5回目になった本シリーズ。今回から、100系に話が進みます。
最初の写真は、名古屋の「リニア・鉄道館」に保存展示される、123-1です(写真)。国鉄時代末期に製造された、100系初期の車両(X編成)、その量産初号車X2編成の先頭車です。オールMであった0系に対し、両先頭と中間のダブルデッカー2両の4両がT車となり12M4Tとなりました。番号からも分かるように、Tc車です。
X編成全9本は、分割民営化時にJR東海に移されました。後にJR西日本が購入を熱望しましたが、JR東海は古いX編成ではなく、民営化後に自社で製造したG編成(いわゆる「カフェテリア」編成)の最終9本を譲渡しました。
なお、16両時代の100系の写真は、JR西日本の「グランドひかり」(2階建て4両の編成)も含め、ありません。100系に対する意識の現れでしょうか。
100系で最も古い写真はこれ、平成16年春岡山で撮影した、P8編成です(写真)。小倉以東で4両編成とは、当時の山陽新幹線の状況を何よりも雄弁に物語ります。既に塗色はJR更新色に改められていました。
既に16連の無くなった100系は、山陽区間の「こだま」運用しか無く、地域的に使用する機会は無かったのですが、平成19年7月、錦川鉄道に乗るべく品川発N700系「のぞみ99号」に乗り広島で乗り換え、新岩国まで乗ったときの、K51編成です(写真)。6連、グレーの濃淡に緑のアクセントの帯が特徴でした。JR西日本所属、在来線の「カフェオレ」編成と、同時代の塗色です。なお、新岩国と、錦川鉄道「御庄」駅は、距離数百メートル、乗り換え可能です。
続いては博多駅、P7編成です(写真)。4両であり、オールM編成にするため、「グランドひかり」のMc車は重宝されました。
次は0系終焉時の撮影の際に撮った、K58編成です(写真)。平成20年8月、新大阪での撮影です。
同様の理由で撮影した、K53編成です(写真)。平成20年10月、新大阪での記録です。
新大阪では4連のP編成は見られませんでしたが、これは新大阪駅のATCが4両に対応していないからで、一番東の運用は姫路でした。
0系が無くなり、「こだま」は当分100系で続く、と思っていましたが、九州新幹線関連の車両増備、及び500系の短縮化改造で余剰となり、この春全車引退しました。その記録、先月博多で捉えた、K53編成です(写真)。全車引退を前に、一部編成が旧塗色に戻され、同編成もその一つでした。
同編成の博多総合車両所からの回送、そして出発まで収めた動画です。姉妹ブログにも載せた、拙い画像ですが、どうぞ。
100系は製造コストを下げるためアルミではなく鋼製となり、将来の270キロ走行にも対応していた、とのことでしたが、270キロ走行を実現するためには閉塞区間を大規模に変更する必要があったために、結局その性能を発揮することはありませんでした。
やはり100系はバブル期の車両、時代的に嫌いな形式でしたが、全部無くなってしまったのは、少し惜しい気がします。しかし、もう昔に戻ることは出来ません。
次回は、やはり100系の特徴であるダブルデッカーか。次回にご期待ください。