Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#104

2016-04-27 | 鉄道写真


 それでは、連載第104夜は、根室本線(旧線)途中にあった新内駅(廃止)跡地に保存される車両をお届けします。


 同駅には、SL9600形59672と、20系客車が3両保存されます(写真)。20系客車は、ナハネ20 132、ナロネ21 551、ナロネ22 153です。


 「あさかぜ」専用であった全個室寝台ナロネ20はありませんが、当時を偲ぶことができる車両たちです。



 ナハネ20が入口ですが、客室内は完全に撤去され、イベントスペースになっています。


 続いてはナロネ21、プルマン式(開放式)A寝台、展示スペースですが座席や寝台の撤去は無く、一部は寝台がセットされ、当時が偲ばれます。500番代は北海道対応改造車の番号で、元は51番(日立製)です。20系で一番多いA寝台車です。



 続いて、ナロネ22の車内です(写真)。開放寝台部分、ボックスが減り半分です。



 奥半分(写真)。仕切り扉の向こう、両側が個室になっています。


 ナロネ22は、「あさかぜ」他九州特急用のA寝台車で、プルマン式開放寝台と一人個室「ルーメット」の合造車で、博多行き「あさかぜ」の1本はナロネ20の次位、他の九州特急は基本編成のA寝台に使用されました。落成後の改造で+100され、この番号、つまり0番代日車製では無く、50番代日立製です。



 個室「ルーメット」の昼の姿(写真)。完全に一人用個室です。折りたたみ式のテーブルと洗面台が目を引きます。



 反対の個室は夜の姿、ベッドメークがされた状態になっています(写真)。報道取材の直後だったそうで、これはタナボタでした。


 夜行列車の一般利用者の大半がB寝台、下手すれば座席車であった時代、A寝台で十分な贅沢、増して個室など、外国人旅行者等一部の人達だけの寝台でした。



 個室と開放寝台の間にはドアがあり、そこには「喫煙席」と書かれ、シートが横並びに2+2席あります(写真)。今では考えられないことですが、当時喫煙は大人の常識でした。


 そして、現地を発ちました。


 20系の時代には私は乳幼児、全く記憶がありません。初めて乗った寝台も24系、25形でした。かつては、これだけ夜間移動にも格差があったのだ、と思います。今は寝台列車自体がほぼ絶滅し、残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#103

2016-04-26 | 鉄道写真


 それでは、連載第103夜は、平成22年夏の北海道遠征の様子からお届けします。


 前の週にはスポットで札幌に行きましたが飛行機で帰り、翌週金曜日に自宅発、土曜に青森から函館に渡り、函館から撮影を開始しました。


 そして、美幸線(廃止)の営業時の終点であった仁宇布には、美幸線廃線跡を利用した「トロッコ王国」があり、軌道用原動機付き自転車に乗り、線路を走行しました。


 その駅の傍らには、サハネ581-19が置かれています(写真)。国鉄末期に、何故か北海道に何両ものサハネ581が転属していますが、これは関係者によると、「北斗星」等の車内改造の試作をするために、同じ車体断面で余剰であったサハネ581が使用されたと、雑誌に載っていたのを覚えています。そのうちの1両と思われます。


 そして、遠征ですので、続きはありますが、以降は次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#102

2016-04-25 | 鉄道写真


 それでは、連載第102回は、JR北海道苗穂工場のイベントからお届けします。


 札幌駅から一駅、苗穂駅へ行き、通常は職員用の通路がありますがそこは通行禁止、そのため一旦南側の駅出口を出て、再び歩道橋で線路を渡り北側に出て、工場の門から入るというルートです。勿論バリアフリーでは無く、あの有名な車椅子のファンには、参加自体無理か、タクシーで参加するかしかありません。


 当時はJR北海道の一連の不祥事の発覚前で、陽気な雰囲気でイベントが開催されます。DMB(デュアル・モード・ビーグル、線路も道路も走れる車両)の乗車体験があり、その動画を撮る傍ら、やはり見てしまいました、カニ24 501です(写真)。カニ24 0番代、初期形のスカート付きで落成、後に北海道用耐寒耐雪改造、青函トンネル対応改造を経て現在に至ります。寝台特急「北斗星」3往復に、臨時寝台特急「エルム」1往復あった頃が全盛期でしたが、当時既に「北斗星」は1往復で、電源車側はJR東日本受け持ちに変わり、既に余剰となっていました。



 もう1両は、マニ24-502です(写真)。50系客車の一族マニ50として生を受け、荷物輸送廃止で余剰となり解体を待っていた頃に、「北斗星」の電源車不足から白羽の矢が立ち改造対象となり改造、24系の電源車に編入されました。しかし、「北斗星」減便で余剰となり、当時既にこのようになっていました。24系寝台車との編成美を崩さないよう、屋根上にキセがあるのが分かります。


 翌年こそは釧路と旭川のイベントに行こう!と思っていたところが不祥事発覚で全面自粛、現在に至ります。苗穂は数年前に再開したと聞きますが、他は知りません。心から楽しめる日が来ると良いですね。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#101

2016-04-24 | 鉄道写真


 それでは、連載第101夜は、平成22年の北海道、札幌駅での記録をお届けします。


 JR北海道苗穂工場のイベントに参加したく、新幹線と特急を乗り継ぎ、札幌へ行きます。そして、当日、同日に旭川運転所のイベントがあることも知らずに、最北のイベントと決めつけ、参加の準備を始めます。


 しかし、今回は、その前の駄賃です。DD51 1141及び1138重連の「カシオペア」が、札幌駅に終着します(写真)。ヘッドマークも、専用塗装もバッチリです。



 その、電源車かつロビーカー、カハフE26-1です(写真)。階下にディーゼル発電機、階上及び平屋部はロビーになっています。この日もトラブル無く、下り運用を終えました。



 その、「カシオペア」のロゴ(写真)。北海道新幹線開業後も、これは残ります。



 食堂車、マシE26-1(写真)。これも2階建て、基本スロネフE26-1以外は全車ダブルデッカーです。



 間もなく、「トワイライトエクスプレス」が到着(写真、DD51 1095及び1140)。この客車は、形式記録にならないので、撮影を断念しました。


 そして、札幌から一駅苗穂、そこから徒歩で苗穂工場を目指すのですが、それは長くなるので、次回とします。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#100

2016-04-23 | 鉄道写真


 それでは、何日か飛びながら、遂に連載第100回を迎えました。最終回までもう少しあるので、それまでお付き合い下さい。


 天竜浜名湖鉄道(天浜線)天竜二俣駅近くには、NPO法人が所有し、復元を行っている初代「ブルートレイン」20系客車、ナハネ20 347が保存されます(写真)。一時は窓ガラスが割られたりしていた様子ですが、平成22年夏には写真のような状態まで復元され、美しい姿を見せていました。内装はこの時には確認出来ませんでしたが、3段B寝台とはいえ期待出来るものでしょう。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#99

2016-04-22 | 鉄道写真


 それでは、連載第99夜は、平成22年に、ショッピングセンターで保存されるようになった車両たちを、お届けします。


 埼玉県のとある駅前のショッピングモールに、「夢空間」車両が保存されると聞き、そのショッピングセンターを訪問しました。


 最初は、オシ25 901(写真)。食堂車、しかし形は緩急車のようです。後方展望が楽しめる形になっています。



 同じショッピングモールの別の場所には、オハフ25 901が保存されます(写真)。緩急車ではありませんが、オハフになっています。



 車内の様子(写真)。外観は赤ですが、内装は青系のレザーシートで、バブルな雰囲気が残っています。バブルとは、そういう時代でした。


 翌日は京急の筈ですが、その写真はありません。多分ここで打ち切ったのだと思います。惜しいです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#98

2016-04-21 | 鉄道写真


 それでは、連載第98回(実質は増97回ですが)は、鉄道博物館の展示を見ていきたいと思います。


 鉄道博物館の内覧会に行き、開館後足が向くことはありませんでしたが、大宮まで来ているので、行こうと思い、行った鉄道博物館。歩いても行ける距離でしたが、駐車場を変え入場します。


 最初は、EF58 89です(写真)。大窓ツララ切り付きの人気機パックでしたが、茶色(正式には「ぶどう色2号」)に改められ、博物館の展示になっています。



 かつて大船工場、後の鎌倉車両センターで大切に保管されていたナハネフ22 1です(写真)。「あさかぜ」のテールサインとともに、輝きはそのままです。



 内部には、寝台のセッティングの様子が、人形付きで展示されています(写真)。52センチ幅の3段寝台、中段は人力でセット、幅70センチでセッティングも自動化された14系以降とは異なります。


 今回の連載の関係では、こんな感じでしょうか。


 そして、バブル期のデラックス列車の名残が、埼玉県内のあそこに残るのですが、それが今回の最終目的地です。どうぞご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#97

2016-04-20 | 鉄道写真


 それでは、連載第97夜は、平成22年春の大宮のイベントからお届けします。


 この年の大きな話題は、何といっても「北斗星」「カシオペア」に、新型機関車EF510 500番代が投入されるということ。その初号機501号機「田」が、1号機「富機」と並べられ展示されています(写真)。赤と青、塗色の違いも明らかです。


 JR新世代電機の主力が、EF200、EF500のハイパワーシリーズでは無く、EF210、EF510の省力化シリーズとなったのは、主として経済的な理由です。



 その横には、JR貨物所属機であるEF65 535「高機」が、「惜別」のヘッドマークを掲出し並んでいます(写真)。最後の貨物所属国鉄色65P形、存在自体が貴重でした。引退直前には、退色しない青色塗料で、お色直しまでしました。



 EF510-501の反対側には、「カシオペア」のヘッドマークが掲出されます(写真)。EF510 500番代の初運用は、同機が「カシオペア」を牽くことでした。このイベントの、直後の出来事です。



 常磐線などに用いられた、初期の交直両用機EF80、36号機が、「ゆうづる」のヘッドマークを装備し、展示されます(写真)。初の本格交直両用機関車、走る変電所です。



 JR貨物大宮車両所のスペースには、JR貨物色のEF64 1007が、「あけぼの」を掲出します(写真)。上越・羽越時代に64牽引自体はありましたが、JR貨物更新色ではありません。



 戻り、EF65 535の反対側を見ると、「はやぶさ」が掲出されていました(写真)。昭和40年代を彷彿とさせます。あの頃は黄金期で、多くの写真が残っています。


 そして、関連撮影を終え、会場を後にしました。


 この日には、もう1つ行きたい場所があったので、行きましたが、その話は、次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#96

2016-04-19 | 鉄道写真


 それでは、連載第96夜は、平成22年の小牛田のイベントからお届けします。


 イベントに参加すべく、前日に仙台入り。塩釜駅近辺等、現在線と廃止貨物線の入り乱れた跡地を記録し、震災前の貴重な記録となっています。


 そして、当日。ホームには「リゾートみのり」や「こがね」、会場には「Kenji」や「ふるさと」、EH500も参加する中、本連載関連では、ED75 1015「あけぼの」です(写真)。奥羽線時代、黒磯~福島間でこのような運用があったのでしょうか。以遠はED78かEF71、秋田以遠なら700番代でしょうし。ED75P形に分類されます。



 会場から少し離れた構内には、同じくED75P形、1010号機が停まります(写真)。


 東北筋の主力がED75からEH500に代わってから久しいですが、当時はまだED75も地域間輸送に細々と命脈を保っていました。しかし、震災が追い打ちをかけたのでしょう、ほとんど見られなくなってしまいました。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#95

2016-04-18 | 鉄道写真


 それでは、連載第95夜は、平成22年初春、またしても疋田の大カーブからお届けします。


 485系、とりわけ非パノラマ車の485系が撮りたくて、あまり考えずに行った疋田の大カーブ。どうせ撮るならと、朝早くから撮り始めます。


 最初は、EF81 48牽引の寝台特急「日本海」です(写真)。以前と比べれば上手くなりましたが、まだまだです。



 そして、非パノラマの485系特急「雷鳥」もバッチリ撮り、昼間で待ちます。やって来たのはEF81 113牽引「トワイライトエクスプレス」です(写真)。


 微妙な天気であったことからこれで撮り終え、帰宅しました。


 先日最終回のストーリーを確認しましたが、意外な形で、笑ってしまうかも知れません。お許し下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#94

2016-04-17 | 鉄道写真


 それでは、連載第94夜は、平成22年早春の、再び「ヒガハス」へ行きました。


 このシーズンは、富士山と500系新幹線の構図の写真を撮りたくて、毎週富士市のポイントへ行ったのですが、この日、日曜日はこのポイントへ。それは、日曜日は「カシ」と「トセイ」の両方が走る日だからです。EF510 500番代投入が間もなくで、EF81最後の勇姿が残したかったからです。


 セットして間もなく、専用塗色のEF81 99「田」牽引の「カシオペア」が通過(写真)。これも、見納めとなりました。



 暫く置いてから、EF81 96「田」牽引の、「北斗星」が通過(写真)。「星ガマ」も、間もなく新型と交代です。


 これを撮り、東名を走ると、足柄からは富士山がクッキリ見えます。「しまった!」と慌てて富士へ走らせても間に合わず、残念でした。結局そちらの念願は叶わないまま、500系は東海道を撤退しました。


 それでは、次回をお楽しみに。


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The Sleepers#93

2016-04-16 | 鉄道写真


 それでは、連載第93夜は、平成21年晩秋の尾久のイベントからお届けします。


 新前橋から高崎、新幹線で上野、そして尾久へ。しかし移動の間に天候は回復し、良い感じになってきましたが、フィルターには曇りが出てしまいました。


 最初は、オハネフ25 13、「北斗星」のテールマークを掲出します(写真)。オハネ25 238を従えます。



 隣には、「カシオペア」の予備電源車、カヤ27-501がありました(写真)。昭和55年新潟鐵工所でカニ24 100番代として生を受け、平成2年土崎、及び平成5年大宮で改造、平成12年大宮で「カシオペア」用に再度改造、現在に至ります。



 EF65 1107「田」が、寝台特急「あけぼの」を掲出します(写真)。奥羽線時代には、黒磯までこのような運用もあったのでしょうか。



 「レインボー」塗色のEF65 1118「田」が、寝台特急「あさかぜ」を掲出します(写真)。初の九州特急、後に初代「ブルートレイン」20系客車を最初に使用しましたが、現存しません。実車でも、通常塗色のPFではない、このような運用はありません。



 EF65 1107の反対側は、「富士・はやぶさ」のヘッドマークが装備されます。最後の九州特急「富士・はやぶさ」になった時には、既に牽引機はEF66になっており、代走ではあったのか、どうか。



 DD51 842が、寝台特急「ゆうづる」を掲出します(写真)。常磐線でC62牽引があった位の列車ですから、盛岡以遠でありそうな気もします。



 同機の反対側は、臨時寝台特急「エルム」でした(写真)。北海道内で、DD51が「北斗星」色に改められる前に、国鉄色で走ったと聞きますが、「エルム」との組み合わせは実現したのかは、不知です。


 この後、3件目のハシゴ、「埼玉高速鉄道」のイベントに行きましたが、車両撮影会は終了、原付軌道自転車と無人牽引機の実演だけで、終了間際で残念でした。


 撮影会は、「妄想鉄道」も実現するので、面白いことはあります。現実に走れば、ファン多数で大変なことになるでしょうが、まあ夢のうちで止めておきましょう。


 でも、九州への鉄道は、実質新幹線のみで味気ない、と言っていたら、ここ数日で鉄道旅行どころでは無い状況になってしまい、残念です。早く、復旧して欲しいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#92

2016-04-15 | 鉄道写真


 それでは、連載第92夜は、平成21年晩秋の、高崎車両センター支所(旧称「新前橋電車区」)のイベントからお届けします。


 新前橋の駅ホームからも見える電車区は、平成21年に開設50周年を迎え、それを記念したイベントが開催されました。記念イベントですから次回は無く、他のイベントがあっても外せないイベントでした。


 189系、115系、107系と電車が並び、その横は機関車です。EF64 1001、EF65 501、DD51 895が並びます(写真)。Pトップは寝台特急「富士」の丸いヘッドマークを装備します。



 反対側から見ると、DD51 895は寝台特急「さくら」のヘッドマークを装備します(写真)。Pトップは何も装備しません。


 かつて、長崎本線及び佐世保線が非電化の時代、「さくら」はDD51に牽引されていました。なお、佐世保線の早岐からスイッチバックした部分は、本務機C11、後補機DD51という運転をしていたそうです。


 そして、撮影もそこそこに、高崎から新幹線に乗り上野へ。上野へ行くのは、次のイベントがあるからですが、それは次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#91

2016-04-14 | 鉄道写真


 それでは、連載第91夜は、平成21年秋の、JR九州小倉工場のイベントからお届けします。


 新暦10月14日が鉄道開業の日であることから、この近辺には多くの鉄道イベントが集中します。この日も朝はJR西日本博多総合車両所(福ハカ)のイベントに行き、午後は西小倉からシャトルバスに乗り会場を目指します。鉄道施設でありながら、この地域の鉄道ルートの変遷に伴い近くに駅が無い同工場、バスが無いと少々不便で、自家用車来場者も多かった記憶があります。


 最初は、ED76 92が、「なは・あかつき」のヘッドマークを装備し、停まります(写真)。



 その後は、ステンレス帯のオハネ15-1、白帯のスハネフ14-12が続きます(写真)。これらは、保留車でした。



 会場内には、オハネ25-1202が、「らくがき列車」になっていました(写真)。哀しい最期と見るか、これでも幸せと見るか。


 今回の連載の関連では、こんな感じです。


 九州新幹線全通で、鹿児島での検車は行わなくなったので、現在はJR九州在来線唯一の車両工場です。ここでしか見られないものも多く、貴重な機会でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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The Sleepers#90

2016-04-13 | 鉄道写真


 それでは、連載第90夜(正確には、増89夜ですが)は、平成21年の金沢総合車両所松任本所(旧称「松任工場」)のイベントをお届けします。


 上野から夜行急行「能登」に乗ったのは、松任に行くため。そして、朝一番に間に合いました。


 この連載関連で最初の写真は、クハ489 2「能登」です(写真)。イラストヘッドマークを装備します。



 リフティング実演会場の工場には、整備中と思われるEF81 107「敦」がありました(写真)。増89夜の原因です。



 エントランス横の、本線に続く線路には、EF81 102「敦」が停まります(写真)。架線が無い場所、DLかスイッチャーで移動させたのでしょう。


 この頃は、寝台特急「日本海」減便はありましたが、その後の運命には気もとめず、トワばかり追っていた気がします。反省します。


 それでは、次回をお楽しみに。


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