Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Museum#7

2012-09-24 | 鉄道写真

 遂に来てしまいました、中国の「鉄道博物館」。正直投稿を見合わせていましたが、少し状況が変わったと見なし、始めます。

 まず道順は、北京駅から「環行鉄道」行きバスに乗り、終点から歩くこと15分、そこに写真のようなゲートがあります(写真)。胸が高鳴ります。

 更に数分歩くと、奥に体育館状の建物が見えてきます(写真)。これが鉄道博物館の車両展示館で、有料施設です。入場料金は、忘れました。

 まず入口に目立つのは、左「朱徳」号、右「毛沢東」号です(写真)。「朱徳」号は1942年、「毛沢東」号は1941年、いずれも日本製の「天皇」形(ミカド)SLです。

 そのオリジナルであろう解放9 3673(写真)、1940年日本製のミカド形SLです。

 続いてはSL12 890(写真)、1942年日本製のパシフィックですが、これが満鉄のパシの何番目かは判然としません(パシゴか?)。

 次は解放6 3022(写真)、1933年日本製のミカドです。

 これはタンク形、PL3 51(写真)、1935年日本製で、時期的に大陸に出征したC12と形が近い感じです。しかし、ゲージが気になります。

 そして緑の「パシロ」、1939年日本製です(写真)。中国での形式はSL3 152です。

 そして「あじあ」の末尾を飾った、冷暖房完備の「テンイ」、戦後中国では「公務車」とされました(写真)。

 そして再会です、9600形との(写真)。1921年日本製「協調」形(コンソリデーション)、中国ではKD5 373と呼ばれました。

 更にそのメーターゲージ版、KD55 579です(写真)。明らかにこれも9600形です。華南で使用されました。

 終戦でこれらの機関車は、戦利品として中国に接収され、引き続き使用されました。勿論、日本に持ち帰っても使用できないのは明らかでしたが。異郷の地で散った多くの仲間のためにも、此処に残ることを、大切に思ってください。

 次回は中国製、続いてその他の外国製SLを見ていきたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

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The Museum#6

2012-09-20 | 鉄道写真


 それでは、本連載第3シリーズである、中国編を始めたいと思います。こんな波風の立つ時期にどうかとは思いますが、まあ始めてしまいたいと思います。


 最初は大連、かつての満鉄沙河口工場であろう場所に残る、「亜細亜757」、いわゆるパシナをお届けします。


 某航空会社のツアーに申し込んだ所、何と大連空港からは貸し切りツアーとなっしまいました。そこで最初に行ったのが、沙河口でした。そこには、扇形庫の片隅に押し込められた、同機の姿がありました(写真)。



 全景といっても、狭い庫内では、これが限界です(写真)。かつて満州の大地を全速力で駆け抜けた時代の、面影すら残りません。



 動輪、主連棒の様子(写真)。200キロ近い高速走行のため、通常の単純な一本棒の主連棒ではなく、伸縮式で、機械的にピストンの進角の調整が出来たのでしょう。複雑な構造です。軸配置はパシナの名の通りパシフィックで、7番目の形式、よってパシ・ナなのです。



 キャブの様子(写真)。中央の巨大なボイラに、大量の石炭をスコップでくべるのは現実的ではないので、自動給炭装置、すなわちメカニカル・ストーカーが床下に装備されているため、投炭口は小さいです。左側、すなわち機関士側に、赤い加減弁が出ています。



 観光客用に、日本語で解説が書かれます(写真)。川崎重工で落成した完成車3両と現地沙河口工場で組み立てられた9両が走り、特急「あじあ」に使用されました。


 このような状態になっているのは、「満州国」=「日本帝国主義」と教条的に教える中国での教育が原因で、日本の極右同様、極左とでも呼ぶべき人々の標的になってしまうからでしょう。現存はこの缶も含め2両とのことで、広い中国の片隅で、押し込められるように残っています。


 今が、行くべき時とは思いませんが、残っているうちに行かれた方が良いと思います。


 次回以降は北京なのですが、今は時期ではありません。もう少し、領土問題が沈静化してからでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Museum#5

2012-09-04 | 鉄道写真


 先回に続き、鉄道博物館韓国編、後半戦をお届けします。先回は近代的な車両を巡ったので、今回は古典的な車両を見ていきたいと思います。


 最初は、貨物用SL、「ミカ3 161」です(写真)。韓国も満鉄同様に、軸配置の略称に順番をつけています。これはミカド形3形式目の略で、日本形貨物機の代表的な軸配置です。日本のD51等と同じ、しかし標準軌であり、機関車は大型化しています。1940年日本製です。



 続いてはオープン形展望車、16です(写真)。戦前の、釜山桟橋発京城(ソウル)行き、急行「あかつき」の最後を飾る車両で、戦前の鉄道パンフレットにも載るほどの車両でした。



 同車の車内(写真)。ソファーが並び、戦後、韓国大統領専用車であったようです。



 16と並び立つ両雄、密閉形展望車、17です(写真)。後に、アメリカのジョンソン大統領と韓国大統領が会談した車両だそうです。



 これらを牽引していたのであろう急行旅客形SL、「パシ5 23」です(写真)。1942年製、1971年まで使用されました。形式は、満鉄同様「パシフィック5番目」の意です。時期的に、日本のC59に相当か。



 ナローの客車、18011です(写真)。日本の狭軌(1,067ミリ)より狭く、ニブロク(762ミリ)か。



 同じく狭軌用のSL、ハングルは「ヒョキ11 13」となっています(写真)。ニブロクながら、軸配置はミカドのようです。後には2両客車を従えます。



 最後は、スチーム式クレーン車です(写真)。1927年製です。


 展示の車両は、こんな感じか。他ボイラだけの姿で放置されるSLもあり、朝鮮戦争の傷跡は未だ残ります。


 博物館内には、「梅鉢鉄工所」などの、戦前の内地のメーカーズプレートが展示され、戦前は日本の一部であった、ということを強く意識させます。例えば日本車輌は戦前、仁川に車両工場を持っていましたが、終戦により、接収され失いました。


 韓国は日本に対し、羨望もあれば恨みもあり、複雑な感情を見せます。嫌っていても日本製を使い続けた、そんな姿が垣間見えます。今後、フランスから技術導入したKTXを輸出できるようになれば、日本の鉄道車両会社のライバルとなるのでしょう。未だ日本が優勢ですが、今後も維持できるでしょうか。


 韓国編はこの辺で終えたいと思います。次回からは中国編、先ずは沙河口からでしょうか。次回をお楽しみに。

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The Museum#4

2012-09-03 | 鉄道写真


 それでは、鉄道博物館シリーズ、韓国編をお届けします。日韓関係が微妙な時に、こんな連載はいかがなものか、という気はしますが、予告しているので仕方ありません。予定どおり連載を開始します。


 最初はソウル駅、日本統治時代の建物です(写真)。韓国のソウル集中は東京以上で、ソウル駅一駅では列車を捌ききれず、西方行きの列車は龍山駅に分離、それでも多いので、KTX開業時に、ガラス張りの巨大な新駅舎を、この南側に完成させました。



 ソウル郊外に、韓国の鉄道博物館があります。博物館の建物の前には、「鐵道文化殿堂」の石碑が建ちます(写真)。


 この建物中には、鉄道技術に関する展示や模型などが展示されますが、やはりジオラマが注目です。韓国ならではの塗装の模型が走り、日本との違いを感じさせます。



 入口前には、”KTX山川”営業前に出来ていたモックアップ、”KTX-Ⅱ”がありました(写真)。スタイルは、KTXの機関車プッシュプル(動力集中式)ではなく、電車、則ち動力分散式です。車内は、日本の新幹線300系同様のサービスコーナー等、日本の影響を強く受けたものでした。



 続いては、本物の車両を。最初は気動車、672です(写真)。日本のキハ20等と同じスタイルですが、それもそのはず、新潟鐵工所1963年製です。



 続いては、ディーゼル機関車3100形3102です(写真)。米ALCO(American Locomotive COmpanyの略)製です。



 次は通勤電車1001(写真)、1974年製です。どう見ても301系、あるいは103系1000番台ですが、標準軌の交直流両用電車です。



 それに続くは1115、1315です(写真)。1977年製、2002年まで使われた通勤電車です。



 続いては905、暖房車のようです(写真)。1965年製、1987年まで使用されました。



 続いては13101、優等列車用か、緑の特別客車です(写真)。1965年製です。



 次は12061、青い一般客車です(写真)。1962年製です。



 特急電車(恐らく「セマウル号」用)、9904です(写真)。485系というより、キハ183系のスラントノーズに近い形態、塗装も日本の特急電車と似ています。それもそのはず、1976年日立製です。1998年まで使用されました。



 車内は転換クロスシート、一昔前の特急なら許せます(写真)。さながら「パノラマカー」のようです。



 当然ながら、運転台の機器も日立製が多数使用されます(写真)。昭和40~50年代の国鉄電車と大体同じ配置です。しかし、車のようなドアミラーが、日本との仕様の違いか。



 最後は、マルタイ、1974年スイスMATISA社の製造です。1988年まで使用されました。やはり精密機械、永くは使えなかったようです。


 新しい車両は、大体こんな感じでしょうか。そうすると、次回は古い車両の特集となるでしょう。でも、古いって、一体どの位でしょうか?


 それでは、次回をお楽しみに。

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