それでは、連載第394回目は、先回の続き、伏木のスイッチャーをお届けします。
先回の朱塗りのスイッチャーを、積雪期では無いときに行きました。南側のスイッチャー(写真)。朱色は、錆止めの光明丹で、従来の所属等は見えなくなっています。
明らかに保線用モータ-カーでは無く、スイッチャーです。生き残ったのは運が良いですが、使われないのは残念です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第394回目は、先回の続き、伏木のスイッチャーをお届けします。
先回の朱塗りのスイッチャーを、積雪期では無いときに行きました。南側のスイッチャー(写真)。朱色は、錆止めの光明丹で、従来の所属等は見えなくなっています。
明らかに保線用モータ-カーでは無く、スイッチャーです。生き残ったのは運が良いですが、使われないのは残念です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第393回目は、伏木駅近辺のスイッチャーについてお届けします。
かつては、伏木駅は貨物扱いの駅、港から上がる貨物を扱っていたようですが、現在は近辺も整理され高岡貨物ターミナルに集結、他は貨物駅としては廃止となりました。その跡地に、JR貨物系列の子会社の偉い人が、旧式車が好きらしく、用途廃止となり引退した各地の車両を引き取って、伏木貨物駅跡地に留置していました。その一部、除雪モーターカー等この連載では扱わない約束の保線機械も写っていますが、その中にスイッチャーが、後向きに2両あるのが分かると思います(写真)。塗装は既に錆止めの朱色が塗られ、元の所属、出自は不明となっています。その奥は確か近鉄南大阪線系統の保線モーターカー、一番奥の、黒い貨車はホキ車、バラスト等用と思われます。
なお、この場所に留置されていた車両の一部は、先日紹介した、千葉県の「ポッポの丘」に移設され、終の棲家を見つけているようです。
高岡地区は、ここ10年ほどで鉄道貨物の扱い量、および拠点が減ったらしく、同様の残骸が周辺各地で見られました。なかなか、辛いです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第392回目は、引き続き高山本線速星、252を見ていきたいと思います。
速星から、日産化学工業の工場専用線へと入換を行う、252(写真)。「日立」のメーカープレートも、しっかり写っています。
現在も速星行きの貨物列車は設定があり、日曜以外1日1往復、走ります。しかし、今後も安泰では無いので、機会があれば撮りに行きたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第391回目は、北陸・甲信越方面へと話を進めていきたいと思います。
写真は、富山県、高山本線速星駅で入換に従事する、251です(写真)。高山本線を縦断するよりは、富山から入った方が幹線に近いので、富山からはDE10、そして速星で引き継ぎ、工場へと貨車を導きます。
この頃から動画を撮っていれば良かったのですが、多分無いと思います。悪しからず。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第390回目は、大田区の公園にて保存される、スイッチャーをお届けします。
横に書かれた説明書きによると、国鉄大船工場(後「JR東日本鎌倉総合車輌センター」に合併、その後廃止)にて入換に従事していた、加藤製作所製のスイッチャーで、恐らく牽引車として使用されたものです(写真)。つまり、これも「カトーくん」のようです。
茶色(正確には「ぶどう色2号」)の塗装がクラシックに見え、当時の雰囲気を残しています。運転台も見学出来るようです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第389回目は、先回に引き続きJR東日本東京車両センター(旧称「国鉄大井工場」)からお届けします。
まるで保線用モーターカーのようですが、牽引用のスイッチャーが、こちらも2両並びます(写真)。イベントの撮影会のための車両を並べるのにも、活躍したのでしょう。
先回も書いたとおり、一部の異常なマニアのために、イベントが再開されても撮影会を再開することは無いと思います。いくらデジカメとはいえ、何千枚も駄作を並べるのは馬鹿げています。「一撃必殺」でしょう!
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第388回目は、JR東日本東京車両センター(旧称「国鉄大井工場」)のスイッチャーをお届けします。
大井工場と山手電車区が合併して出来た「東京車両センター」、毎年8月下旬にイベントを開催し、もう多分やらないでしょうが、昔は車両撮影会も行っていました。その、片隅に並ぶスイッチャー2両(写真)。編成を分解し、それをトラバーサまで押し込むのが、仕事です。
特に都市部では環境問題が叫ばれ、大井で台車を抜かれた車体を輸送する重機、「ノントラ」も、ディーゼル機関から電動に置き換えられ、今後これらのスイッチャーも蓄電池式等に置き換えが考えられます。気をつけたいです。
なお、大井のイベントで、撮影会が無くなったのは、一部のマニアが、たかが数両の電気機関車(81の81だったか、確かに注目のカマではありましたが)の為に、異常なまでの長時間撮影を続けたため、そういう人をお断りするために廃止となったようです。確かに、写真は「追い込む」のも重要ですが、たかが電気機関車、正常な人なら2、3枚で十分なはずです。そんな場所で一発で決められず「追い込む」なんて、下手を認めるようで恥ずかしい。即刻止めてください。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第387回目は、千葉県の「ポッポの丘」からお届けします。
いすみ鉄道の国吉からだったでしょうか、徒歩30分ほどの場所に、「ポッポの丘」という施設があります。本業は鶏卵の販売、他関連商品も扱っているようですが、社長が電車が好きらしく、羊蹄丸に展示されたDE10や、プルマン式2段A寝台のオロネ24、他千葉モノレールや北陸鉄道金沢市内線、万葉線、113系各色など多数並び、壮大な施設となっています。駅から30分は歩きますが、鉄ちゃんなら苦労して歩くだけの価値のある場所です。
そんな中の1両に、青いスイッチャー、DBタイプの車両があります(写真)。他の歴史的車両に比べると目立ちませんが、レッキとした保存車両です。今でも営業しているでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第386回目は、西武鉄道D16をお届けします。
西武鉄道横瀬でのイベントで、必ず出てくる、D16(写真)。元は工場専用線のスイッチャーが、余剰で西武鉄道が取得、恐らくセメント貨物列車の入換に使用されたものです。かつては西武鉄道もセメント貨物列車を運転しており、その当時のものです。
横瀬車両基地も、建屋が雪で潰れたり大変でしたが、以降もイベントが開催されていましたが、今はどうでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第385回目は、今回も秩父鉄道のスイッチャーをお届けします。
広瀬川原のイベント時、展示される、2軸のスイッチャー(写真)。先回のと比べて向きも反対ですが、やや小型です。
これもトロッコを牽いたり、乗車体験したりといろいろありますが、最近はイベントも無く、業務のみか。不明です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第384回目は、秩父鉄道広瀬川原で使われるスイッチャーをお届けします。
建屋横の側線に留置される、2軸のスイッチャー(写真)。車番等は不明です。この年はヘッドマークがありますが、年によってはトロッコを牽いたりする姿が見られます。
最近は不明ですが、多分健在でしょう、代わる車両もあまりありませんし。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第383回目は、秩父鉄道D15をお届けします。
最初の撮影は、広瀬川原のイベントでの、庫の中で(写真)。中型のスイッチャーですが、形式名がついています。
別の年の撮影(写真)。普段はSLに使用される転車台に載っています。同基地の一番隅になります。
更に別の年には、また建屋の中で(写真)。なかなか、微妙な位置です。
イベントで走る姿は見られず、動画もなく残念です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第382回目は、足尾銅山博物館の、スイッチャーをお届けします。
足尾の博物館、民営と公営の2つがありますが、そのうちの公営の、規模の小さい方の博物館の、外構に線路が敷かれ、客車を牽くよう「カトーくん」が準備されます(写真)。一周する乗車施設のようです。
当時は他にもトロや、部品の塊と化したスイッチャーが何両も置かれ、この1両の復活に、多くの部品を要したのが分かります。なお、現在もあるかは不明です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第381回目は、日光市のスイッチャーをお届けします。
日光市の商店の横にて展示される、DB形の、赤いスイッチャー(写真)。大型機があるような書き方だったので、期待して行きましたが、あるのはこれだけでした。
当然当時も静態保存でしたが、現在は不明です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第380回目は、陸羽東線岩出山駅前の、スイッチャーをお届けします。
同駅で貨物扱いがあったときに使用されたのか、協三工業製のスイッチャーが、駅前に静態保存されています(写真)。
有人駅時代の施設を活用して、同駅には鉄道記念館があり、現在もやっているかは不明ですが、そちらも注目です。
それでは、次回をお楽しみに。