2013年10月6日 高知城。 高知市丸の内1-2-1。 関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が慶長8年に入城。 享保12年(1727)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失しましたが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建。 「南海道随一」と称された名城で優美な姿を今に残しています。
お城の正門である追手門です。
石樋(いしどい)。 高知県は全国で有数の多雨地帯のようで高知城も排水対策がされていました。
石樋は土佐ならではの独特の設備で他の城郭には見られない珍しいものです。
山内一豊の像。
こちらは山内一豊の妻の像。 結婚時の持参金10両を出して一豊に名馬を買わせ、それが織田信長の目にとまって出世の糸口になったという話は有名です。
天守閣。 安土桃山時代の典型的な様式で独立式望楼型4重6階、千鳥破風や唐破風がついています。
最上階には廻縁高欄つきです。
石落とし。
現存天守閣の12城のうちの一つです。 石垣や天守閣がいい感じです。
天守閣と本丸御殿(懐徳館)の入口に来ました。
三の丸の石垣。 穴太衆(あのうしゅう)が安土城の石垣ではじめたとされる自然石の形を活かした野面済みです。 平成16年~平成21年度にかけて穴太衆の野面積みの技法を現代に伝える石工が携わって改修されました。