名鉄瀬戸線6032Fの廃車で、いよいよ現実のものとなった、名鉄6000系の退役。ここで、6000系の進化の過程を、少し眺めてみたい。
最初は、6000系トップナンバー、6001Fである。碧南駅南側の旧本線跡に留置される姿である。6000系初期車4連は、三河線ワンマン運転対応改造が施されている。この写真を撮った時は、いよいよ手をつけるのかと、肝を冷やしたものである。
その翌日も神宮前で名鉄を撮っていると、昨日の6001Fが、常滑線普通運用に入っているではないか!名鉄の運用は、時々分からないことがある。7000系パノラマカー以来の伝統、連続窓が初期車の最大の特徴である。
6000系初期車4連には、もう一つの特徴がある。それは、「ブルーリボン賞1977」のプレートがついていることである。整備困難となった旧式な「いもむし」や「なまず」等々を置き換えるべく投入された6000系、その電車顔が良かったのか、ブルーリボン賞を受賞した。これからはカルダン駆動でいくのだという、名鉄の強い意思表示であった。
6000系初期車の続番には、2連も存在する。6009Fから6013Fまでの5編成は、名鉄広見線及び蒲郡線のワンマン区間専用に料金箱設置、LED表示のドア開閉案内などの装備を設置する改造が行われた。しかし、同車も連続窓である。
そして多数派の中期形である(6037F)。これも4連と2連の双方が存在する。正面デザインは変更されなかったが、側面が連続窓から一段上昇窓に改められた。この中にも三河線ワンマン対応改造車もあり、それらの車輌では窓から出した手でセンサーが作動しないよう、窓の外側に金属の棒が取り付けられている。
最終期の車輌は2連のみとなり、側面の一段上昇窓は変更無かったものの、正面デザインが大幅に変更され、正面貫通路を放棄したデザインとなった。6500系や6800系の初期車と同様の正面デザインとなり、6800系を6000系の一部と扱う専門書もある位である(注、6800系は界磁添加励磁制御であり、6000系の抵抗制御とは異なる。増して6500系は界磁チョッパ制御であり、全くの別系列である)。6052F、6000系最終編成である。
京阪なら、車体が勿体ないと制御装置を交換し、もう暫く使うのであろうが、やはり6000系一族は名鉄が苦しい時代に作った車輌であり、同じ110キロ車でも5300系とは走りに大きな違いがある(6000系の快急運用があったら、ぜひそのフルノッチサウンドを録ることをお薦めする)。やはり今後整備したいのは(新)3300系や3150系であり、整備も簡単なVVVFの、余裕のある120キロ車であろう。非省エネの6000系を残したい理由は無くなりつつある。
確かに6000系は平凡な電車顔ではあるが、整備困難車の維持から技術陣を解放した功績は多大であった。この平凡なブルーリボン賞受賞車を、今後暫く見守っていきたいと思う。