コモディイイダ駅伝部ブログ

5年連続ニューイヤー駅伝駅伝出場決定

こだま日記vol.142

2011-08-24 00:14:56 | 選手からのメッセージ
第一部『第一次菅平合宿編』後半。

朝練の後は朝食である。山盛りごはん5杯がノルマだ。
練習で内臓が疲弊しきっていて、全く喉を通らなかった。
しかし、先輩は容赦ない。『早く食えよ。』、『食い切らなきゃ終わらなねーよ』と食べてる間言われ続けた。
毎食同じことを言われた。
お腹がいっぱいだと、白米が飲み込めない。水をかけたり、ふりかけをご飯が見えなくなるくらいかけたりして、どうにかして完食した。

身体の休まるヒマはない。食後に、宿舎の掃除をして、洗濯をしたらすぐに午前練習の時間になった。

菅平はスキー場の名所である。
午前練習はスキー場のコースが練習場所になった。ダボスと言われるスキーコースは傾斜がものすごくキツイ。そんなところを走ると、上り坂は目の前に地面がある感覚だった。

そのコースを何周も走った。
男子選手はバラバラと離れ、女子選手は何人も過呼吸に陥った。
先生の怒号が響く。全員ができるまで、練習は繰り返された。
『やり直し!』ドスのきいたこの言葉を何度も聞いた。永遠にも感じる時間が終わったころには精根尽き果てていた。

合宿は3部練習であるが、午後練習は完全にサボっていた。もう時効(?)なのでカミングアウトする。

何人かのグループでジョグを行うのが練習であるが、みんな先生の目につかない所まで行き休んでいた。
練習が終わるころには水道で体や練習着を濡らして、走ったように装った。

後ろめたい気持ちはなかった。それほど朝練と午前練習がキツかったのだ。
サボっていたことはバレなかった。
もしかしたら、先生は知っていたのかもしれないが何も言われることはなかった。

ご飯をたらふく食べて、1日は終わった。次の日に備えて、19時半に寝るものもいた。

こんな日を5日間繰り返した。
キツイ練習ばかりではなかった。スーパー銭湯に行ったり(片道15kmを走って)、最終日の午前練習を決めるビンゴ大会もした(2kmコース0周から10周をビンゴで決定)。

そんな息抜き(??)もあったためか、脱走する者はいなかった。

帰りのバスの中は、充実感でいっぱいだった。みんな変にテンションが高くて気持ち悪かった。

最寄り駅には、母親が車で迎えにきてくれた。

『太った?』

5日ぶりに息子を見ての第一声がこれだった。体調を気遣う言葉ではなかった。さすがに5日間食い過ぎたか…。

ショックを受けた僕は家に帰って、母が揚げてくれたフライドポテトを腹がはちきれそうになるほど食べたのだった。

福島合宿編へ続く。
コメント (1)
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