿によると15人のうち大半は20-30代の人で、肺炎や結核で亡くなっています。せっかく戦争を生き延びたのに 故郷を遠く離れた異国で死ぬことになったまだ若い人たち。どんなに無念だったことでしょう。
4月1日は雨模様で冷たい風が吹く日でしたが在大阪ロシア領事館のアレクセイ・ウソフ領事、日本ユーラシア協会会員、「ロシアとの友好・親善ををすすめる会」会員など約40名が参加し、名古屋で亡くなったロシア兵の冥福を祈り、日露全戦没兵士と東日本大震災の犠牲者に黙とうを捧げました。ミサの後全員がお墓に献花を。
この後、愛知県連の合唱団「ミール」が「ロシアわが祖国」と「ふるさと」を献歌し、あいにくのお天気なので短時間でしたが「パミンキ」(追善のもてなし)がありました。
日露戦争後名古屋には数か所の捕虜収容所があり、数千人の捕虜がいたとのことです。名古屋の収容所で亡くなった15人のロシアの兵士は最初は東区にあった陸軍墓地内に埋葬されていたそうです。名古屋の空襲や墓地の移転などでよくわからなくなっていたのだそうですが1990年に日本ユーラシア協会員によって再発見され、ユーラシア協会愛知県連やハリストス教会の呼びかけで市民から募金もあり、15基の墓が再建されました。
1991年から毎年4月の第一日曜日にここで慰霊祭が行われています。
今では亡くなった15人の名簿も確認されているそうです。名簿によると15人のうち大半は20-30代の人で、肺炎や結核で亡くなっています。せっかく戦争を生き延びたのに 故郷を遠く離れた異国で死ぬことになったまだ若い人たち。どんなに無念だったことでしょう。