Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

北の大地から#16

2013-10-06 | 鉄道写真


 それでは、北海道連載最終回は、青函連絡船です。


 最初は、青い連絡船、摩周丸です(写真)。函館港にて保存されます。



 後方の車両甲板に接続する、車両桟橋です(写真)。函館、青森とも2つずつ設けられていましたが、函館港現存は1つのみです。


 摩周丸はブリッジと客室のみ公開され、車両甲板での車両展示はありませんでした。



 続いては、青森港にて保存される黄色い連絡船、八甲田丸です(写真)。



 車両桟橋(写真)。青森港も、同様に現存は1つのみです。



 同船の車両甲板には、車両が多数保存されます。最初は、車掌車ヨ6798です(写真)。



 続いては、スユニ50 509と510が保存されます(写真)。郵便荷物車、50系客車に分類されますが、郵便も荷物も鉄道輸送が行われなくなり、短命に終わりました。



 続いては北海道の特急といえばこれ、キハ82 101です(写真)。



 続いてはDL、DD16 31です(写真)。



 最後は、重い入換用機関車を船内に載せないために、載せる車両と機関車の間に挟む控車、ヒ600形、資料によると番号は834とのことです。


 光源が水銀灯のため、ホワイトバランスが狂っています。皆さんは訪問時には、プリセットホワイトバランスが出来るカメラにすると良いと思います。グレーカード一枚を怠ると、こうなります。



 最後は、昨年まで東京お台場の「船の科学館」に展示され、その後解体された、羊蹄丸です(写真)。赤い連絡船です。



 車両甲板は、青函連絡船当時を再現する風景となっており、車両もありました。1両は、DE10 301です(写真)。ナンバーが、切り抜き文字で、現在も残るDE10とは異なります。



 もう1両は、スハフ44 25です(写真)。旧形一般客車、ボックスシートです。昨夏は、このためだけに東京に行き、記録しました。もう、撮り直しも出来ません。


 北海道は、内地とは異なる車両体系があり、特有の装備等が見られました。保存される車両は永く残り、現役の車両たちは天寿の全うを祈るのみです。


 2週連続で週間順位が載り、今回もまずまずか。また、次のシリーズを、じっくり考えていきたいと思います。さあ、それは、いつのことか?


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#15

2013-10-05 | 鉄道写真


 それでは連載第15夜は、JR北海道苗穂工場保存車を中心にお届けします。3年前、同工場の公開イベントに参加し、撮影しました。


 最初は、SL時代のスーパースター、C62 3号機です(写真)。「スワローエンゼル」2号機と共に急行「ていね」「ニセコ」の運用に就いた同機、引退後小樽で保存されていたものの、JR発足に合わせ動態復活、一時函館本線山線で活躍したものの、現在は再び眠りについています。公開時にはDE10の後押しを受け、工場内を走りました。




 その時の動画です。動輪もロッドも、しっかり動いています。本格復活であればどんなに良いことでしょうか、しかし現状では夢でしょう。



 建屋には、2つの車両の前頭部があります。一つは、キハ82 86です(写真)。絵入りの特急「おおぞら」ヘッドマークを掲出します。



 もう一つは、キハ59 1「アルファ・コンチネンタル・エクスプレス」です(写真)。キハ56改造車、バブル期のリゾートブームを思い出します。



 屋外には、寝台特急「北斗星」減便で余剰となった電源車、カニ24 501です(写真)。



 同じくマニ24 502です(写真)。マニ50改造車、屋根高さを合わせるためのキセがあります。



 日高本線用キハ130の事故代替で新製、しかしキハ130老朽化で置き換え、余剰となったところで、モーターアシスト形ハイブリッド気動車の試験車に改造された、キハ160 1です(写真)。



 草創期の気動車、キハニ5005です(写真)。昭和4年日車製、おでこにあるのは、ラジエーターです。



 続いては、D51 237です(写真)。標準形D51、昭和13年苗穂工場製、生粋の道産子です。


 現在のJR北海道の置かれた立場から考えると、これらの車両が公開される機会はしばらくなさそうです。いつか、心から楽しめる機会があれば良いなあ、と思っています。



 札幌市内の公園には、D51 11が保存されます(写真)。「ナメクジ」、昭和11年川車製です。



 後からですが、711系オリジナル塗色に出会いました(写真、クハ711 214)。北海道初の国鉄電車として、試作車がデビューしてから40年あまり、機会があれば是非記録したいですね。



 最後は、想い出写真集から。781系特急「ライラック」「すずらん」の並ぶ様子です。789系1000番代「スーパーカムイ」登場で引退しましたが、後継はなかなかツキの無い電車ですね。


 道南は素通りが多く、流山温泉の200系新幹線さえ撮っていませんでした。そのため、本連載最終回の次回は、函館への路か。すこし、地域ははみ出している気はしますが、お許しください。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#14

2013-10-04 | 鉄道写真


 それでは、連載第14夜は、札幌市交通局の保存車両たちを見ていきたいと思います。


 札幌市営地下鉄南北線「自衛隊前」駅近くの高架下に、「交通資料館」があり、車両及び資料が展示されています。その車両展示から、最初は木製電車、22です(写真)。クラシカルな二軸単車です。



 続いては、Tc1です(写真)。普通の路面電車に見えますが、増結専用の無動力の電車です。



 次は連接車、A801、A802です(写真)。輸送力増強のため製造されました。



 続いては、D1041です(写真)。普通の路面電車に見えますが、気動車で、ディーゼルエンジンを搭載し非電化区間も走りました。



 次は、321です(写真)。電車で、ボギー車です。



 その次は、601です(写真)。だいたい完成した形態になっています。



 札幌と函館、両市の路面電車の冬の名物は、「ササラ電車」です。写真は木造の古いタイプ、「雪8」です(写真)。ササラを回すチェーンとギアが露出しています。



 その近代的なスタイル、DSB1です(写真)。しかし、基本的な構造は変わりません。



 「プラウ式除雪電車」とされる、雪11です(写真)。左右に各1枚、雪を除ける羽根が付いています。



 札幌市営地下鉄は、ゴムタイヤ式の地下鉄です。日本初であり、何次にもわたる試作車が造られ、試験されました。その試験車、「はるにれ」です(写真)。旅客営業可能かどうかの試作車のようです。



 4次試作車、「すずかけ」です(写真)。旅客スペースはありませんが、2両連接の大型車体の試験車と思われます。



 最後は、札幌市営地下鉄の記念すべき初号車、奥1001、手前1002です(写真)。


 やはり、路面電車といい、地下鉄といい、札幌市らしい車両が残っています。異郷の地岐阜で果てた、あの連接車たちがここに並んでいたら、とは思いますが、もう不可能です。残念でした。


 札幌で、JRといえば、普通はあの場所を思い浮かべるでしょう。次回はその通りです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#13

2013-10-03 | 鉄道写真


 それでは第13夜は、夕張を中心とした運炭列車の保存車を見ていきたいと思います。


 最初は夕張鉄道(廃止)25、元国鉄49694(9600形)です(写真)。長沼町内の公園に保存されますが、状態が悪く、今年訪問した時には補修か解体か、仮囲いがされていました。



 続いては栗山町の公園に保存される、夕鉄21です(写真)。こちらは、そこそこの状態です。



 次は、南大夕張駅跡に保存される、三菱大夕張鉄道(廃止)の保存車です(写真)。先頭はキ1(国鉄キ100形の払い下げ)、オリジナルの客車が続きます。



 客車3両の後は、オリジナル貨車セキ1及び2です(写真)。客車は、今年訪問した時には補修を終え、外観は美しくなっていました。



 夕張市の、「夕張石炭と歴史村」SL館です(写真)。D51を模った、巨大な装飾が特徴です。



 中にはSLが2両あります。1両は、夕鉄14です(写真)。後には、客車、貨車が続きます(客車の中の人形はあまりにリアルで、怖いぐらいでした)。



 もう1両は、三菱大夕張鉄道No.4です(写真)。当時も同館の周辺は寂しく、現在の夕張市の財政状況からも、どうなっているのでしょうか。



 追分町には、石炭の輸送を支えた追分機関区がありました。同機関区の生き残り、D51 320が現在も保存されます(写真)。機関区OBなどで構成された保存会の整備のおかげで現在もピカピカで、ちょっと手を加えれば動きそうです。



 北に移動、万字線(廃止)朝日駅跡には、国鉄制式機最小のSL、B20 1が保存されます(写真)。戦時設計の機関車です。



 少し離れ、三菱美唄鉄道(廃止)東明駅跡には、2号が保存されます(写真)。元国鉄4110形、勾配区間用のE形タンクSLでした。



 更に遠くへ、三井芦別鉄道(廃止)の鉄橋には、DD501が保存されます(写真)。冬期には橋の上から移動させる、とのことです。



 最後は運炭ではありませんが、夕張の「三弦橋」です(写真)。森林鉄道の鉄橋、下2弦、上1弦の三角形のトラス橋で、非常に珍しい形態で貴重な構造物ですが、シューパロダム関連工事で現在周辺には近づけなくなり、完成すれば水没する運命にあります。一部でも移転保存、という予算は無いそうです。残念。


 すると、最後のスパートは、札幌周辺でしょうか。ご期待ください。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#12

2013-10-02 | 鉄道写真


 それでは連載第12夜は、道東から道央への戻り道、十勝方面の車両を見ていきたいと思います。


 最初は根室本線沿い、新得スキー場にも近い場所に、D51 95が保存されます(写真)。「ナメクジ」としては最後の方です。



 続いて、根室本線旧線新内駅跡の、59672(9600形)です(写真)。20系客車3両が続いており、その中には個室・開放合造車のナロネ22もあります。



 続いて、鹿追の8622です(写真)。国鉄から北海道拓殖鉄道に譲渡された、8620形と思われます。



 音更には、3両が。最初はジョルダン車キ704(キ700形)です(写真)。



 2両目は8620形48624です(写真)。解剖図のような姿になっています。後には、車掌車が続きます。



 帯広市内、「とてっぽ通り」には、十勝鉄道No.4、及び木造客車コハ23が保存されます(写真)。



 愛国には、9600形19671が保存されます(写真)。左側、旧「愛国」駅舎は、廃止された広尾線の記念館になっています。



 幸福には、キハ22、右手前238、左奥221、更に奥には排雪モーターカーが保存されます(写真)。旧「幸福」駅舎は解体され、周辺を再開発し公園にする構想がある、とのことです。



 大樹町には、59611(9600形)が保存されます(写真)。



 十勝からはみ出しますが、日高町のキャンプ場には79616が保存されます(写真)。富内線の終点、ここから占冠、金山を目指しましたが、通じることはありませんでした。


 今回は、見たことある写真が多いような気がしますが、全部別のカメラで撮っています。


 次回は、道央に戻ることになりそうです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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北の大地から#11

2013-10-01 | 鉄道写真


 それでは、第11夜は道東、根室、釧路周辺の保存車両たちを見ていきたいと思います。


 1枚目は、別海町西春別駅跡に残る、キハ22 239です(写真)。同駅を走った標津線(廃止)の、主力車両でした。



 隣には、ラッセル車キ276(キ100形)が保存されます(写真)。



 その前には、D51-27が保存されます(写真)。戦災の賠償として旧ソ連に輸出、樺太で使用されたD51です。後に里帰りして、現在同所に保存されます。



 場所は異なりますが、日高地方富内線(廃止)振内には、同様な経歴の機関車、D51-23が保存されます(写真)。形式と製造番号の間の、ハイフンの有無で区別できます。



 同じく別海町ながら、場所が離れた奥行臼には、別海村営軌道(廃止)の車両が保存されます。6t内燃動車と、ミルクゴンドラです(写真)。この横には、転車台の跡も残っています。



 隣には、8t自走客車があります(写真)。正に殖民軌道、ゲージも762ミリの軽便鉄道です。



 鶴居村には、同様に鶴居村営軌道(廃止)車両が残ります。前は、DA120とされる内燃機関車です(写真)。



 後は、39号自走客車とされます(写真)。これも、軽便鉄道規格です。



 釧路市(旧阿寒町)には、雄別鉄道(廃止)で使用された、元国鉄C11 65が、車掌車ヨ8057を従え保存されています(写真)。道の駅の、国道を挟んだ反対側の、キャンプ場の中にあります。



 釧路市街地には、C58 106が保存されます(写真)。釧網本線を中心に使用されました。



 最後は、「釧路製作所」構内に保存される、雄別鉄道(元国鉄)8722です(写真)。



 雄別炭砿に続く雄別鉄道は国鉄(現JR)釧路駅に乗り入れ、地下道の階段は今でも残っています(写真)。正に釧路は石炭の町でしたが、今は太平洋炭鉱のみで、JRで輸送することもありません。


 道東は未調査が多く、ブログになるか心配でしたが、取り敢えずこんな感じです。来年にでも追加取材できれば、と思っています。


 それでは、次回をお楽しみに。

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