平成22年2月22日。
大当たり感満載の、
すさまじいゾロ目の日に。
まず、親友へ。
お誕生日おめでとう。
大丈夫。全然大丈夫。
だって、
どう見ても、今年は大当たりだよ。
*
実は
ぶっちゃけますと:
ずーっと悩んでて、悶々と抱えて来ていた問題が、ありました。
それは、
「結局、自分は何をやりたいのか」
ということです。
だいぶ重要な、一番肝心な課題です。
「コンセプト」というやつです。
「えっ? なかったの!?」って、びっくりさせてしまうところです。
漠然と、こうしたいなあ、、、と薄く思ってても、
自分でも しっかりはっきり言葉にできないままだった問題でした。
とりあえず
何か手当り次第にやらなきゃ、何も見えても来ないから、と、
まずは直観に頼って、
人の親切にすがって、
ウロウロと、さまよってみました。
それが、
去年の春の、退職を決めた瞬間からの動き。
*
ずるずると磨り減らしながら 悶々とそのタイミングを探していたとはいえ、
無謀な飛び出し方で スパッと辞めて、
とりあえず京都に行ってみて、
たくさん庭を巡ってみて、
「やっぱり庭が好きだ。この道で生きて行こう」と、気持ちを新たに認め直して
『歌庭』
ということばが降りて来て
きっと“何か”が、とても引っ掛かったので
なんとなく そのことばをタイトルに掲げて、ブログを始めました。
それから、
幸運にも、おしよせる素敵な機会に たくさん恵まれたので
おしよせる波に押されるがまま
「野口造園(仮称)」を立ち上げてしまったりしながら
とにかく動かなきゃ何も見えて来ないから
動いてみました。
しかし
立ち止まりもしつつ。
逃げたりもしつつ。
たくさん、失敗もしつつ。
そうやって、
少しずつ学ばせてもらいつつ。
たくさんのものを、棄てて。
でも
せめてこの「歌庭」だけは、自分の根幹のような気がして、
「ここだけはちゃんと、がんばらなきゃ」って、なぜか必死に思っていて、
とにかく、続けつつ。
今日に至ります。
その実、
「何がしたいのか」「何が訴えたいのか」も
その時々の記事ごとにはそれぞれあっただろうけれど、
肝心の根っこは、おぼろげなままに。
だから、いつも
読んでもらってありがたいけれど、すごく「申し訳ない」と思っていました。
*
それでもなかなか、きっぱりとした答えがなかなか見えず。
とりあえず現れる目の前の課題に もがき続けて、
秋に怯えて
冬に沈んで
寒さに動きが鈍り なんとなく沈滞しながらも
とにかく何かを探し続け
初日の出に 何かを感じ
旧正月の節目に 何かを感じ
今
春が近づいて
愉しかったこと 哀しかったこと
歓び
痛み
忘れていた色んなものを なぜか いっぺんに
どどどどっ!と憶い出す この季節に
そして なんとなく 緊張や絶望や不安に襲われる
この季節に
今年もまんまと 敏感に反応してしまって、
「うわああ!」ってなってた。
っていうのが、ここ最近のこと。
待ちわびた梅が 本格的に咲いてしまうと、その時季は来ます。
待ちわびた梅の花の「終わり」が明らかに見えて来て、
寒さと生ぬるさが どっちつかずに立ち現れて、
どうしていいかわからなくなる、
ここ最近の、この時季。
春の本格的な始まりの この時季はいつも、
地を這うように、もがき苦しむ。
オキザリになってる気がする。
オイテケボリにされる気がする。
今年もやはり、そうでした。
*
金曜の素敵なライブ(これはまた改めて書きます)で
すごく視界がひらけた感じがあって、
その後チャリで帰りながら、ニコニコが止まらなくて、
このうれしい気持ちをさらに満たしたい!と、
仙川の、馴染みの居酒屋さんに寄りました。
もう、ニコニコで。
そして
気づいたら
肚に潜めていた苦悩を どろどろと吐き出していたわけではないはずだけど
見抜かれていて
マスターや
そこに居合わせてくれた人生の先輩と話していたりして、
すごく ハッとしたこと
ピンと来ること
腑に落ちること
ここでもまた、目からうろこ。というか、
胸のつかえがとれたという、感覚になりました。
そして
そこで指南されるがまま、
「自分がほんとうに好きなこと(それさえずれてなければ、たいがい平気、ということ)」を
改めて見つめ直す
過去為して来たことと 脳内をこねくる作業をして、
見えて来たこと。
そのもろもろたちが
今日、仕事が一段落して、部屋の掃除をしているときに、
不意に バタバタバターッ!っと、重なって
繋がり合って、
急に
自分の中で色んなことがいっぺんに“理論”として 符合していって、
「あ、解けた。」
って、なったのです。
それで今、
とてもパーッとひらけた気持ちに、なっています。
「自分がいったい何をやりたいのか。」という、
ずっと向き合って来た、難題に、
やっと光が射した気がしています。
そもそも『歌庭』っていう、あるとき降りて来たこの言葉を
タイトルにしたのは、何故だったのか。
「なんで、『歌庭』なのか?」
ということにも、繋がって。
自分自身のことだからこそ 全然ちゃんと見えてなかったことが
やっとなんか、見えて来た気がして、
「これは、書かねば!」と思っているのが、
今、現在地点。
こういう時に限って、
書きたいこと/書くべきことが、
わんさかわんさか溢れて、ぐるぐる押し寄せています。
今、
脳内では アレとコレがこうしてこうつながって、はい、答えはこれ!
と、
脳内に限っては、“理論”が出来上がっている感じなのですが、
実際には
ことばが溢れすぎて 頭の中で ぐちゃぐちゃと暴れ狂っている状態なので、
説明できるかたちになるまで、もうちょっとかかりそう。
だったらまとまってから書け。という話なのですが
説明できるかたちに整理するために、衆人環視のあるこの場で書いている。というのも、
理由の一つとして、あります。
あと、今こうして書かないと、妙に間が空きそうだな、という気がした。
そういう理由もあります。
どちらにしても
今 わざわざ読んで下さっているあなたには
お目汚しさせてしまって、そして、お時間をとらせてしまって、申し訳ないと、思います。
今のこの瞬間も、
今までの歌庭の記事についても、
ほんとうに、
付き合ってくれて、ありがとうと、想います。
もうちょっと。
整理されるまで、ちょっと、お待ち下さい。
とりあえず今
自分は
顔を上げ
前を見据えて
やっと
本当の意味でのスタート地点に立ちました。
*
ちなみに今日は、
下北沢の「ふるんナイト」というライブイベントに行ってきました。
これがまた、とても良かった!
なので、これもまた、書きたいし、書かねばと思っています。
前回「(予告編)」と書いたライブのことの、本編も書かねばだし、書きたいし。
ああ、大変!
*
とりあえず今
大きな“当たり波”が おしよせているみたいです。
*
大当たり感満載の、
すさまじいゾロ目の日に。
まず、親友へ。
お誕生日おめでとう。
大丈夫。全然大丈夫。
だって、
どう見ても、今年は大当たりだよ。
*
実は
ぶっちゃけますと:
ずーっと悩んでて、悶々と抱えて来ていた問題が、ありました。
それは、
「結局、自分は何をやりたいのか」
ということです。
だいぶ重要な、一番肝心な課題です。
「コンセプト」というやつです。
「えっ? なかったの!?」って、びっくりさせてしまうところです。
漠然と、こうしたいなあ、、、と薄く思ってても、
自分でも しっかりはっきり言葉にできないままだった問題でした。
とりあえず
何か手当り次第にやらなきゃ、何も見えても来ないから、と、
まずは直観に頼って、
人の親切にすがって、
ウロウロと、さまよってみました。
それが、
去年の春の、退職を決めた瞬間からの動き。
*
ずるずると磨り減らしながら 悶々とそのタイミングを探していたとはいえ、
無謀な飛び出し方で スパッと辞めて、
とりあえず京都に行ってみて、
たくさん庭を巡ってみて、
「やっぱり庭が好きだ。この道で生きて行こう」と、気持ちを新たに認め直して
『歌庭』
ということばが降りて来て
きっと“何か”が、とても引っ掛かったので
なんとなく そのことばをタイトルに掲げて、ブログを始めました。
それから、
幸運にも、おしよせる素敵な機会に たくさん恵まれたので
おしよせる波に押されるがまま
「野口造園(仮称)」を立ち上げてしまったりしながら
とにかく動かなきゃ何も見えて来ないから
動いてみました。
しかし
立ち止まりもしつつ。
逃げたりもしつつ。
たくさん、失敗もしつつ。
そうやって、
少しずつ学ばせてもらいつつ。
たくさんのものを、棄てて。
でも
せめてこの「歌庭」だけは、自分の根幹のような気がして、
「ここだけはちゃんと、がんばらなきゃ」って、なぜか必死に思っていて、
とにかく、続けつつ。
今日に至ります。
その実、
「何がしたいのか」「何が訴えたいのか」も
その時々の記事ごとにはそれぞれあっただろうけれど、
肝心の根っこは、おぼろげなままに。
だから、いつも
読んでもらってありがたいけれど、すごく「申し訳ない」と思っていました。
*
それでもなかなか、きっぱりとした答えがなかなか見えず。
とりあえず現れる目の前の課題に もがき続けて、
秋に怯えて
冬に沈んで
寒さに動きが鈍り なんとなく沈滞しながらも
とにかく何かを探し続け
初日の出に 何かを感じ
旧正月の節目に 何かを感じ
今
春が近づいて
愉しかったこと 哀しかったこと
歓び
痛み
忘れていた色んなものを なぜか いっぺんに
どどどどっ!と憶い出す この季節に
そして なんとなく 緊張や絶望や不安に襲われる
この季節に
今年もまんまと 敏感に反応してしまって、
「うわああ!」ってなってた。
っていうのが、ここ最近のこと。
待ちわびた梅が 本格的に咲いてしまうと、その時季は来ます。
待ちわびた梅の花の「終わり」が明らかに見えて来て、
寒さと生ぬるさが どっちつかずに立ち現れて、
どうしていいかわからなくなる、
ここ最近の、この時季。
春の本格的な始まりの この時季はいつも、
地を這うように、もがき苦しむ。
オキザリになってる気がする。
オイテケボリにされる気がする。
今年もやはり、そうでした。
*
金曜の素敵なライブ(これはまた改めて書きます)で
すごく視界がひらけた感じがあって、
その後チャリで帰りながら、ニコニコが止まらなくて、
このうれしい気持ちをさらに満たしたい!と、
仙川の、馴染みの居酒屋さんに寄りました。
もう、ニコニコで。
そして
気づいたら
肚に潜めていた苦悩を どろどろと吐き出していたわけではないはずだけど
見抜かれていて
マスターや
そこに居合わせてくれた人生の先輩と話していたりして、
すごく ハッとしたこと
ピンと来ること
腑に落ちること
ここでもまた、目からうろこ。というか、
胸のつかえがとれたという、感覚になりました。
そして
そこで指南されるがまま、
「自分がほんとうに好きなこと(それさえずれてなければ、たいがい平気、ということ)」を
改めて見つめ直す
過去為して来たことと 脳内をこねくる作業をして、
見えて来たこと。
そのもろもろたちが
今日、仕事が一段落して、部屋の掃除をしているときに、
不意に バタバタバターッ!っと、重なって
繋がり合って、
急に
自分の中で色んなことがいっぺんに“理論”として 符合していって、
「あ、解けた。」
って、なったのです。
それで今、
とてもパーッとひらけた気持ちに、なっています。
「自分がいったい何をやりたいのか。」という、
ずっと向き合って来た、難題に、
やっと光が射した気がしています。
そもそも『歌庭』っていう、あるとき降りて来たこの言葉を
タイトルにしたのは、何故だったのか。
「なんで、『歌庭』なのか?」
ということにも、繋がって。
自分自身のことだからこそ 全然ちゃんと見えてなかったことが
やっとなんか、見えて来た気がして、
「これは、書かねば!」と思っているのが、
今、現在地点。
こういう時に限って、
書きたいこと/書くべきことが、
わんさかわんさか溢れて、ぐるぐる押し寄せています。
今、
脳内では アレとコレがこうしてこうつながって、はい、答えはこれ!
と、
脳内に限っては、“理論”が出来上がっている感じなのですが、
実際には
ことばが溢れすぎて 頭の中で ぐちゃぐちゃと暴れ狂っている状態なので、
説明できるかたちになるまで、もうちょっとかかりそう。
だったらまとまってから書け。という話なのですが
説明できるかたちに整理するために、衆人環視のあるこの場で書いている。というのも、
理由の一つとして、あります。
あと、今こうして書かないと、妙に間が空きそうだな、という気がした。
そういう理由もあります。
どちらにしても
今 わざわざ読んで下さっているあなたには
お目汚しさせてしまって、そして、お時間をとらせてしまって、申し訳ないと、思います。
今のこの瞬間も、
今までの歌庭の記事についても、
ほんとうに、
付き合ってくれて、ありがとうと、想います。
もうちょっと。
整理されるまで、ちょっと、お待ち下さい。
とりあえず今
自分は
顔を上げ
前を見据えて
やっと
本当の意味でのスタート地点に立ちました。
*
ちなみに今日は、
下北沢の「ふるんナイト」というライブイベントに行ってきました。
これがまた、とても良かった!
なので、これもまた、書きたいし、書かねばと思っています。
前回「(予告編)」と書いたライブのことの、本編も書かねばだし、書きたいし。
ああ、大変!
*
とりあえず今
大きな“当たり波”が おしよせているみたいです。
*