7月7日(土)午後5時半から愛知民主会館で 「イワノフカ少年少女アンサンブル」の歓迎会が開かれました。
イワノフカってどこにあるのでしょう?そして彼らはどうして日本に来たのでしょう?
イワノフカはロシアアムール州の首都ブラゴベシェンスク(ハバロフスクから北西に500キロほど入ったところ)近郊に
ある村です。
1994年 シベリア抑留者の墓参に行った全国抑留者補償協議会の方がこのイワノフカを訪れた際に
ロシア革命直後の1919年にこの村で日本軍による村民虐殺事件があったことを知らされました。
学校の日本史の授業では20世紀の歴史はあまり詳しく教えられません。日本の「シベリア出兵」に
ついては多くの日本人がよく知らないのが現状です。
岐阜県揖斐川町の勝善寺ご住職の横山周導さんはご自身も抑留者で 抑留者の墓参を続けて
おられましたがこの事件を知り、「ロシアと日本の親善友好を進める会」を立ち上げて
10年間にわたり毎年墓参団と共にイワノフカを訪問しこの事件の犠牲者と抑留者の
慰霊と現村民との交流を続けてこられました。
横山さんの活動についてはこちらをご覧ください。
今回はこの「ロシアとの友好新鮮を進める会」の招きでイワノフカにある芸術学校の生徒のアンサンブルが
来日しました。約1週間の日程で揖斐川町でのコンサートを始め、平和公園のロシア人墓地や三重県鈴鹿の大黒屋
光太夫記念館などを訪問、様々な交流活動の合間にちょっとだけ観光(動物園と大須でショッピング)もあったそうですが
彼らの滞在期間中は雨ばかりだったのはほんとうに気の毒でした。
8日には帰国ということで この少年少女アンサンブルとイワノフカの村長、芸術学校の校長と先生を最後の夕食にご招待しました。
最初に日本ユーラシア協会の合唱団ミールが日本語とロシア語でロシアの歌を歌って歓迎します。
ロシア人の子供たちは ロシア風の衣装でロシア語で歌う日本人にちょっとびっくり、、
子供たちは10歳から17歳までいずれもイワノフカの芸術学校で楽器の演奏や歌やダンスを学んでいます。
ピアノはもちろん、ロシアの伝統的な楽器バララライカやドムラ、さらに木製のスプーンをカスタネットのように
鳴らして演奏する曲も披露されました。
11歳のエヴェリーナちゃんがソロで「カリンカ」を歌います。
ミニコンサートのフィナーレは村長さん(右端のピンクのスカートの女性)や先生もいっしょに故郷「イワーノフカ」の歌を熱唱!
お食事はビュッフェでした。慣れない食べ物は食べないだろうということで子供たちにはサンドイッチや唐揚げなどを用意、
フルーツやロシア風のお菓子の差し入れもありました。
子供たちはシャイで自分たちだけで固まってしまい、日本人はやはりシャイなので日本人ばかりで話していて
つまらないので 子供たちに自己紹介してもらいました。歌や楽器の演奏やダンスが大好き、日本に印象を
聞くとみんなが「町が清潔できれい、みんな親切!」とうれしいことを言ってくれました。
大人たちはワインや日本酒も飲んでだんだん緊張もほぐれ、最後はイワノフカの先生にアコーディオンで伴奏を
お願いして 日露の大合唱になりました。
「カチューシャ」「灯」「ぐみの木」「モスクワ郊外の夕べ」「カリンカ」と日本人におなじみのロシア民謡が
響き渡りました。
雨ばかりでお気の毒でしたが 日本にいい印象を持って帰ってくれたことを祈ります。
今年も8月に日本からの墓参団がイワノフカを訪問されるとのこと。「楽しみにして待っています!」
と村長さんから暖かいお言葉がありました。
イワノフカってどこにあるのでしょう?そして彼らはどうして日本に来たのでしょう?
イワノフカはロシアアムール州の首都ブラゴベシェンスク(ハバロフスクから北西に500キロほど入ったところ)近郊に
ある村です。
1994年 シベリア抑留者の墓参に行った全国抑留者補償協議会の方がこのイワノフカを訪れた際に
ロシア革命直後の1919年にこの村で日本軍による村民虐殺事件があったことを知らされました。
学校の日本史の授業では20世紀の歴史はあまり詳しく教えられません。日本の「シベリア出兵」に
ついては多くの日本人がよく知らないのが現状です。
岐阜県揖斐川町の勝善寺ご住職の横山周導さんはご自身も抑留者で 抑留者の墓参を続けて
おられましたがこの事件を知り、「ロシアと日本の親善友好を進める会」を立ち上げて
10年間にわたり毎年墓参団と共にイワノフカを訪問しこの事件の犠牲者と抑留者の
慰霊と現村民との交流を続けてこられました。
横山さんの活動についてはこちらをご覧ください。
今回はこの「ロシアとの友好新鮮を進める会」の招きでイワノフカにある芸術学校の生徒のアンサンブルが
来日しました。約1週間の日程で揖斐川町でのコンサートを始め、平和公園のロシア人墓地や三重県鈴鹿の大黒屋
光太夫記念館などを訪問、様々な交流活動の合間にちょっとだけ観光(動物園と大須でショッピング)もあったそうですが
彼らの滞在期間中は雨ばかりだったのはほんとうに気の毒でした。
8日には帰国ということで この少年少女アンサンブルとイワノフカの村長、芸術学校の校長と先生を最後の夕食にご招待しました。
最初に日本ユーラシア協会の合唱団ミールが日本語とロシア語でロシアの歌を歌って歓迎します。
ロシア人の子供たちは ロシア風の衣装でロシア語で歌う日本人にちょっとびっくり、、
子供たちは10歳から17歳までいずれもイワノフカの芸術学校で楽器の演奏や歌やダンスを学んでいます。
ピアノはもちろん、ロシアの伝統的な楽器バララライカやドムラ、さらに木製のスプーンをカスタネットのように
鳴らして演奏する曲も披露されました。
11歳のエヴェリーナちゃんがソロで「カリンカ」を歌います。
ミニコンサートのフィナーレは村長さん(右端のピンクのスカートの女性)や先生もいっしょに故郷「イワーノフカ」の歌を熱唱!
お食事はビュッフェでした。慣れない食べ物は食べないだろうということで子供たちにはサンドイッチや唐揚げなどを用意、
フルーツやロシア風のお菓子の差し入れもありました。
子供たちはシャイで自分たちだけで固まってしまい、日本人はやはりシャイなので日本人ばかりで話していて
つまらないので 子供たちに自己紹介してもらいました。歌や楽器の演奏やダンスが大好き、日本に印象を
聞くとみんなが「町が清潔できれい、みんな親切!」とうれしいことを言ってくれました。
大人たちはワインや日本酒も飲んでだんだん緊張もほぐれ、最後はイワノフカの先生にアコーディオンで伴奏を
お願いして 日露の大合唱になりました。
「カチューシャ」「灯」「ぐみの木」「モスクワ郊外の夕べ」「カリンカ」と日本人におなじみのロシア民謡が
響き渡りました。
雨ばかりでお気の毒でしたが 日本にいい印象を持って帰ってくれたことを祈ります。
今年も8月に日本からの墓参団がイワノフカを訪問されるとのこと。「楽しみにして待っています!」
と村長さんから暖かいお言葉がありました。
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