(聖書箇所:マタイ12:1-8)
[ 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。 ](7節)
聖徒たちは他人を非難する前に、罪に定める前に、彼らを理解し愛する姿勢が必要です。パリサイ人たちは ひもじくて安息日に麦の穂を摘んで食べたイエス様の弟子に対して安息日にしてはならないことをしたと非難し、罪に定めました。
しかし、もし彼らに律法の根本精神である“愛”があったならば、弟子たちの行為を決して非難しなかったと思います。文字通りに律法を守るのが信仰の目的ではありません。律法の真の目的で核心である“神への愛”と“隣人への愛”をないがしろにして形式的に守るのは神様が求めている姿ではありません。
みことばに対する間違った解釈は捨てて、みことばが語る真の目的を正しく知ってみことばを実行する者になりましょう。
(マタイ9:13 -- 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。)
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