ローカル線の旅の話。第五回は三重県の話です。
大晦日が迫り、買い物客で賑わう名古屋から電車と気動車を乗り継いで多気(たき)という駅にやってきた。駅舎も駅前通りも小さいけれど、紀勢(きせい)本線と参宮線が分岐する主要駅だ。駅前の雑貨屋でおやつを買い出しして鈍行に乗り込む。
多気から乗った気動車は国鉄時代からのくたびれた車両で、座席は少し硬めだが座り心地は良い。車内は閑散としていて、先生と中学生くらいの生徒十人ほどの集団がいるのが目立つ程度。その一角だけが明るい。何かの部活の帰りだろうか、会話が和気あいあいといった感じで弾んでいる。
紀勢本線の鈍行は山中に入っていき薄暗い小駅に停まりながら走る。薄暮れに迫ってきた車窓から眺める小駅はどこか寂しげで、冬の張り詰めた風に吹きさらしになっているホームには人の姿もほとんどいない。そんな風景の中を走っていくうちに、ようやく少し町な駅である熊野市に着くと、先生と生徒達が降りていった。木工が盛んなこの町で今夜は泊まろうかとも思ったが、もう少し乗っていたい気もするのと、今夜は港町に泊まってみたいので、その先の尾鷲(おわせ)まで行く事にした。尾鷲は雨の多い事で知られる港町。
すでに薄暗くなり始めた尾鷲に着くと、宿を探す事よりもまずは駅前の一本道を歩いて港に行った。誰もいない海に陽は沈む。
部屋の空いていた駅前の小さく綺麗な鉄筋旅館に荷物を置いて、まずは銭湯に向かった。線路沿いに少し歩いた所に古びた銭湯があった。銭湯で暖まってから帰りは来る途中に目星を付けた居酒屋に入る。小さな町なのであれこれ選べるほど店はないが、なんとなく良さそう予感のする店である。
店内は忘年会の最中だった。カウンターの奥に一人で店を切り盛りしてる女将さんの姿がある。四十代前半くらいな雰囲気の女将さんは「ごめんなさいね。八時半で(忘年会は)終わるからそれでも良ければ」と言う。
私はカウンターに座りテレビを見ながら夕食的な飲み方をした。座敷の忘年会は予定通り終わり店内にはお客さんはいなくなった。
ようやく始まった女将さんとの会話で、町の話などをした。女将さんは穏やかで品のある喋り方で、見た目も含めて失礼ながら田舎の小さな飲み屋に立っているのが勿体ないレベルと思わされる人だった。その女将さんが「実は私、東京にいた事があるの。大学は田町にある大学を出たのよ」と言ってきた。田町の大学と言う事はあの大学の事だろう。私は驚いた。田町の大学を出た人が、どういう経緯でこの港町で小さな飲み屋を一人でやっているのかは、さすがに聞けなかった。
帰り道は夜風が生暖かかった。南国の風だ。
翌朝、更に南な和歌山方面に向かう。海岸線は複雑で険しい地形で、駅が現れる度に深く切れ込んだ入江となり、駅の周りに小さな漁村が存在する。この深く切れ込んだ入江を利用して、大昔は水軍、つまり海賊がこの地に住んでいたのだという。道路などない時代、深い入江は人に見つかりにくい絶好な隠れ家だったのだろう。
今は小さな無人駅ばかりの漁村地帯。そんな景色を古びた気動車は少し哀愁味のある音色の汽笛を奏でて走る。