メキシコの女子プロゴルファー、ナンシー・ロペスを彷彿させる陽気な先生も、この玉石混交教室をどう進めようかと思案している様子です。
生徒のばらつき具合にさすがの先生も狼狽して、「ところで、みなさんは過去形の勉強は終わっているわよね?」とつっこむ。上級者は「もちろん!」との自信に満ちた反応。私を含め中級を任ずる2~3人は「終わっている・・と思う」、初級者は自信を持って「とんでもない!」。
そんなばらばらの反応にもめげず、先生は健気にも三種類の規則動詞の過去形の活用のおさらいを始め、「規則動詞の活用はこの三つのパターンさえ覚えればいいんだから楽なもんでしょ。スペイン語は思ったほど難しくはないものよ!」とクラスに活を入れようと必死です。
初めて聞く話を熱心にノート取る初級者、「そういえば習った気がするよな」と記憶を呼び戻すに必死の中級者、黙ってうなずく上級者。ここでも反応はまちまちです。
「今日は先生が病気気味でもあるし、2時間目の中級クラスと3時間目の会話教室を一緒にして短縮授業にしましょう」と来た。空気を読み切って上手く逃げ切った感じですね。ここでもTodo es posible(なんでもあり)って感じです。
話題を先生が提供して、あとは生徒から出る意見に質問したりコメントを加えたりと、大学で教鞭をとる先生にしたら慣れた方式に切り替えです。
いきなり「マイケル・ジャクソンの死についてどう思う?」と飛び出しました。
上級者からは死因について、その後の遺産相続トラブルについてと、それらしい意見の開陳があった模様です。(悲しいかな、確信が持てずに「模様」どまりなのが中級の中級たる所以です。)
似非中級者の私は「日本でも大人気のマイケルの死はマスコミを賑わしているが、私個人としてはあまり関心はない」と言いたかったのですが、そんなことを言える実力があるはずもなく、「マイケルが好きであるわけではない。ゆえに、彼の死についてもさほどのコメントはない」が精一杯。超初級者からは「俺に質問しているわけ?」と反対に先生が聞かれる始末です。
弱者への思いやりからか、個人の意見を尊重するゆえか、初級者や中級者の低レベルのやりとりを目の当たりにしながらも、クラス運営の仕方に上級者が不満の色を表に出さないのです。それどころか初・中級者のブロークンスパニッシュを何とか理解しようと努め、中身に付いて真面目に質問するのです。
料理の話題になったとき、留学生T君が「得意料理は寿司」と発言したことからご飯の炊き方、味噌汁の作り方と話が進み、「朝昼晩と三食ご飯を食べるのは飽きないか?」「ご飯はパンみたいな主食。おかずに朝なら生卵、納豆、昼ならどんぶり、夜はもう少しヘビーな副食・総菜などで変化をつける」なんてやりとりをしながら授業が進むのです。
上級者は自分の意見は流暢なスペイン語で述べながらも、他人のカタコトスパニッシュにも、いやな顔一つせずに辛抱強く耳を傾けているのです。「おいおい、ちゃんと実力に応じてクラス分けしくれないの?」なんて野暮な文句や雰囲気は微塵も感じられません。
いろんな人種が混在している社会でのコミュニケーションに慣れっこになっていて、この程度のことには寛容なのだろうかと想像しています。
スーパーのレジで長蛇の列をしり目に1人の客と長話をしていても、他の客が文句を言わないのは、自分も同じことをするからと、寛容なのでしょうかね?
初級レベルは一応終わっているものの、改めて厳密な「中級講座」を学習するというよりも、なんとなく「一つ上のレベル」のスペイン語に接したかった私には、期せずして打ってつけのクラスの雰囲気であることに、ある種の安堵を感じています。
来週は10週間の授業のうちの第四週です。どんな風に展開してゆくのか、楽しいような、怖いような・・・。
20代の若者に倣い、中級者の驕りを捨てて、来週からは一時間目の初級講座にも顔を出してみようかと思っています。 Por que todo es posible.
生徒のばらつき具合にさすがの先生も狼狽して、「ところで、みなさんは過去形の勉強は終わっているわよね?」とつっこむ。上級者は「もちろん!」との自信に満ちた反応。私を含め中級を任ずる2~3人は「終わっている・・と思う」、初級者は自信を持って「とんでもない!」。
そんなばらばらの反応にもめげず、先生は健気にも三種類の規則動詞の過去形の活用のおさらいを始め、「規則動詞の活用はこの三つのパターンさえ覚えればいいんだから楽なもんでしょ。スペイン語は思ったほど難しくはないものよ!」とクラスに活を入れようと必死です。
初めて聞く話を熱心にノート取る初級者、「そういえば習った気がするよな」と記憶を呼び戻すに必死の中級者、黙ってうなずく上級者。ここでも反応はまちまちです。
「今日は先生が病気気味でもあるし、2時間目の中級クラスと3時間目の会話教室を一緒にして短縮授業にしましょう」と来た。空気を読み切って上手く逃げ切った感じですね。ここでもTodo es posible(なんでもあり)って感じです。
話題を先生が提供して、あとは生徒から出る意見に質問したりコメントを加えたりと、大学で教鞭をとる先生にしたら慣れた方式に切り替えです。
いきなり「マイケル・ジャクソンの死についてどう思う?」と飛び出しました。
上級者からは死因について、その後の遺産相続トラブルについてと、それらしい意見の開陳があった模様です。(悲しいかな、確信が持てずに「模様」どまりなのが中級の中級たる所以です。)
似非中級者の私は「日本でも大人気のマイケルの死はマスコミを賑わしているが、私個人としてはあまり関心はない」と言いたかったのですが、そんなことを言える実力があるはずもなく、「マイケルが好きであるわけではない。ゆえに、彼の死についてもさほどのコメントはない」が精一杯。超初級者からは「俺に質問しているわけ?」と反対に先生が聞かれる始末です。
弱者への思いやりからか、個人の意見を尊重するゆえか、初級者や中級者の低レベルのやりとりを目の当たりにしながらも、クラス運営の仕方に上級者が不満の色を表に出さないのです。それどころか初・中級者のブロークンスパニッシュを何とか理解しようと努め、中身に付いて真面目に質問するのです。
料理の話題になったとき、留学生T君が「得意料理は寿司」と発言したことからご飯の炊き方、味噌汁の作り方と話が進み、「朝昼晩と三食ご飯を食べるのは飽きないか?」「ご飯はパンみたいな主食。おかずに朝なら生卵、納豆、昼ならどんぶり、夜はもう少しヘビーな副食・総菜などで変化をつける」なんてやりとりをしながら授業が進むのです。
上級者は自分の意見は流暢なスペイン語で述べながらも、他人のカタコトスパニッシュにも、いやな顔一つせずに辛抱強く耳を傾けているのです。「おいおい、ちゃんと実力に応じてクラス分けしくれないの?」なんて野暮な文句や雰囲気は微塵も感じられません。
いろんな人種が混在している社会でのコミュニケーションに慣れっこになっていて、この程度のことには寛容なのだろうかと想像しています。
スーパーのレジで長蛇の列をしり目に1人の客と長話をしていても、他の客が文句を言わないのは、自分も同じことをするからと、寛容なのでしょうかね?
初級レベルは一応終わっているものの、改めて厳密な「中級講座」を学習するというよりも、なんとなく「一つ上のレベル」のスペイン語に接したかった私には、期せずして打ってつけのクラスの雰囲気であることに、ある種の安堵を感じています。
来週は10週間の授業のうちの第四週です。どんな風に展開してゆくのか、楽しいような、怖いような・・・。
20代の若者に倣い、中級者の驕りを捨てて、来週からは一時間目の初級講座にも顔を出してみようかと思っています。 Por que todo es posible.
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