詩篇34:18
『主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。』
石のように硬い心は幼い時から始まりますね。
最初は小さな石です。
わがままで言うことを聞かない幼子もたくさんいます。
おもちゃ屋の前で、泣き止まない子どもを今までたくさん見ました。
欲しい物を手に入れるまで泣く子もいます。
泣き止まないので親が負けて、おもちゃを買ってあげるとすぐに泣き止みます。
それを見ても、自分の思い通りにしたいという心がとても強いです。
その心が年々と大きくなってさらに堅い石の心になります。
堅すぎてなかなか打ち砕くことが出来ないです。
心を打ち砕くことは自我を殺すことです。
自我を打ち砕く場として一番適切な場所は、主の十字架です。
ガラテヤ2:20
『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。』
自分のために十字架にかかった主と共に、自我をそこに葬ることです。
主は自分を無にしてこの世に来て下さいましたので、人々に仕え、いのちまでも捨てることが出来ました。
自分の十字架を負って主について行くには、自我を打ち砕かないと無理です。
【関連聖句】
詩篇51:17
『神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。』
【聖書通読】
-キリストの優れた特権-
- へブル12:1-13:25
《 3分バイブルボイス 》