それでは、連載第49夜は、平成18年GW、九州旅行の続きからです。
熊本から鹿児島、宮崎と周り、たどり着いたのは大分。「富士・はやぶさ」の一方、寝台特急「富士」の、当時の起終点でした。
この日もED76 90「分」が、戦前の東京発下関行き1・2等特急以来の、伝統の富士山形ヘッドマークを装備します(写真)。
寝台特急「富士」の、当時の編成写真(写真)。当時の久大本線、豊肥本線ホームからの眺めで、高架化された現在は、駅裏の大分運転所共々跡形ありません。
「富士」の、テールサイン(写真)。折妻のスハネフ14、白帯です。
当時既に2段化改造は済んでおり、スハネフ15と混用されました。一時、14系15形がステンレス帯なのに14系はペンキの白帯で、入り乱れ編成美が失われていましたが、この頃には14系15形もステンレス帯を外し白ペンキとなり、A個室及びB個室のみステンレス帯が残る姿に統一されつつありました。
このまま「富士」に乗って帰っても良かったのですが、もう少し行きたい。その話については、次回としたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。