小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

いい加減にしろ、マイクロソフト。独占企業の身勝手さを許せるか!

2014-04-14 09:44:25 | Weblog
 ウィンドウズXPのサポートが終了した。利用者の間には戸惑いと怒りの声が広がっているようだ。
 マイクロソフトがXPを発売したのは2001年。すでに発売開始以来13年になるから、もう買い換えてくれてもいいだろう、とマイクロソフトは言いたいのだろう。
 マイクロソフトが、アップル・マッキントッシュの後追いでウィンドウズ機能をOSに搭載したのはウィンドウズ95からである(※その前にウィンドウズ3というできそこないのOSがあったが、大半のパソコン・メーカーがソッポを向いたためほとんど世に出なかった)。アップルが「ウィンドウズ」を商標登録していたら、マイクロソフトはウィンドウズ機能にどういう名称を付けていただろうか。「ウィンドウズ」という名称は、その機能を一言で表すとしたら抜群のネーミングではあった。
 今は日本市場のパソコンはウィンドウズが圧倒的なシェアを占めている。ウィンドウズが一人勝ちした最大の理由はワードやエクセル、インターネット・エクスプローラなどのアプリケーション・ソフトとの抱き合わせ販売をパソコン・メーカーに事実上、強制したからである。事実上の強制とは、パソコンと同時購入の場合と単体のオフィス製品(アプリケーションソフトの統合版)に約2倍の価格差をつけたのである。ウィンドウズ95及び98まではワードやエクセルは別々のCD-ROMに納められていて、ユーザーが抱き合わせで購入したソフトを自分でパソコンにインストールしていた。マイクロソフトがワードやエクセルなどのアプリケーションを1枚のCD-ROMに統合して「オフィス」と名付けるようにしたのは2000年以降である。
 そうしたマイクロソフトの販売方法に対して「独占は悪」と考えるアメリカ商務省がマイクロソフトを独禁法で取り締まり、OS部門(ウィンドウズ)とアプリケーション部門(オフィス)に企業分割しようとしたことがある。この危機を乗り切るためマイクロソフトはビル・ゲイツが名目上CEOの地位から降り、アップルのマッキントッシュにもオフィス製品を販売するという手段に出て、企業分割の危機を何とか乗り切った。
 が、抱き合わせ販売は継続し、ウィンドウズ95,98まではパソコン本体とワードやエクセルなどのソフトはいちおう別個に販売するという形をとっていたが、2000年に発売されたウィンドウズ2000とMeからはパソコン・メーカーに事実上、ソフトをあらかじめインストールさせる方法をとるようにした(強制したかどうかの証拠はないが、そうした方がメーカーにも利益が出るようにしたことは間違いない)。もちろんワードやエクセルなどのアプリケーションを1枚の「オフィス」CD-ROMに納めたものは付帯するというせこいやり方をとってだが。
 実はマイクロソフトはウィンドウズ98を開発中に、98の後継OSの開発チームを複数並行して立ち上げていた。開発チームを複数並行して競わせるというやり方はそれほど珍しいことではなく、開発が終了した時点で社内でどちらを商品化すべきか議論して最終的に1本化するのが通常である。よく知られた例だが、ホンダ(本田技研工業)で自動車エンジンの冷却方式を巡って創業者社長の本田宗一郎氏と、若手技術陣が対立したことがある。オートバイで世界を席巻したという自負から本田氏が空冷方式を主張したのに対して若手技術者たちが水冷式の優位性を主張して譲らず、二つの開発チームを並行して競うことになった。結果は若手技術者たちに軍配が上がり、ホンダは水冷方式を採用することにした。
 マイクロソフトも2000の開発チームとMeの開発チームを競わせたのはいいが、開発が終了した時点で商品化はどっちかに絞るべきだった。おそらくビル・ゲイツがCEOの地位にいたら、どっちかに絞っていたであろう。が、ゲイツが第一線から退いていたということもあって経営陣は一本化できず、二つのOSをほぼ同時に発売してしまった。困ったのは、実はパソコン・ユーザーではなく、パソコン・メーカーだった。どっちのOSがユーザーの支持を得られるか、大きな賭けを余儀なくされたのである。
 後でも書くが、マイクロソフトはOSとアプリケーションを同時に新製品を出すという戦略をとってきた。例外はXPだけで、2000年に同時に出荷したウィンドウズ2000とMeは両方ともオフィス2000を走らせるようにした。だからメーカーもユーザーも戸惑い、結果としては両方とも売れず、ウィンドウズ98の寿命が延びただけという結果になった。二つのOSが共倒れになったのは当然と言えば当然であった。
 ところが、マイクロソフトは実は2000、Meとは別にもうひとつ開発チームを走らせていた。その開発が遅れて、いったんお蔵入りになり2000とMeが商品化されたのである。だが、2000とMeが苦戦していた時期にお蔵入りしていたOSの開発が終わり、それがマイクロソフトの救世主になる。そのOSが1年後の2001年に発売されたXPなのである。
 マイクロソフトはそれまで通常3年サイクルで新しいOSを出してきた。最近は技術の急速な進歩もあって一般的に製品開発のサイクルは短縮されてきているが、例えば自動車でいえばフルモデルチェンジのサイクルは4年が通例という時期があった。これは技術進歩の問題より、あまり頻繁にモデルチェンジをしたら、ユーザーの買い替え需要の時期とずれてしまうという事情のほうが大きかったようだ。マイクロソフトが新しいOSにチェンジするサイクルを基本的に3年にしてきたのは、そういう意味もあった。そういう意味では98の次は3年後の2001年のはずだったが、この時期、米商務省とマイクロソフトが独禁法問題で争っていたという事情があってのことだと私は思っているが、企業分割を避けるためにあえてサイクルを1年早め、しかも競合する二つのOSを発売するという大ばくちを打つことにしたのではないだろうか。
 この失敗でマイクロソフトは大きな痛手を被る。ユーザーが98から2000にもMeにも買い換えてくれなかったのである。そのためマイクロソフトは2000とMeを発売した翌年に急きょXPを98の後継OSとして発売し、パソコン・メーカーにもXP一本に絞るよう頭を下げて頼む羽目になった。あの傲慢なマイクロソフトがパソコン・メーカーに「売ってやる」という姿勢から「買ってください」と頭を下げたのは、おそらくマイクロソフト史上で空前絶後だったはずだ。そのためメーカーにとってはかなり有利な条件でXPを提供したはずだ。XPが一気にパソコンの主流OSになったのはそういういきさつがあったからと思われる。
 当然メーカー側はマイクロソフトに対して「競合するOSを同時に発売して
ユーザーが戸惑うようなやり方はしないでくれ。少なくともXPについてはかなり長期にわたってサポートしてくれ」と申し入れたに違いない。XPがマイナーチェンジを繰り返しながら、XPの後継OSのウィンドウズ7が発売される2010年まで異例とも言える9年間もOSを変えなかったのは、そういう経緯があったからと考えるのが合理的である。ただし、同じ名称でいいのか、と思えるほどの大胆なバージョン・アップをXPは繰り返してきた。私も今はウィンドウズ7を使っているが、XPは2回買い換えている。
 実際オフィスはXPが発売されたときには2000をそのまま使用したが、その後OSはXPのままなのにオフィスは2003,2007と2度にわたり新製品を出している。マイクロソフトはOSとオフィスを同時にモデルチェンジしてきたから、XPの上で走るオフィスを3回もモデルチェンジしたのも異例中の異例である。現に、2010年には新しいOSのウィンドウズ7とオフィス2010を、2013年には最新のOSであるウィンドウズ8とオフィス2013を、それぞれ同時に発売している。
 ま、それはそれでマイクロソフトの企業戦略だから私がどうのこうのと言うわけではないが、XPがあまりにも長期にわたって使用されてきたため、とくに企業や役所などは膨大なデータやソフトをXP上で管理してきた。そのデータやソフトをそっくりウィンドウズ8に移せれば問題ないのだが、そう簡単に移行できないようだ。やはり企業倫理として、ビジネス上の理由から新しいOSに切り替えてくれとユーザーにお願いするのなら、それなりの良心的処置をとるべきだろう。ウイルスの感染リスクがウィンドウズ8.1に比べて21倍というのも、おかしな話だ。そうやってユーザーを脅してOSをチェンジさせるというのは、マイクロソフトの常とう的手段といわれても仕方あるまい。
 私は技術者ではないので、論理的な主張しかできないが、パソコン技術の専門家たちが「マイクロソフトがXPのサポートを終了するというなら、我々が継続するからアーキテクチュア―を全面的にオープンにしてくれ」とマイクロソフトに申し入れ、マイクロソフトが拒絶したら米商務省に独禁法違反で告発するのはいかがかと思う。
 パソコン市場はスマホの登場によって縮小の一途をたどっている。スマホは言うまでもなくアップルが最初に開発したが(iPad)、グーグルがオープン・アーキテクチュア―のアンドロイドを搭載したスマホが急速に伸びている。マイクロソフトはスマホの利用環境をパソコンに移すためにウィンドウズ8を発売したのだが、スマホに移ったユーザーがパソコンに戻ってくることはなかった。が、OSでアンドロイドを共有したパソコンをメーカーが発売すれば、スマホもパソコンも一気にアンドロイドの世界になる可能性は否定できない。グーグルはスマホ市場で勝利をおさめたら、おそらくそういう戦略に転換することは間違いないと思う。