ヨハネの福音書15:5
『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』
イエス様と信徒たちの関係がぶどうの木と枝であることを教えて下さったのはイエス様でした。
それは、枝のいのちの源が木であるように、信徒にとってのいのちの源も「いのちの主・イエス様」であるという意味です。
夏の強い台風が過ぎ去った後に、近くの桜並木を見ると多くの枝が折れていました。
無残な姿でした。
2、3日後に見ると、折れた枝はすっかり枯れて元の姿はありませんでした。
しかし折れていない枝は、いつものように青々としていました。
木から離れただけで水分も栄養ももらえないので枯れるのは当然ですね。
枝がどんなに立派に見えても、枝を支えるのは木です。
ぶどうの枝も、ぶどうの木にくっついている時だけ実を結ぶことが出来ます。
そして、ぶどうの木が枝に期待するのは実です。
実を結ばない枝は無用です。
いつか切り取られてしまいます。
そして集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
信徒たちの人生もそれと同じです。
実を結ぶ者と結ばない者の結果は全然違います。
実を結ばないならば、火に投げ込まれます。
しかし実を結ぶならば、天の父なる神はそれによって栄光をお受けになります。
信徒は実を結ぶために、イエス様の中にとどまっていなければなりません。
そして結ぶべき実は、御霊の実です。光の実です。
ガラテヤ5:22-23
『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。』
エペソ5:9
『光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです』
【祈り】
主よ。主から栄養をもらってたくさんの実を結びたいです。
【聖句をノートに書きましょう】
-ぶどうの木-
- レビ記25:5
- 申命記32:32
- エゼキエル書17:8
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