遂に来てしまいました、中国の「鉄道博物館」。正直投稿を見合わせていましたが、少し状況が変わったと見なし、始めます。
まず道順は、北京駅から「環行鉄道」行きバスに乗り、終点から歩くこと15分、そこに写真のようなゲートがあります(写真)。胸が高鳴ります。
更に数分歩くと、奥に体育館状の建物が見えてきます(写真)。これが鉄道博物館の車両展示館で、有料施設です。入場料金は、忘れました。
まず入口に目立つのは、左「朱徳」号、右「毛沢東」号です(写真)。「朱徳」号は1942年、「毛沢東」号は1941年、いずれも日本製の「天皇」形(ミカド)SLです。
そのオリジナルであろう解放9 3673(写真)、1940年日本製のミカド形SLです。
続いてはSL12 890(写真)、1942年日本製のパシフィックですが、これが満鉄のパシの何番目かは判然としません(パシゴか?)。
次は解放6 3022(写真)、1933年日本製のミカドです。
これはタンク形、PL3 51(写真)、1935年日本製で、時期的に大陸に出征したC12と形が近い感じです。しかし、ゲージが気になります。
そして緑の「パシロ」、1939年日本製です(写真)。中国での形式はSL3 152です。
そして「あじあ」の末尾を飾った、冷暖房完備の「テンイ」、戦後中国では「公務車」とされました(写真)。
そして再会です、9600形との(写真)。1921年日本製「協調」形(コンソリデーション)、中国ではKD5 373と呼ばれました。
更にそのメーターゲージ版、KD55 579です(写真)。明らかにこれも9600形です。華南で使用されました。
終戦でこれらの機関車は、戦利品として中国に接収され、引き続き使用されました。勿論、日本に持ち帰っても使用できないのは明らかでしたが。異郷の地で散った多くの仲間のためにも、此処に残ることを、大切に思ってください。
次回は中国製、続いてその他の外国製SLを見ていきたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。