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Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Mirage

2011-06-29 | 鉄道写真


  今回は、名鉄犬山線・豊田線が乗り入れる地下鉄鶴舞線に続き、名鉄小牧線が乗り入れる地下鉄上飯田線の話題である。「何だ、また赤じゃないか!」と言う無かれ。名鉄は「スカーレット」、この写真の車輌の帯は「桃色」(地下鉄上飯田線のラインカラー)である。ということは、名鉄以外?と思った方はスジが良い。この写真は、名古屋市交通局7000系、7102始め4連の写真である。駅間1つの地下鉄の車輌ということもあり、2編成しか存在しない(運用は名鉄小牧線を直通する)。



  反対側、7602である(写真)。将来的には6連にする計画なのか、7400形及び7500形は存在しない。



  同時期に整備された、名鉄300系、311Fである。同じステンレスボディながらビートが無く、一歩近代的な外観である。日車ブロック工法で可能となった姿である。



  同じく300系最終編成、318Fである。味鋺の駅構造は対向式ホームであるが、高架駅のため、強い陰が出てしまうのは難点である。



  同駅での7102Fの姿である。


 もう一つの編成、7101Fは、なかなかお目にかかれず、幻のようである。一度カメラを出していない時に遭遇したものの、撮影時間が無かったのは残念であった。しかし仮に苦労して撮っても「京成のような車輌」と言われ、あまり評価されないのは残念なことである。

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相互乗り入れと車輌思想#2

2011-06-28 | 鉄道写真


  地下鉄鶴舞線の延長開業、および6連化による編成減に対応し、新車が投入された。それが名古屋市3050系である。当初9編成、追加で1編成増備され、全58輌の陣容である。写真はその第1編成、3151始め6連である。VVVF制御、この時代の主流であったビート入りステンレスボディで、近代的なスタイルになっている。



  そして最終増備車、3160始め6連である。ここまでは、何の変哲もない編成である。



  しかし、6連10本で58輌なのは、当初の最終編成、3159始め6連があるからである。ただ、両端の3150形、3250形、及び3750形、3850形までは他の編成と同じである。



  他の編成では中間車の3350形及び3450形が連結される位置には、3000系3706と3806が連結されている。そのため60両ではなく58両であり、3000系は92両である。もし3000系を古いと思うのであれば、この2両が真っ先に廃車され編成統一が図られる所であろうが、そうならないのは、やはり付番にも表れているとおり8連化の夢を捨てていないからであろう。



  そのため編成は、やはり凸凹編成になっている。車両限界が異なるわけではないので程度も知れているが、編成美はイマイチである。しかし、地下鉄鶴舞線最注目の編成ではある。貴方は、撮ったことがあるだろうか。


 そうすると、次の回の内容が予想できると思うが、タイトルは改めたいと思う。

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相互乗り入れと車輌思想#1

2011-06-27 | 鉄道写真

  このブログでは、赤い電車の写真が続いている。確かに飽き飽きしそうな色ではあるが、この赤は美しいという人もおり、赤は名古屋の電車の色なので、当面はお付き合い願いたい。

 今回も名鉄ネタではあるが、少し目先を変えて、他の色も入れて投稿したい。それは地下鉄乗り入れ車輌である。地下鉄乗り入れ車輌といっても、当初名鉄はスカーレットを守っていた。写真は、地下鉄鶴舞線乗り入れ、名鉄豊田線・犬山線車輌である、100系初号車111始め6連である。抵抗制御車4連の中間に、VVVF車2連を挿入した編成である。貫通ドア中心部エッチングには、名鉄の旧社紋が残っている。

  116Fからは界磁添加励磁制御に変更(中間2連はVVVF)、続番は117Fではなく211Fである。そして写真の編成、最終増備215Fは、製造当初から6連、全VVVF車で、車内にはLED電光掲示板が装備されている。

  一方、乗り入れ側の名古屋市交通局鶴舞線車輌は、当初3000系であった。コルゲートステンレスボディに、チョッパ制御の車輌である。写真は3101始め6連である。

  同系の最終編成、3123始め6連である。同系も4連で落成、8連化の予定で3100形、3200形、3700形、3800形のみ製造され、中間に4輌挿入の予定であった。しかし6連化時には、チョッパ制御及びコルゲートステンレスボディの車輌が製造される時代では無くなったので、既存編成の一部の組成を崩し中間車として挿入している。

 4×23÷6は、15余り2である。余り2輌は、一体どうなったのか。それが、次回の話題である。

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形態進化の過程

2011-06-08 | 鉄道写真


 名鉄瀬戸線6032Fの廃車で、いよいよ現実のものとなった、名鉄6000系の退役。ここで、6000系の進化の過程を、少し眺めてみたい。


 最初は、6000系トップナンバー、6001Fである。碧南駅南側の旧本線跡に留置される姿である。6000系初期車4連は、三河線ワンマン運転対応改造が施されている。この写真を撮った時は、いよいよ手をつけるのかと、肝を冷やしたものである。



 その翌日も神宮前で名鉄を撮っていると、昨日の6001Fが、常滑線普通運用に入っているではないか!名鉄の運用は、時々分からないことがある。7000系パノラマカー以来の伝統、連続窓が初期車の最大の特徴である。



  6000系初期車4連には、もう一つの特徴がある。それは、「ブルーリボン賞1977」のプレートがついていることである。整備困難となった旧式な「いもむし」や「なまず」等々を置き換えるべく投入された6000系、その電車顔が良かったのか、ブルーリボン賞を受賞した。これからはカルダン駆動でいくのだという、名鉄の強い意思表示であった。



 6000系初期車の続番には、2連も存在する。6009Fから6013Fまでの5編成は、名鉄広見線及び蒲郡線のワンマン区間専用に料金箱設置、LED表示のドア開閉案内などの装備を設置する改造が行われた。しかし、同車も連続窓である。



  そして多数派の中期形である(6037F)。これも4連と2連の双方が存在する。正面デザインは変更されなかったが、側面が連続窓から一段上昇窓に改められた。この中にも三河線ワンマン対応改造車もあり、それらの車輌では窓から出した手でセンサーが作動しないよう、窓の外側に金属の棒が取り付けられている。



 最終期の車輌は2連のみとなり、側面の一段上昇窓は変更無かったものの、正面デザインが大幅に変更され、正面貫通路を放棄したデザインとなった。6500系や6800系の初期車と同様の正面デザインとなり、6800系を6000系の一部と扱う専門書もある位である(注、6800系は界磁添加励磁制御であり、6000系の抵抗制御とは異なる。増して6500系は界磁チョッパ制御であり、全くの別系列である)。6052F、6000系最終編成である。


 京阪なら、車体が勿体ないと制御装置を交換し、もう暫く使うのであろうが、やはり6000系一族は名鉄が苦しい時代に作った車輌であり、同じ110キロ車でも5300系とは走りに大きな違いがある(6000系の快急運用があったら、ぜひそのフルノッチサウンドを録ることをお薦めする)。やはり今後整備したいのは(新)3300系や3150系であり、整備も簡単なVVVFの、余裕のある120キロ車であろう。非省エネの6000系を残したい理由は無くなりつつある。


 確かに6000系は平凡な電車顔ではあるが、整備困難車の維持から技術陣を解放した功績は多大であった。この平凡なブルーリボン賞受賞車を、今後暫く見守っていきたいと思う。

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去りゆく者#6

2011-06-06 | 鉄道写真


 そして吊掛電車は、今年3月、最期の日を迎えた。尾張旭検車区最寄り駅である尾張旭に集合、乗車した。喜多山、尾張瀬戸と通り、尾張旭検車区に入場。記念撮影会となった。本当は地震がなければ記念系統板を入れて運転し、運転後オークションとなる予定であったが、それは取り止められた。



 撮影会の後は再び乗車、喜多山へ行き、尾張瀬戸で営業終了。全員下車し、撮影を行った。そして、間もなく最期の旅立ちとなった。


 その後尾張旭検車区に回送され、所へ陸送されたという。


 検修泣かせであったであろう、吊掛電車。もう、走るどころか見ることさえ出来なくなってしまった。また一つ、歴史が消えた。

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去りゆく者#5

2011-06-02 | 鉄道写真


 そして今年の早春、6750系のお別れ会が開催された。最初に6756Fのお別れ会が行われ、直後に解体のため陸送された。そして本当に最後になったのが、6750系1次車4輌であった。


 この編成のお別れ会の約一週間前に東日本大震災が発生し、その混乱の中、私は瀬戸線に乗車していた。すると、6000系にしては変な、ブツ切れの編成が運用に入っているのを発見した。その列車が喜多山に来る時刻を推定し、携帯を構えると、やはり来た、6750系が!最後の奮闘であった。


 記念運転の準備のため入庫したままかと思っていたが、一般の営業に就いており、しかもその中には急行運用も含まれていた。吊掛のフルノッチサウンドを録っておきたい気はしたが、残念ながら装備をしておらず、帰宅する時間もなく、断念した。


 そして、吊掛電車は最期の日を迎えた。

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去りゆく者#4

2011-06-01 | 鉄道写真


 名鉄瀬戸線でも、もう吊掛は見られない、とガックリしていたある日、尾張旭検車区の側を通ることがあった。すると、諦めていた吊掛が、何と全部並んでいるではないか!残念ながらその場にカメラを持ち合わせていなかったので、一旦帰宅し、カメラを持って再び尾張旭までやって来た。


 洗浄線手前が1次車2連×2(一番手前が6652)、奥が2次車で最後まで残った6756F(手前が6656)である。明らかに私は昂奮していた。暫くの間、私は写真を撮り続けた。すると、職員が両編成の先頭部をモップで洗浄し始めた。「まだまだ走るぞ!」という力強いメッセージとなった。昨年11月のことである。


 そして、遂に吊掛は最終章を迎えた。

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