小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

いい加減にしろ、マイクロソフト。独占企業の身勝手さを許せるか!

2014-04-14 09:44:25 | Weblog
 ウィンドウズXPのサポートが終了した。利用者の間には戸惑いと怒りの声が広がっているようだ。
 マイクロソフトがXPを発売したのは2001年。すでに発売開始以来13年になるから、もう買い換えてくれてもいいだろう、とマイクロソフトは言いたいのだろう。
 マイクロソフトが、アップル・マッキントッシュの後追いでウィンドウズ機能をOSに搭載したのはウィンドウズ95からである(※その前にウィンドウズ3というできそこないのOSがあったが、大半のパソコン・メーカーがソッポを向いたためほとんど世に出なかった)。アップルが「ウィンドウズ」を商標登録していたら、マイクロソフトはウィンドウズ機能にどういう名称を付けていただろうか。「ウィンドウズ」という名称は、その機能を一言で表すとしたら抜群のネーミングではあった。
 今は日本市場のパソコンはウィンドウズが圧倒的なシェアを占めている。ウィンドウズが一人勝ちした最大の理由はワードやエクセル、インターネット・エクスプローラなどのアプリケーション・ソフトとの抱き合わせ販売をパソコン・メーカーに事実上、強制したからである。事実上の強制とは、パソコンと同時購入の場合と単体のオフィス製品(アプリケーションソフトの統合版)に約2倍の価格差をつけたのである。ウィンドウズ95及び98まではワードやエクセルは別々のCD-ROMに納められていて、ユーザーが抱き合わせで購入したソフトを自分でパソコンにインストールしていた。マイクロソフトがワードやエクセルなどのアプリケーションを1枚のCD-ROMに統合して「オフィス」と名付けるようにしたのは2000年以降である。
 そうしたマイクロソフトの販売方法に対して「独占は悪」と考えるアメリカ商務省がマイクロソフトを独禁法で取り締まり、OS部門(ウィンドウズ)とアプリケーション部門(オフィス)に企業分割しようとしたことがある。この危機を乗り切るためマイクロソフトはビル・ゲイツが名目上CEOの地位から降り、アップルのマッキントッシュにもオフィス製品を販売するという手段に出て、企業分割の危機を何とか乗り切った。
 が、抱き合わせ販売は継続し、ウィンドウズ95,98まではパソコン本体とワードやエクセルなどのソフトはいちおう別個に販売するという形をとっていたが、2000年に発売されたウィンドウズ2000とMeからはパソコン・メーカーに事実上、ソフトをあらかじめインストールさせる方法をとるようにした(強制したかどうかの証拠はないが、そうした方がメーカーにも利益が出るようにしたことは間違いない)。もちろんワードやエクセルなどのアプリケーションを1枚の「オフィス」CD-ROMに納めたものは付帯するというせこいやり方をとってだが。
 実はマイクロソフトはウィンドウズ98を開発中に、98の後継OSの開発チームを複数並行して立ち上げていた。開発チームを複数並行して競わせるというやり方はそれほど珍しいことではなく、開発が終了した時点で社内でどちらを商品化すべきか議論して最終的に1本化するのが通常である。よく知られた例だが、ホンダ(本田技研工業)で自動車エンジンの冷却方式を巡って創業者社長の本田宗一郎氏と、若手技術陣が対立したことがある。オートバイで世界を席巻したという自負から本田氏が空冷方式を主張したのに対して若手技術者たちが水冷式の優位性を主張して譲らず、二つの開発チームを並行して競うことになった。結果は若手技術者たちに軍配が上がり、ホンダは水冷方式を採用することにした。
 マイクロソフトも2000の開発チームとMeの開発チームを競わせたのはいいが、開発が終了した時点で商品化はどっちかに絞るべきだった。おそらくビル・ゲイツがCEOの地位にいたら、どっちかに絞っていたであろう。が、ゲイツが第一線から退いていたということもあって経営陣は一本化できず、二つのOSをほぼ同時に発売してしまった。困ったのは、実はパソコン・ユーザーではなく、パソコン・メーカーだった。どっちのOSがユーザーの支持を得られるか、大きな賭けを余儀なくされたのである。
 後でも書くが、マイクロソフトはOSとアプリケーションを同時に新製品を出すという戦略をとってきた。例外はXPだけで、2000年に同時に出荷したウィンドウズ2000とMeは両方ともオフィス2000を走らせるようにした。だからメーカーもユーザーも戸惑い、結果としては両方とも売れず、ウィンドウズ98の寿命が延びただけという結果になった。二つのOSが共倒れになったのは当然と言えば当然であった。
 ところが、マイクロソフトは実は2000、Meとは別にもうひとつ開発チームを走らせていた。その開発が遅れて、いったんお蔵入りになり2000とMeが商品化されたのである。だが、2000とMeが苦戦していた時期にお蔵入りしていたOSの開発が終わり、それがマイクロソフトの救世主になる。そのOSが1年後の2001年に発売されたXPなのである。
 マイクロソフトはそれまで通常3年サイクルで新しいOSを出してきた。最近は技術の急速な進歩もあって一般的に製品開発のサイクルは短縮されてきているが、例えば自動車でいえばフルモデルチェンジのサイクルは4年が通例という時期があった。これは技術進歩の問題より、あまり頻繁にモデルチェンジをしたら、ユーザーの買い替え需要の時期とずれてしまうという事情のほうが大きかったようだ。マイクロソフトが新しいOSにチェンジするサイクルを基本的に3年にしてきたのは、そういう意味もあった。そういう意味では98の次は3年後の2001年のはずだったが、この時期、米商務省とマイクロソフトが独禁法問題で争っていたという事情があってのことだと私は思っているが、企業分割を避けるためにあえてサイクルを1年早め、しかも競合する二つのOSを発売するという大ばくちを打つことにしたのではないだろうか。
 この失敗でマイクロソフトは大きな痛手を被る。ユーザーが98から2000にもMeにも買い換えてくれなかったのである。そのためマイクロソフトは2000とMeを発売した翌年に急きょXPを98の後継OSとして発売し、パソコン・メーカーにもXP一本に絞るよう頭を下げて頼む羽目になった。あの傲慢なマイクロソフトがパソコン・メーカーに「売ってやる」という姿勢から「買ってください」と頭を下げたのは、おそらくマイクロソフト史上で空前絶後だったはずだ。そのためメーカーにとってはかなり有利な条件でXPを提供したはずだ。XPが一気にパソコンの主流OSになったのはそういういきさつがあったからと思われる。
 当然メーカー側はマイクロソフトに対して「競合するOSを同時に発売して
ユーザーが戸惑うようなやり方はしないでくれ。少なくともXPについてはかなり長期にわたってサポートしてくれ」と申し入れたに違いない。XPがマイナーチェンジを繰り返しながら、XPの後継OSのウィンドウズ7が発売される2010年まで異例とも言える9年間もOSを変えなかったのは、そういう経緯があったからと考えるのが合理的である。ただし、同じ名称でいいのか、と思えるほどの大胆なバージョン・アップをXPは繰り返してきた。私も今はウィンドウズ7を使っているが、XPは2回買い換えている。
 実際オフィスはXPが発売されたときには2000をそのまま使用したが、その後OSはXPのままなのにオフィスは2003,2007と2度にわたり新製品を出している。マイクロソフトはOSとオフィスを同時にモデルチェンジしてきたから、XPの上で走るオフィスを3回もモデルチェンジしたのも異例中の異例である。現に、2010年には新しいOSのウィンドウズ7とオフィス2010を、2013年には最新のOSであるウィンドウズ8とオフィス2013を、それぞれ同時に発売している。
 ま、それはそれでマイクロソフトの企業戦略だから私がどうのこうのと言うわけではないが、XPがあまりにも長期にわたって使用されてきたため、とくに企業や役所などは膨大なデータやソフトをXP上で管理してきた。そのデータやソフトをそっくりウィンドウズ8に移せれば問題ないのだが、そう簡単に移行できないようだ。やはり企業倫理として、ビジネス上の理由から新しいOSに切り替えてくれとユーザーにお願いするのなら、それなりの良心的処置をとるべきだろう。ウイルスの感染リスクがウィンドウズ8.1に比べて21倍というのも、おかしな話だ。そうやってユーザーを脅してOSをチェンジさせるというのは、マイクロソフトの常とう的手段といわれても仕方あるまい。
 私は技術者ではないので、論理的な主張しかできないが、パソコン技術の専門家たちが「マイクロソフトがXPのサポートを終了するというなら、我々が継続するからアーキテクチュア―を全面的にオープンにしてくれ」とマイクロソフトに申し入れ、マイクロソフトが拒絶したら米商務省に独禁法違反で告発するのはいかがかと思う。
 パソコン市場はスマホの登場によって縮小の一途をたどっている。スマホは言うまでもなくアップルが最初に開発したが(iPad)、グーグルがオープン・アーキテクチュア―のアンドロイドを搭載したスマホが急速に伸びている。マイクロソフトはスマホの利用環境をパソコンに移すためにウィンドウズ8を発売したのだが、スマホに移ったユーザーがパソコンに戻ってくることはなかった。が、OSでアンドロイドを共有したパソコンをメーカーが発売すれば、スマホもパソコンも一気にアンドロイドの世界になる可能性は否定できない。グーグルはスマホ市場で勝利をおさめたら、おそらくそういう戦略に転換することは間違いないと思う。

小保方晴子氏が反撃を開始した②--論文のミスは悪意の所産だったのか?

2014-04-11 14:03:27 | Weblog
 小保方晴子氏が、あくまでSTAP現象の存在を主張するなら、第三者に説得力を持ち得る方法でSTAP現象存在を証明する材料を出すべきだということは昨日のブログで書いた。
 すぐにでもできることは、少なくとも小保方氏は200回以上再現に成功したと主張しているのだから、その証拠となる実験ノート(これまで言われてきた3年間で2冊ではなく、少なくとも4~5冊はあるらしい)と、1000枚に及ぶ証拠写真を山梨大学の若山教授に見てもらえば、それですべて明らかになるはずだ。
 また小保方氏とは別に再現実験に成功した人がいるというのだから、その人の同意を得て成功者の名前や所属研究機関名などを明らかにすべきだろう。多くの人が再現実験に挑戦して失敗し続けているのだから、成功者が一人でもいれば、再現性の困難さはあってもSTAP現象は間違いなく存在したという証拠の一つにはなる。
 小保方氏が、その成功者をプライバシーを理由に公表することをためらった理由が私にはわからない。公表できないとしたら、小保方氏自身が「その人の成功例」を本当に信じているのかが疑わしくなってくる。ひょっとすると「愉快犯」が「私も成功したよ」と小保方氏にウソの成功話を吹き込んだのかもしれない。もしそうした類のいかがわしい「成功話」を真に受けて記者会見の場で話したとしたら、実験のやり方も含めて小保方氏自身の性格のいい加減さを証明することになりかねない。
 少なくとも私が小保方氏の立場だったら、「私が関係していない研究者が再現実験に成功したという話も聞いていますが、実験データも写真も私は見ていないし、論文も出ていませんから、STAP現象の証明には相当しないと思っています」と話していた。それにしても記者会見には300人のジャーナリストが集まったというから、その中から誰一人としてプライバシーを理由に成功者の特定を拒んだ小保方氏に対して「特定できない成功者が何百人いようとSTAP現象の裏付けにはならない」と追及する人がいなかったのは、情けないとしか言いようがない。
 そういうわけでSTAP現象の存否は依然として闇の中のままだが、9日の記者会見はもともとSTAP現象の存否を明らかにすることが目的ではなかった。本来の目的は理研のSTAP細胞論文に対する検証作業が著しく公平さを欠いているという、理研調査委への抗議を明らかにすることが小保方側の記者会見を設定した目的だった。
 そういう意味では小保方氏が記者会見で明らかにしようとした論文そのものに対して理研が最終調査結果報告書に明記した、「STAP論文は改ざんと捏造によって作成された不正行為によるもので、撤回すべきだ」(要旨)という主張
に対する小保方氏の反論はあまり説得力があるとは思われなかった。これは小保方氏の責任というより、会見場での記者たちが論文自体にはあまり関心を示さず、STAP現象の存否にのみ関心が移ってしまったためで、「論文の取り下げ」が何を意味するのかという肝心要の問題がないがしろにされてしまったとしか言いようがない。
 すでに小保方氏は、自分の論文について、いくつかのミスがあったことは認めている。そのミスが理研の主張するように「悪意のある改ざん・捏造」に当たるのか、それとも小保方氏が主張したように「画像の単純な取り違えで、理研の規定に照らしても悪意のあるミスではない」のかという点である。その点については私には何の判断材料もない。ただ、さまざまなテレビや新聞の報道によれば、「ノーベル賞に匹敵するほどの重要な論文で、小保方氏が主張するような単純ミスを起こすとはちょっと考えにくい」とほとんどの科学者が断じていることは極めて重いと思う。
 それと、小保方氏の弁明にもおかしな点がある。このことはだれも指摘していないので、この際私が指摘しておく。
 小保方氏は「単純ミスの原因」を「自分の未熟さの故」と述べている。その一方で、「ミスが見つかった論文なら、いったん取り下げて、改めてノーミスの論文を出し直したらどうかという質問には、「いったんミスを認めて取り下げると国際的に間違いだったということを認めたことになる。ミスはあったけれど結論は間違っていないので取り下げる事は出来ない」と主張した。
 小保方氏が主張するように、『ネイチャー』に掲載された論文は、訂正して再提出することはできないのだろうか。もし事実そうであったとしたら、そうしたことを小保方氏はすでに知っていたことになり、研究者として未熟だったとは言えないだろう。
 また理研は、論文には不正があったとはしたが、STAP現象そのものをハナから否定しているわけではない。だから丹羽氏をリーダーとして検証研究をすることにしている。ただ、その検証研究チームからなぜ小保方氏を外したのかが疑問として残ることはすでに述べた。
 いずれにせよ、まだまだ不可解な点が多すぎて、当分目が離せない。

小保方晴子氏が反撃を開始した①--STAP現象は証明できるのか?

2014-04-10 08:48:52 | Weblog
 小保方晴子氏がようやく記者会見の場に姿を現した。大阪市内のホテルの大会議場である。300人が詰めかけ、会見は小保方氏の体調から短時間で打ち切られるだろうと思っていたが、予定されていた時間は2時間という長時間で、実際には予定時間を30分もオーバーする会見だった。
 ふつうこの類の記者会見は記者クラブが手配し、記者クラブに属したメディアにしか通知されない。週刊誌や夕刊紙、フリーのジャーナリストは特殊なコネを使わないと会場に入ることすらできない。
 が、今回の記者会見は、すべて小保方氏側が仕切ったようだ。さすがに「誰でも」と無制限にはしなかったと思われるが(危険回避のため当然身元確認くらいはしたと思う)、会場にはフリーのジャーナリストや週刊誌の記者、スポーツ紙の記者などが混在し、収拾がつかなくなるのではないかと心配したが、会見は比較的整然と行われた。
 小保方氏は心身ともに体調が万全ではなく、実際ホテルの控室には医者が万一に備えて待機していたというから、姿を見せなかった3か月近くの間、小保方氏が逃げ回っていたということではないようだった。実際、ほとんどの質問(かなり専門的な分野に及ぶ質問)にもよどみなく答えていた小保方氏だが、理研の調査や検証研究の問題に及ぶと口を濁すシーンも少なくなかった。いまでも理研の職員である小保方氏が、公然と理研に反旗を翻すのを避けたのか、それとも理研側から何らかの圧力があったのか――そういう疑念を抱かざるを得ない記者会見ではあった。
 問題は以前から私が指摘してきたように二つあり(※論文の不正問題とSTAP細胞の存否)、リンクさせるべきではないと私は主張してきた。ところが昨日の記者会見では、結果的にリンクしたようなやり取りになってしまった。その責任の一端は小保方氏にあることは疑いを容れない。
 基本的に記者たちの関心はSTAP細胞が本当に存在するのかという一点に絞られていたようだ。だから、その点に対する質問は、私にも理解できない専門的な分野にも及び、そうした専門的な質疑応答に私が口を挟めるほどの知識があるわけではないので、一見よどみなく答えていた小保方氏の説明については専門の研究者の判断に任せるしかないが、小保方氏が「私自身はSTAP現象の再現に200回以上成功しており、(証拠の)写真も1000枚以上ある」と主張したこと、また「自分が関係しない実験で(STAP現象の再現に)成功した人も一人いるが、その人の名前はプライバシーの問題もあって公にできない」と証言したことについては、私自身は多少もやもやしたものを禁じ得ない。
 私は一貫して「RTAP細胞は存在したのではないか。ただし再現実験に成功したという人が現れていない以上、きわめて再現性が低い“突然変異”的現象だったのではないか」と主張してきた。そして突然変異などないと常識的には考えられている物理的現象にも、きわめて再現性が困難で、現象としては突然変異的に見えるケースに私自身が遭遇したことも書いた。
 そういう意味では小保方氏が200回以上も成功していながら、再現に成功した人が依然として出てこない(※小保方氏によれば、名前は公にできないが自分とは別個に再現した人がいるようだが)以上、考えられる一般的ケースは二つしかないと思う。
 ひとつは、小保方氏が万能細胞の一つとされているES細胞を何らかの理由で勘違いして新種の万能細胞と思い込み、STAP細胞と命名し、今でもその思い込みを信じている可能性である。それは小保方氏がSTAP現象が生じたと主張している根拠の1000枚に及ぶ証拠写真の精査を、理研以外の権威ある研究機関に依頼すれば第三者の判定として有効性が高まると思う。それもできれば複数の研究機関(海外も含め)に依頼すれば、信ぴょう性はより高くなる。
 もう一つ気になるのは、小保方氏にとってはいとも簡単に再現できるSTAP現象が、なぜほかの研究者にとっては不可能なのかということだ。小保方氏によれば、「(STAP現象の再現には)ちょっとしたコツとレシピが必要」ということだが、その「コツとレシピ」をなぜ公開しないのかという疑問が残る。
 いま私は白内障の手術を受けており、4月3日に右目を手術して視力は順調に回復しつつあるが、非常に慎重な眼科医で左目の手術は17日の予定になっている。テレビで見たことだが、三井記念病院には日帰りで両眼の手術をする名医がいるという。ただ、この手術はだれにでもできる手術ではなく、芸術家のような手先の器用さが必要らしく、この医者が開発した手術法が一般化するとしたら、この眼科医のテクニックをコンピュータに記憶させてロボットに手術させるようにするしか方法はないと思う(※これは医者ではない私の思い付き)。
 私が白内障の手術を例に出したのは、小保方氏がSTAP現象の再現のために使用したと主張する「コツとレシピ」が極めて特殊なもので、だれにでも使えるものでないとしたら、「コツとレシピ」が小保方氏の頭の中にしかない状態のままでは、STAP現象が実在したとしても人類の未来に光をともす画期的な発明にはなりえない。「コツとレシピが必要」と主張する以上、その中身を公開するのが研究者としての責務ではないか。
 STAP論文についての理研の「改ざん。ねつ造」説については明日書く。

求心力を失ったみんなの党は、どこへ漂流するのか?

2014-04-09 08:41:25 | Weblog
「政治とカネ」の問題は、「カネは妻が管理していた」「金利を付けて返した」ではすむことではない。
 猪瀬直樹前都知事が、そう述べて都知事職を辞任したとき、みんなの党の渡辺前代表はどういっていたのか。
 渡辺前代表は辞任会見で「借り入れは個人的なもので、金利を付けて返した。違法性はない」と強調した。
 しかし、貸した側のDHC吉田会長は「選挙資金として貸した」という認識を変えていない。同時に「金は返してくれたのだから立派だ」と、渡辺氏に抱いていた疑念は払しょくされたとしている。
 だが、渡辺氏が吉田氏から借りた金は、参院選直前の3億円と、衆院選直前の5億円の計8億円に上る。その巨額の資金の使途は、渡辺氏から吉田氏にあてたメールの内容からも、みんなの党から出馬した立候補者の供託金に充てられた可能性が極めて濃厚である。
 渡辺氏が、個人的に吉田氏から8億円を借りて、その金をこれまた個人的にみんなの党の新人立候補者の選挙資金としてばらまいたというなら、その資金の内訳は「政治とカネ」については厳しい姿勢を貫いてきた人だけに、明確にすべきだろう。
 政治資金規正法には抜け道があって、個人対個人間の金銭の移動については収支報告書に記載しなくてもよいことになっている。だが、「政治とカネ」について日頃から厳しい倫理観を誇示していた渡辺氏の場合は、「そういう抜け道があるのだから明らかにする必要はない」などと言えた義理ではないはずだ。
 みんなの党は、今週中にも新代表を選出するという。「代表選には複数の立候補者が出ることが望ましい」という声も党内に出ているようだ。「渡辺商店」と揶揄されるほど渡辺氏の個人色が強い政党だけに、公明正大な選挙によって新代表を選出することで、「渡辺カラー」を少しでも薄めたいという思惑が見て取れる。
 みんなの党から飛び出して結いの党を立ち上げた江田氏は長期にわたり、党内に江田派のグループ形成を図ってきた。江田派グループが党外に出た今、果たして立候補者が複数出たとしても、党の求心力になるような形はつくれそうもない。政治資金もこれからは渡辺氏に頼れない。「カネの切れ目が縁の切れ目」――みんなの党がそうならないという保証はない。

集団的自衛権行使――「限定容認」は論理的に破たんしている② プラス

2014-04-08 09:40:43 | Weblog
 昨日のブログでは「限定容認」論のうち「密接な関係の国から(軍事的支援の)要請があった場合」という限定を付けても、現行憲法下では安倍総理が目指している米艦隊への軍事的支援は無理だということを書いた。今日はもう一つの「限定容認」論の矛盾について書く。
 自民党の高村副総裁は自民党総務会で設置が決定した『安全保障法整備推進本部』の初会合(3月31日)で「新説」を展開した。具体的には砂川事件の最高裁判決を引き合いに出して「わが国は自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうる」と、集団的自衛権行使容認が合憲であると主張したのだ。この「新説」は自民党内部の慎重派に対してある程度説得力を持ったようだが、公明党は「その範囲なら個別的自衛権で十分対応できる」とそっけない。
 砂川判決は、米軍立川基地拡張計画が合憲か否かで争われた裁判であり、「日本の集団的自衛権」についての解釈を判断したものではないが、そのことは置いておくとしても「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうる」とは、公明党が主張するように、明らかに「個別的自衛権」の範疇である。もし砂川判決が「集団的自衛権の行使」を容認した判決と解釈するならば、では個別的自衛権はどのような場合に行使できることになるのか。
 高村「新説」に説得されてしまった自民党の慎重派は「個別的自衛権=集団的自衛権」論に転換してしまったのか。高村副総裁は、砂川判決を引き合いに出し「日本の安全保障に直結する必要最小限の事態にのみ集団的自衛権を行使する」という限定容認論を打ち出したが、では個別的自衛権はどういうケースに行使できる権利なのか。
 砂川判決をもって「集団的自衛権」の裏付けと主張するなら、砂川判決の「自国の平和と安全を維持し、その存在を全うするために必要な自衛の措置をとりうる」権利とは別の「個別的自衛権」についての明確な定義をしてもらわないと、にわかに高村「新説」に同意するわけにはいかない。高村「新説」は個別的自衛権の従来の政府解釈をそっくり集団的自衛権にすり替えただけだ。

 それにしても昨日は様々な分野でビッグニュースが飛び出した。みんなの党の渡辺代表が辞任を発表。日ごろから「政治と金」の問題について「正論」を主張してきた人だけに、もっと早く決断すべきだったと思う。それにしてもみんなの党は「渡辺商店」と言われてきたほど渡辺氏の個人色が強い政党だっただけに、求心力を失った政党が漂流を始めかねない危惧がすでにささやかれだしている。渡辺氏とたもとを分かった結いの党の江田氏らが、渡辺氏抜きの再統合を画策する可能性もある。渡辺氏の資金力で前回の衆院選で当選した新人議員たちは、江田氏から誘われたら動揺するかもしれない。

 理研の記者会見を受けて小保方氏が反撃に出るようだ。理研も「STAP細胞論文の問題」と「STAP細胞の存否」は別、ということを明確にして、STAP細胞の存否についての検証研究を丹羽プロジェクト・リーダーが中心になって行うと発表したが、その検証研究には肝心の小保方氏を参加させないという。それでは「結論ありき」の検証研究にならないか、という疑念を持たれても仕方ないだろう。また、私はブログですでに書いたが、STAP細胞論文には小保方氏以外に13人の研究者が共著者として名を連ねており、そのうち理研の研究者が丹羽氏も含め8人もいる。理研が「改ざん・捏造」と決めつけるほどいかがわしい論文に名を連ねた理研の研究者たちの責任を、理研は問うつもりがないようだ。要するに理研の研究者というのは、全員がいい加減であり、いい加減であることが問題にならないのが理研という研究所だということを意味する。小保方氏は理研にとどまりたいようだが、本当に自分の研究に自信があるのなら、そんな腐った研究所は飛び出して海外にでも研究の場を求めた方がいいのではないか。

 また安倍首相と豪州のアボット首相とのトップ会談で両国の経済連携協定(EPA)交渉で大筋合意に達した。その結果、豪州からの輸入牛肉の関税が段階的に約半減されると同時に、日本からの輸出自動車にかけられていた関税も撤廃されることになる。安倍政権としては、豪州とのEPA交渉妥結を武器にアメリカとのTPP交渉を有利に進めたい意向だろうが、新聞各紙の社説を読んでもそこまでは理解しているようだが、私はさらに先を読んでいる。
 EPA交渉妥結によって、輸入牛肉がビジネスになることがはっきりした。おそらく商社が中心になって、豪州など海外での和牛飼育事業に乗り出すことが必至になったという点だ。和牛だけではなく、いずれコシヒカリやあきたこまちなど日本のブランド米も、生育に適した海外での生産が始まるだろう。日本の優れた和牛飼育技術や米作技術が海外で展開されることになる。日本発の第1次産業の大革命の始まりを期待したい。
 
 

集団的自衛権行使――「限定容認」は論理的に破たんしている①

2014-04-07 09:38:03 | Weblog
 白内障の手術は想像していた以上に厄介だった。友人たちからは「危険性はほとんどない」「新聞の小さな字も眼鏡なしで読めるようになる」と、バラ色の話ばかり聞いていたが、私はもともと強度の近視・乱視に老眼が加わっており、手術後は眼鏡の右側のレンズだけ外した状態で生活している。
 左目は光をメガネのレンズで屈折させて焦点を合わせているが、右目は目の人工水晶体で光を屈折させているから、右目と左目では焦点がずれてしまう。こうやってブログを書いているのも、キータッチは問題ないが、モニターの文字を追うのは大変にきつい。そんなわけでしばらくは、ツィッターに毛が生えた程度の文章しか書けないのでご容赦願う。
 とうとう安倍総理が、憲法解釈の変更による「集団的自衛権の行使容認」の内容を大きく転換させ始めた。従来の政府見解では、集団的自衛権は「自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力(※軍事力のこと)を行使する行為」だった。つまり、日本の「独自判断」(※判断基準はこれまで一切明らかにされていない)で「密接な関係にある国」を軍事的に支援するというのが従来の政府見解であり、憲法9条の縛りがなくてもそんなことは不可能な話なのだ。
 そこで安倍政権が、公明党を説得するためだろうが、「密接な関係にある国から(軍事的支援の)要請があった場合に」という「容認のための」限定条件を付けることにした。これは以前から私が主張してきた「集団的自衛権とは、自国が攻撃を受けた場合、国連加盟国(現実的には同盟関係にある国)に軍事的支援を要請できる権利」であることを意味する。
 そういう解釈に立って日本が軍事的支援を要請されるケースを具体的に考えると、まずありえない。安倍総理はアメリカを想定しているようだが、アメリカが日本に軍事的支援を要請することなど考えられない。
 私は日本の安全をより確実なものにするため、「アメリカ人が日本のために血を流してくれるのなら、日本人もアメリカのために血を流す覚悟がある」ことを日本国民の総意として明確にすべきだと考えてはいる。だが、それは「日本の集団的自衛権の行使」によってではなく、日米安全保障条約を現在の片務的な関係から双務的な関係に改めることによってしか不可能であり、日米安全保障条約をそのように改正するには現行憲法下では不可能だと主張してきた。

小保方晴子氏ら14人共著のSTAP論文は「改ざん・捏造」か? 論文取り下げには全員の同意が必要。

2014-04-02 05:41:57 | Weblog
 理化学研究所がSTAP論文の取り下げを勧告することを最終的に決めた。やむを得ない処置と言えよう。
 ただし、世界的に権威があると認められている英科学誌『ネイチャー』に掲載された論文には小保方晴子氏を含め14人の研究者が名を連ねており、その全員が同意しなければ論文は取り下げることはできない。つまり理化学研究所が決めたのは「論文の取り下げ」ではなく、論文の著者として名を連ねた14人全員に対して「論文取り下げに同意するよう勧告する」ということでしかない。
 理化学研究所が「論文を取り下げるべきだ」とした根拠は、論文に使った画像の使い回しや切り貼りといった不正行為があったと認定したためだ。しかもその不正行為は小保方氏が単独で行ったと断定した。
 理化学研究所は、小保方氏のほかに論文の共著者である3人がSTAP論文にどの程度関与し、どの程度の責任があるかも調査したという。その3人とは、最初に論文取り下げを共著者たちに呼びかけた山梨大学教授の若山照彦氏、理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター副センター長の笹井芳樹氏、理化学研究所プロジェクトリーダーの丹羽仁史氏である。若山氏と笹井氏については「研究不正はなかったが、責任は重大」とし、丹羽氏については「論文作成の途中から参加しており研究不正行為は認められない」とした。
 論文の取り下げそのものについては早い時期から小保方氏も同意していたが、この最終報告を聞いて、STAP論文が問題になって以降、初めて代理人の弁護士を通じて「とても承服できない。近日中に理化学研究所に対して不服申し立てをする」とのコメントを発表した。
 小保方氏の主張は、研究不正とされた2点(早稲田大学の博士論文に使用した画像の使い回しおよび切り貼り)について「研究不正の対象外となる悪意のない間違いであるにもかかわらず、改ざん・捏造と決めつけられたことには承服できない」として、「このままではSTAP細胞の発見自体が捏造であると誤解されかねず、とうてい容認できない」と抗議した。
 STAP細胞発見の研究そのものが不正となると、小保方氏の研究者生活は終わりを告げることになる。少なくとも『ネイチャー』に論文を投稿した時点では、理化学研究所の調査対象になった3人だけでなく、ほかにも10人の国内外の研究者全員が小保方氏の不正研究を見抜けなかったということになる。世界最高権威とされる科学誌に投稿する論文、それも常識的にはありえないとされた発見に、発見者の小保方氏以外に13人もの研究者がいとも簡単に権威づけのために名前を貸したのか、という疑問が生じる。もしそうだとしたら、『ネイチャー』に掲載された論文すべてが疑いの目でみなければならないということになる。しかも小保方氏以外にも『ネイチャー』論文には笹井氏や丹羽氏以外にも理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの研究者6人が共著者とし
て名を連ねている。この6人の研究者は一切STAP細胞研究に関係していなかったというのか。理化学研究所の調査対象にすら入っていなかったということは、そういうことを意味する。
 日本の基礎研究の最高峰の一つとされている理化学研究所では、そうした名前の貸し借りが日常的に行われているとしか考えられない。
 私はSTAP疑惑が取りざたされるようになった時点から、生物界にはしばしば見られる「突然変異」の可能性を示唆している(3月11日投稿の『小保方晴子氏のSTAP細胞作製は捏造だったのか。それとも突然変異だったのか?』)。
 小保方氏の研究に疑惑の目が向けられだしたのは、再現性が証明されていないということだ。実際、若山氏が小保方氏に依頼したラットのSTAP細胞作製の依頼に対して、小保方氏が若山氏に渡した細胞は、別の種類のラットの細胞だったことも判明している。そうしたことも含めて小保方氏はなぜ再現性が証明できないのか、自ら語る責任がある。
 いつまでも姿を現さずに「このままでは、あたかもSTAP細胞の発見自体が捏造であると誤解されかねない」と研究の「正当性」を主張しても説得力に欠けると言わざるを得ない。

南極海における日本の調査捕鯨禁止を命じた国際司法裁判所の判決は承服しがたい。

2014-04-01 08:00:07 | Weblog
 気候の変わり目にはどうしても体調を崩しやすい。 
 私は幸いにして花粉症ではないが、先週あたりから体調の不調を感じるようになった。そのため、先週は一応月から金まで毎日ブログを投稿してはきたが、1回の投稿文字数がそれまでの約半分に減っていたことにお気づきだっただろうか。
 何とか平日のブログ投稿は続けたいので、今日からさらに短くさせていただく。今日のテーマはオランダ・ハーグで行われた国際司法裁判所で、日本の南極海での調査捕鯨禁止の判決が下されたことについて書く。
 いま捕鯨禁止運動の先頭に立っているのはオーストラリアとアメリカである。そして、実は乱獲によってクジラを絶滅の危機に追い込んだのがオーストラリアや欧米諸国だった。
 乱獲の目的は、食用ではなく、ランプ用の油の採取だった。ところが、20世紀の半ばには石油の発掘技術が向上し、鯨油より安価な油が出回るようになった。そうなると、オーストラリア人や欧米人にとってクジラは別の目的の資源になっていった。ホエールウォッチングという名の観光資源である。
 一方日本は元来、動物性たんぱく質を海洋資源に求めてきた。現代のように海洋資源の養殖技術が進歩していなかった時代には、海洋資源の生態系を破壊しないため、独自に様々な工夫をしてきた。
 もともと漁師は「一匹狼」の職業である。彼らが競って海洋資源を獲りあっていたら、日本沿岸からとっくに魚類は絶滅していた。たとえば、大間の一本釣り。網で大量に捕獲してしまうと、マグロはたちまち絶滅の危機に瀕する。そのため漁民が話し合って、乱獲を防ぐために網で捕獲することを自粛(権力によって強制されたわけではない)することにしたのである。
 なかなか制御できない海洋生態系を維持するために、日本人はどれだけ工夫をしてきたか。ランプ用の油をとるために絶滅寸前までクジラを乱獲したオーストラリア人や、バッファローを完全に絶滅させてしまったアメリカ人が、日本の節度ある捕鯨活動にイチャモンを付ける権利はない。
 石油ショックの時、何の対策も打たなかった欧米に対して日本は「省力省エネ」を技術開発の旗印にして、世界に冠たる技術立国に道を切り開いた。欧米諸国が、本当に海洋生態系の維持を目指すのなら、日本人の伝統的手法をもう少し見習ったらどうか。