ピリピ1:15-18
『人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。
一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、
他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。
すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。』
純粋な心は、人や状況、環境に影響されない心です。
ヨセフやダニエルは純粋な心を持った人でした。
自分に悪を働く者に対しても、自分の敵に対しても悪に悪をもって報いたことも、また憎んだり、恨んだりしたこともありませんでした。
誰に対してもいつも良い態度をもって接していました。
しかし多くの人は、『目には目、歯には歯』という態度を取ります。
ですから赦すというよりは争います。
使徒パウロは、いのちを懸けて人々にとって最も必要な福音を伝えましたが、人々は彼を憎み、迫害し、いのちまで狙いました。
福音を伝えたために牢の中に閉じ込められました。
しかし自分が不当な扱いを受けることも、憎まれても気にせず、どうしたら人々をキリストに導けるかだけを考えていました。
福音を伝えたい純粋な心は変わることがありませんでした。
ですから悪い動機で福音を伝えている人たちに対しても人間的な対応をせず、寛容な心で対応しました。
争うことや復讐を考えたのではなく、福音が伝えられていることを喜んでいました。
どんな時でもキリストの愛をもって善を行うことを主は喜びます。
【関連聖句】
ローマ12:17-18
『だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。』
【聖書通読】
-キリストの優越性-
- コロサイ1:15-29
《 3分バイブルボイス 》