Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#20

2016-01-31 | 鉄道写真


 それでは、連載第20夜は、平成15年5月、「JR大宮まつり」の様子をお届けします。


 D100を使用した2回目のツアーで、雨が降ってきたことから、非常に神経を使いました。


 最初はカニ24 507です(写真)。カニ24を北海道用に改造したことから、500番代を名乗ります。これは、種車がスカート付きの0番代です。「北斗星」を掲出します。



 その後には、「夢空間」の3両が並びます。24系客車と仕様を合わせ、平成になって新造された客車、「カシオペア」E26系新造のための研究として製造された客車です。


 最初は、オロネ25 901です(写真)。豪華個室A寝台です。



 続いては、「ロビーカー」オハフ25 901です(写真)



 最後は、緩急車のスタイルをとるオシ25 901です(写真)。


 E26系が製造されたことで、これらの車両は所期の目的を達成し、このような形で展示されていました。その後は、まだここでは登載しません。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#19

2016-01-30 | 鉄道写真


 それでは、連載第19夜は、平成15年春の取材からお届けします。


 「デジタル一眼」なるものがあり、それは「プリウス」同様21世紀に間に合った発明でしたが、当時は約50万円、値段だけで断念していました。しかし、「手に届く価格で出た」と聞き、カメラ店で薦められて買った、Nikon D100。値段もF100デビュー当時と同じ程度、則ち今で言えばF6相当の値段な訳で、確かに高い買い物でしたが、カメラ店の推奨は正しく、今でも後悔はありません。


 そのデジ一、D100で撮った、ゴールデンウィーク直前の、京都駅7番線で出発を待つ、「彗星」「あかつき」牽引機、EF66 53(写真)。テスト撮影を除いて、デジタルでの最初の写真です。デジ一専用レンズの無い時代、適切な焦点距離が無く、苦心して撮った一枚です。APS-Cサイズには、18ミリ、あるいはそれより広角が必要です。



 そして、「彗星」は、翌朝南宮崎に到着します(写真)。牽引機はED76 90、JR九州の機関車全機が紫であった時代です。ヘッドマークもしっかり写っています。



 間もなく、留置線に引き上げます(写真)。スハネフ15の、ステンレス帯、切妻のエンドが、「彗星」のテールマークとともに写っています。



 そして、九州で撮影旅行をし、お帰りは、「はやぶさ」。牽引機、ED76 66が、「さくら」「はやぶさ」のヘッドマークを掲示しています(写真、門司にて)。



 関門間の牽引機は、EF81(写真、410号機)。広角が足りず、中途半端な写真となっています。



 そして、下関からの牽引機は、EF66 43です(写真)。この頃には下関駅ホームに柵が設置され、ヘッドマーク側の撮影が不可能となっていました。


 レンズが、APS-Cサイズ、則ちDXフォーマットに対応したものでは無く、結果広角側が全く不足で、中途半端な写真となっています。やはりDXフォーマットでは、常用域でも18ミリより短い焦点距離が必要です。これらの写真は、それを如実に示しています。やはり、専用レンズを使うべきですね。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#18

2016-01-29 | 鉄道写真


 それでは、連載第18夜は、平成14年初夏の、撮影会ツアーからお届けします。


 JRが、国鉄色の車両を使用して、「リバイバル○○」という列車を頻繁に運転していた時期があり、その一つ、上野発盛岡行き「リバイバルやまびこ」に、青森運転所の撮影会をセットしたツアーがあり、参加しました。


 その時の、青森運転所での撮影会から。左から、485系は「いなほ」「ひばり」、583系は「はくつる」を表示します(写真)。583系は、クハネ583-5です。



 続いては、「はつかり」「ひばり」、583系は「ゆうづる」です(写真)。



 583系、反対側のクハネ583-20は、「はくつる」を掲出しています(写真)。


 クハ481 200番代以降は電動愛称表示器で、ボンネットの0番代、100番代は当然手動交換式ですが、クハネ583の愛称表示が手動であることを知らない人がいます。変更時は、貫通ドアから一旦外し、手回しし、確認してから戻す、ということです。現存4両か6両か知りませんが、常識として覚えておきましょう。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#17

2016-01-28 | 鉄道写真


 それでは、連載第17夜は、平成13年冬の上野駅からお届けします。


 同年から走り出した豪華寝台特急、「カシオペア」。JR東日本が新系列客車E26系を新造し、北海道方面の新たな目玉とした列車です。時間も、「トワイライトエクスプレス」の昼12時ではありませんが、昼下がりに出発する、優雅な列車でした。


 同年12月、それを撮影する機会がありました。推進運転される、スロネフE26-1(写真)。最後部展望室の「カシオペアスイート」には、推進運転時の弁装置が内蔵されており、そこで弁操作すると圧力計の指針が変わり、最後部の機関車の機関士がブレーキ操作します。


 なお、その下の愛称表示のLED電光掲示がフルカラーではありませんが、当時まだ青色LEDは一般的では無く、これが当時の最新式でした。だって、15年前ですよ!



 機関車も、当時はEF510では無く、EF81でした(写真、EF81 92)。田端運転所所属のEF81から3機抜擢され、専用塗色を纏い、運用に就きました。隔日運転の列車に3機抜擢は多い感じもしますが、走行距離の関係でそうなったと言われています。


 客車は1編成のみ、カニ24改造の予備電源車カヤE27も用意され、緊急時に備えていました。しかし、その後増備もされず、定期列車にもならず、そのまま今年の北海道新幹線開業を迎えました。そのことを、どう評価すべきでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#16

2016-01-27 | 鉄道写真


 それでは、連載第16夜は、平成13年夏の、一枚物の写真をお届けします。


 平成13年8月の終わりに、私は青森にいました。青森駅で、あまり見ないものを見ました。その写真(写真)。トワイライト色のEF81 103が、寝台特急「日本海」のヘッドマークを装備し、ブルーの客車を牽き停まる姿です。


 冷静に考えれば、「日本海」の牽引機は、「トワイライトエクスプレス」と同じ敦賀のEF81、頻繁ではありませんが、時々このような運用があったようです。たまたまその運用に当たっただけですが、これはラッキーでした。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#15

2016-01-26 | 鉄道写真


 連載3週目に突入した当連載。最終回はまだ決まっていませんが、時系列順に追っていきたいと思います。


 それでは、連載第15夜は、平成13年夏休みの写真をお届けしたいと思います。


 「ムーンライトながら」は、青春18きっぷの時期に、利用者が膨れ上がります。そのため当時は救済臨が運転されていました。当初は神領の165系が使用されましたが、後にJR東海で急行形が全廃となり、113系を使用も不評で、結局JR東日本の波動用車両を使用することとなりました。


 写真は165系、高崎運転所の「モントレー色」165系です(写真、クハ165 89)。この結果、不満は沈静化しました。



 中間は167系等が入ることもありましたが、反対側の先頭は、横軽廃止で本来の目的を失い、当時三鷹電車区に移籍していた169系が充てられていました(写真、クモハ169 26)。なお、同車の車内は、0系発生品の簡易リクライニングシートでした。


 当時残存した急行形電車が総動員で、正に直流急行形電車最後の華でした。



 上野駅には、EF81 139(「青」)が、折り返し推進回送を待っています(写真)。この頃は、まだ上野駅も楽しい場所でした。


 下り救済臨は大垣到着後、大垣電車区で昼寝と思われていますが、実は狭い同区ではなく、何故か尾張一宮駅0番線跡の側線にて昼寝していました。他に近辺で余裕があるのは熱田位しか無く、結果そうなっていたようです。


 「ムーンライトながら」自体臨時となった現在、こんな時代が長く続くと思っていた自分が浅はかでした。きちんと記録を撮るべきであったと反省しますが、失われた時は戻ってきません。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#14

2016-01-25 | 鉄道写真


 それでは、連載第14夜は、大阪発山陰方面、「ムーンライト八重垣」関連をお届けします。


 大阪から米子、松江、出雲市方面へは、それほど急ぐ旅ではありません。平成13年夏、その「急がない旅」の始まりです。


 当時は、「ムーンライト九州」なる長距離夜行快速があり、その使用車両、オハフ15 201が見えています(写真)。ディーゼル発電機の無い緩急車、展望席になっています。



 その反対側の緩急車、スハフ14 203(写真)こちらはディーゼル発電機付き緩急車、塗色以外はオリジナルに近いです。



 その牽引機は、EF65 1133(写真)。「関」、牽くべき客車がまだ多くあった時代です。



 「ムーンライト八重垣」の牽引機は、同じく下関のEF65 1134(写真)。客車はアコモ12系か、14系か記憶にありません。



 そして、未明に岡山で同機は切り離されます(写真)。



 伯備線の牽引機は、電化区間にかかわらずDD51 1179です(写真)。EF64は、JR西日本にはあまり配備がありませんでした。



 そして、米子から牽引機がEF64 9になりました(写真)。JR西日本にはこれ以外1号機しか無く、当時唯一の稼働機でした。こんな重要なカットになるとは、当時思ってもみませんでした。



 米子駅の向こうのホームには、夜行急行「だいせん」、キハ65 1801及び801の2連が停まります(写真)。



 JR貨物の伯備線は、岡山機関区にEF64 1000番代が配備され、運用に就いていました(写真、1046)。後に0番代が一時使用されましたが、現在は1000番代、しかし愛知機関区の所属となっています。



 牽引するは「カーラック」を装備し、行きは自動車、帰りは空きスペースにコンテナが積載可能なコンテナ車、コキ72でした(写真)。名古屋発、米子及び新潟行きに使用されましたが、現在は、どうか。


 今見ると、貴重なカットがいろいろあります。猫跨ぎしたのはどの程度あっただろう、と思うと、後悔します。今日の日常は、明日は貴重なのです。注意しましょう。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#13

2016-01-24 | 鉄道写真


 それでは、連載第13夜は、平成13年初春の、九州関連をお届けします。


 据え付けられても客もおらず、ただ走り去る寝台特急「はやぶさ」を見てしまい、「やはり乗っておこう。」と発起しました。そして往き道は忘れましたが、「はやぶさ」出発前の熊本駅に、立ちました。


 DE10 1638が、「はやぶさ」の24系25形客車を、駅裏にあった熊本運転所から引き出します(写真)。



 そして、末尾のカニ24、おそらく0番代が見えています(写真)。「はやぶさ」のテールマークも見えています。



 オハネフ25の、テールサイン(写真)。今にすれば、懐かしいです。



 そして、据え付けられた客車に、牽引機ED76 70が、連結され、出発時刻を待ちます。


 当時、この列車を撮る人は、殆どいませんでした。いれば、この写真にも記念撮影の子供等が写っているはずです。


 九州新幹線開業前の鹿児島本線は、「つばめ」は1時間ヘッド、博多~熊本間の「有明」はその間に時間2本、つまり20分ヘッドで、「はやぶさ」は、熊本発車から博多到着までに3回電車特急に抜かれました。また、翌朝の「つばめ」と「のぞみ」を乗り継げば、「はやぶさ」より早く東京に着く、ということでもあり、残念ながら運転の意味を失っていたことは認めざるを得ません。つまり、経済性では無い「何か」がなければ、この列車は維持できなかったのでした。



 そして、鳥栖からの牽引機、ED76 65が、門司駅で、客車から切り離されます(写真)。



 関門の守りは、EF81 411(写真、下関にて)。最盛期には4両あったJR九州所属の400番代でしたが、既に4往復となり、JR貨物機による牽引も無くなり、何時行っても410がほとんどでした。411はラッキーです。



 その反対側、スハネフ14の、「さくら」のテールサイン(写真)。「はやぶさ」の24系と、「さくら」の14系の混結でしたが、それぞれ電気系は独立し、ブレーキ関連は車両ごとに個別であったことから、可能でした。


 しかし、14系14形の白帯、24系25形及び14系15形のステンレス帯が混在し、編成美が失われ、いかにも寄せ集め編成になっていたのは否めません。使用車両も20年落ちと相当古い車両で、JR化後に新車投入を決断できるような利用数が無かったことも、遠因でした。



 下関からの牽引機は、EF66 53(写真)。このヘッドマークも、懐かしい。東京まで1,000キロ、道程は平坦ではありません。


 そして、早朝に地元に着きましたが、東京到着は午前10時過ぎ、朝ラッシュは避けましたが、少々寝ぼけた時間にしか着かない、というのもビジネス利用に繋がらない理由でした。


 当時東京発2往復、大阪発2往復あった寝台特急、かつてはプラチナチケットであった寝台券も、この当時既にこのような状況であったのでした。確かに「失われた20年」の出来事と言うべきでしたが、「みずほ」の食堂車営業休止から始まった九州特急の凋落が、正に現実となった瞬間でした。それが、今日の状況に繋がっているのです。


 しかし、そこまで進行しているとは当時は気付きませんでしたが、有料乗車することが重要だと、漠然と感じていました。それが、ささやかな抵抗であったとしても。本当に、ささやかでした。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#12

2016-01-23 | 鉄道写真


 それでは、連載第12夜は、平成12年秋、再び上野駅を見ていきたいと思います。


 最初は、急行「能登」から(写真、クハ489 5)。相方505は、ピンボケというあり得ない写真でした。



 続いては、寝台特急「北陸」です(写真、EF64 1031)。交流電車を牽引し郡山工場に入場させるための、双頭連結器が装備されます。



 続いては、寝台特急「はくつる」です(写真、EF81 139)。青森運転所の機関車です。



 最後は、寝台特急「あけぼの」です(写真、EF81 138)。同じく青森運転所の機関車、当時は上越線も牽引していました(後に上越区間はEF64に変更されました)。


 当時はEF81が貴重とだけ思っていましたが、現在これらの列車は全て廃止されています。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#11

2016-01-22 | 鉄道写真


 それでは、連載第11夜は、平成12年9月、北海道関連の車両を見ていきたいと思います。


 出発は、北斗星。上野駅13番線には、牽引機EF81 95が据え付けられています(写真)。



 同機は、「レインボー」専用機として、側面に大きく形式名が入っています(写真)。同目的のPFは、先日廃車になりました。



 そして、網走にて。キハ183-901(試作編成の1両)が、最後の活躍をしていました(写真)。スカートの形状に注目。



 基本番台一般形先頭車を、機関換装し運用に就く、キハ183 215(写真)。種車は、0番代です。



 そして函館に戻ります。当時青函間の輸送の主力は快速「海峡」、ED79牽引のオハ50系、あるいは50系51形の高速対応車両が使用されました。


 同列車は、末期には「ドラえもん」列車となっていました(写真、ED79 19)。客車も同様に装飾されていました。



 重連運用で、相方はED79 5でした(写真)。こちらは通常のままです。



 同じく、ED79 3です(写真)。



 翌日、再び函館駅へ。キハ40-807が、写真のように塗装されています(写真)。おそらく函館本線の普通の運用に就いていたと思われます。



 隣には、「マウントレークエクスプレス」が停まります(写真)。大沼観光用の列車、キハ84 101他、現在はファイターズラッピングになっている車両です。種車はキハ82です。



 そして、お帰りは「海峡」、ED79 17です(写真)。ED79は、JR貨物の50番台は新製車ですが、他は全てED75 700番台の改造車です。


 北海道新幹線が函館まで開業しようという現在では、とても想像も及ばない世界ですが、当時はこんな感じでした。まあ、良い時代でした。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#10

2016-01-21 | 鉄道写真


 それでは連載第10夜は、平成12年夏の上野駅からお届けします。


 寝台特急「はくつる」廃止は、東北新幹線八戸開業時ですが、それまでは多客期に「はくつる81号」という臨時列車がありました。583系で運転され、定期仕業の無い青森運転所の同系の、数少ない運用の一つでした。


 それに乗りたくて、青森まで普通を乗り継ぎ、乗りました。青森駅での1枚(写真、クハネ583)。隣の701系が、証拠です。



 車内を記録するという知恵も無く、そのまま早朝に上野着(写真)。クハネ583は分かりますが、車番は記録が無く、残念です。



 その相方(写真)。こちらもクハネ583だけで、車番の記録はありません。なお、冬期のすきま風対策で、貫通路は封鎖されています。



 隣のホームには、489系夜行急行「能登」が停まっています(写真、クハ489 5)。当時はいわゆる「白山」色のままでした。



 その相方(写真、クハ589 505)横軽用連結器がそのままです。



 この日のお目当ては、「EL&SLみなかみ」号でした。高崎までは、EF60 19が牽引します(写真)。まだ直流標準色に塗り戻される前でした。


 まだ583系も、時々は運用に就き、幸せな時代でした。後は、きちんと車番を残す、その重要性を感じます。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#9

2016-01-20 | 鉄道写真


 それでは、連載第9夜は、平成12年夏の、信越方面の記録をお届けします。


 名古屋、大阪方面から信州方面へ向かう夜行列車は、急行「ちくま」が有名でしたが、それを補完する夜行列車に、「くろよん」がありました。大阪発、名古屋、松本を経由し大糸線方面、終点は大町か、白馬か、南小谷か、正確な記憶はありません。当時既に多客期の臨時急行で、設定される日数がだんだん減り、結局廃止となりました。


 8月の未明、名古屋駅ホームに据え付けられるクハ381 131他(写真)。所属区は大ヒネ(JR西日本日根野電車区)で、JR西日本の受け持つ列車でした。当時既にJR東海からは臨時「しなの」を除き381系は引退していたため、381系の貴重なカットです。



 その相方、クハ381 133(写真)。主に「くろしお」用に製造された、非貫通先頭車です。



 当時の急行「ちくま」は定期列車、寝台車もある夜行客車急行は既に廃止、特急「ワイドビューしなの」と同じ383系です。登山客で満員となり、6+4の383系最大編成となり運行されていました(写真、松本にて)。ヘッドマークにも注目。


 その後急行「ちくま」は381系になり、臨時化、後に廃止となりますが、その話も、またいずれ。



 中央西線の夜行が「ちくま」なら、中央東線の夜行は「アルプス」。元々は165系の急行でしたが、当時既に特急「あずさ」と共通運用の183系になっており(写真)、「あずさ」「かいじ」がE257系化されてもそのままでしたが、廃止となり久しいです。中央東線の夜行普通も乗っておくべきだった!



 当時の中央西線の機関車の主力は、EF64(写真、EF64 47他)。一部中央東線経由で東京に顔を出す運用もありましたが、既に過去帳入りです。



 そして、普通列車で大糸線を、糸魚川へ。糸魚川駅には、キハ181 48他、「白馬アルプス」が停まります(写真)。大糸線内に留置する場所が無いため、定期列車の合間を縫って糸魚川に回送されたようです。



 その相方は、キハ181 27です(写真)。この車両も、特急「はまかぜ」を最後に見られなくなりました。


 この頃はJR西日本も、冬にはこの区間にも「シュプール」号を運転し、大糸北線の活性化を目指していましたが、後に災害で長期に寸断されたこともあり、今は普通のローカル線となっています。


 夏ということもあり、何れも列車も登山客で満員でした。しかし、何れも列車も現在運転されていません。あまり良いお客さんではなかったのでしょうか。確かに夜行運転の負担は、大きいものですが。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#8

2016-01-19 | 鉄道写真


 それでは、連載第8夜は、平成12年、初夏の北海道の記録をお届けします。


 小樽の総合博物館に行きたくて、スポットで北海道に行きました。そして、その晩、恐らく特急「スーパー北斗」で、函館に向かいました。函館行き最終で、既に遅くなっていました。


 函館駅で、隣のホームには、見慣れない列車が停まります(写真)。列車は快速「ミッドナイト」、函館~札幌間を繋ぐ夜行で、急行「はまなす」を補完し、且つ料金不要な列車でした。車両はキハ27、501号車でした。



 その相方は、キハ27 551です(写真)。冷房装備の1エンジン車、急ぐ列車でも無く、キハ56は入っていませんでした。しかも平窓では無く、パノラミックウインドウでした。


 今ではこの列車はおろか、キハ27自体過去帳入りで、博物館等でしか見られない車両となっています。国鉄形が生き残る、良い時代でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#7

2016-01-18 | 鉄道写真


 それでは、連載第7夜は、九州の列車を見ていきたいと思います。


 平成12年のゴールデンウィークに、寝台特急「富士」に乗り、九州に行きました。途中の記録も重要であったと思いますが失念し、そのまま大分に到着。


 当時大分駅南西方には大分運転所が広がり、望遠が効けば撮ることは可能でした。写真は関門間のブルトレ牽引機、EF81 411(「分」)で、他キハ125等が見えています(写真)。EF81は、「富士」の富士山形ヘッドマークも装備されます。当時、高倍率ズームはあまり一般的では無く、この程度しか効きませんでした。


 なお、現在は大分駅高架化に伴う大分運転所の移転で、この場所は再開発され、跡形ありません。



 そして九州島内では夜行は無いので省略し、帰り道になります。


 熊本駅5番線には、ED76 65牽引「はやぶさ」が、出発を待っています(写真)。


 東京発鹿児島行き寝台特急として運行開始された「はやぶさ」ですが、新幹線のスピードアップ、及び787系「つばめ」の登場で、翌朝新幹線で東京を発った方が早く到達するという状況となり、結果熊本以遠は廃止となり、写真のヘッドマークのとおり「さくら・はやぶさ」の併結となっていました。「はやぶさ」は24系25形、「さくら」は14系14形で、異系列併結列車でした(なお、「富士」は、双方を併結した状態で大分行きとなっていました)。


 しかし、「はやぶさ」は、熊本~博多間で2回電車特急に抜かれ、こちらも既に存在意義を失っていることに、当時は気付きませんでした。つまり、博多~熊本間は、熊本運転所への入出庫のための、回送同様の状態であったのでした。



 その向こう、現在の九州新幹線熊本駅、及び西口広場になっている場所には、当時熊本運転所があり、高速軌道検測車マヤ34 2009が停まっていました(写真)。現在はJR西日本のキヤ141系で行っているでしょうから、貴重な一枚です。


 この手前側には、SL時代からの煉瓦製矩形車庫があり貴重でしたが、九州新幹線関連で取り壊され、現存しません。


 この頃は九州新幹線には思いが及ばず、ましてブルトレ全廃など思いもせず、車両は老朽化しているのに、まだ続くと根拠の無い楽観論を持っていました。そのため猫跨ぎで、悔やまれます。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#6

2016-01-17 | 鉄道写真


 それでは、連載第6夜は、ミレニアムとなった平成12年(2000年)の、1月の写真をお届けします。


 「青春18きっぷ」の時期は、「ムーンライトながら」の利用者が激増し、指定した席に座れない程の混雑でした。そのため、当時はJR東海が救済臨を運転していました。


 この日の車両は海シン(JR東海神領車両区)の165系、クハ165-87他です(写真)。急行形である限りは、誰も文句を言いませんでした。


 後にJR東海で165系が全廃となった後、この列車を113系で運転するという事態が生じましたが、頗る不評で、後にJR東日本の165・167・169系で運転され、最終的には183系で運転されました。


 しかし夜行は運転管理が難しいらしく、373系で運転されていた「ムーンライトながら」は定期運転が廃止され、「青春18きっぷ」の時期の一部に運転される臨時列車となり、車両はJR東日本の183・189系に変わり、現在は185系で運転されます。やはり、走らせたくない列車なのでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする