とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

もの作りの原点への回帰へ

2011-04-17 23:27:30 | 日記
もの作りの原点への回帰へ



 NHKの今日のある番組を見ていて、目からウロコの体験をすることができた。
 もともともの作りという仕事は生活を便利に豊かにしようという考えから出発した。だからもの作りの精神の根本には生活に貢献するという精神があった。しかし、製造過程を細部にわたって分業したり、外地生産したりしているうちにもの作り自体が目的になってしまった。そして、それをいかに沢山販売するかということにだけ戦略を練ってきた。しかし被災者に喜んでもらう商品を開発したらたちどころにヒットしたという。大震災を契機にもの作りは生活に「貢献」するという原点に回帰しつつあるというのである。
 その例として缶詰のパンを挙げていた。阪神淡路大震災のときに救援物資としてパンをたくさん現地に送った。ところが、すぐに届かないし、届いてもすぐに消費されない商品が賞味期限切れになって沢山捨てられた。そこでその会社は缶詰のパンを開発した。ふかふかのパンがいつでも食べられるというので今度は大好評だったそうである。今は各自治体での備蓄食品として採用されているそうだ。NASAでも採用され宇宙食にもなったそうである。勿論一般の消費者にも喜ばれているという。
 たかがパン、されどパンである。
 もの作りで生活に「貢献」する。もの作りを通してお客さんに喜んで貰う。そのこと自体がメーカーの究極の目的である。金を儲けることだけを目的にすればその商品はいずれ見放される。
 なるほど、これだ、これだ。私は有頂天になった。度重なる大震災はもの作りの原点を事業者に教えたのである。
 もう一つ。組み立て式のお風呂を作った会社があった。しかし、その製品を現地に届けるには多額の費用がかかる。そこで、メーカーと現地を繋ぐ運送システムを構築している団体に頼んだところすぐに現地に届いたそうである。作る方も「貢献」、運ぶ方も「貢献」ということを目的にしていた。ここから大きな事業が展開していったのである。
 私の家もいろいろなもの作りの商売をかつて祖母や両親が行っていた。ウドンやソウメンを作っていたこともある。だからその話が実によく分かったのである。


 缶詰パンを作った会社のHP
 

気にかかること

2011-04-17 00:07:04 | 日記
気にかかること



 気にかかること、と言えばありすぎるほどあります。震災での行方不明者、原発関連の事項、被災地の復旧・復興の見通し、何より電力、水道等のライフラインの復旧等たくさんあります。
 そういう中、この度の震災で私が特に気にかかったことがあります。いや、特にというとすべて特になのですが、個人的に特に気にかかること、気にかかったことです。(私は今まで極力各種の報道番組、報道の記事に注目していました。)
 昨日、と言うと15日です、私の7歳の孫(女の子)が高熱を出して元気がなくなりました。母親が医者に連れて行くと、風邪だということで、薬を貰ってきました。そして、ぐったりして寝込んでしまいました。
 私は孫の寝顔を見ていて、ふと、ある被災地の女の子を思い出しました。そこの地域は私がテレビで見ていたときはまだ医療関係者が訪れていませんでした。
 その少女は孫と同い年くらいで、高熱を出し、マスクをしていたものの咳き込んでいました。側にはお祖母さんらしいお方が付き添っていました。タオルを額に当てて冷やすことくらいしか出来ないような様子でした。時間的には夕方のようでした。
 両親はどうしているのか? 私は咄嗟に思いました。ニュースの解説者は、その子の母親は行方が分からない夫を探しに朝方出かけてまだ帰ってこないとか。
 「あの子はその後どうなったのだろう。それから父親は、・・・」
 そういう不安が急に私の心の中で湧き上がってきました。
 「肺炎になってはいないだろうか」
 そんなことも考えました。
 そして、それに引き換え、私の孫は幸せだと思いました。医者に診てもらい、両親、祖父母に囲まれて炬燵で寝ている。運命とはこういう大きな「差」を瞬時に生じさせる。
 私は、暫く、言葉もなく孫の熱でほてった顔を見つめていました。
 それからもう一つ思い出したことがありました。
 津波が押し寄せてくるまで防災無線で避難を呼びかけていて、とうとう犠牲になった若い女性。
 自分の命と引き換えに多数の命を救った素晴らしい女性。
 その女性のことは永遠に語り継がれることと思います。
 こんな悲劇を二度と起してはいけません。