とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

消えていく・・・

2011-12-01 22:45:56 | 日記
消えていく・・・



 せめて写真だけは明るく。玄関のクリスマス・カクタスです。




 私は月に一度新聞配達をしている。昔、両親が生きているとき、我が家はある中央紙の販売店をしていたことがある。母は半日かけて毎日配達していた。このことは以前にも書いたが、今私が配達しているのは新聞は新聞でも退職者の会の機関紙である。十軒くらいの配達なので車で回って十数分ですむ。
 数日前、私は一番自宅から遠いNさんのところへその新聞を車に乗せて向かった。そしてNさんのところに着いたとき私ははっと重大なことを思い出したのである。あっ、そうだ、Nさんは亡くなられたんだ!!
 そうだった。ほんの数日前、亡くなられたことを知った。私は自分の記憶力が次第にあやしくなっていくことを寂しく思った。いや、そのことよりも人の死という重大なことを失念する自分の人間としての・・・、いや、難しいことは言うまい、とにかく私の頭は徐々に、しかも確実におかしくなりつつあることを思って戸口で立ちすくんでしまったのである。そして、極端に落ち込んでしまった。そして、つい最近まで元気な姿を見せていた人が突然居なくなる、消えてしまうことの恐ろしさを感じた。
 私の元の家族は8人いた。しかし、今はその内の二人しか残っていない。祖父、叔父、父、祖母、母、弟。こういう順番で死んで消えていった。残っているのは妹と私である。親戚の家族もそうである。次々と姿を消していく。友達も一人また一人と消えていく。私もいずれ近いうちに・・・、と考えると無性に寂しくなる。
 私の内部崩壊も徐々に静かに進行しつつある。よく目に見えるのは髪の毛と歯である。そして視力、足腰もおかしくなってきた。内臓も自信がない。先日、日野原重明氏が「生き上手は死に上手」と仰った。その言葉を思い出しながら、自分は果たして「生き上手」なのかと思ってみる。いや、いや、「上手」とは決して言えない。ということは死に下手ということ。私はもがいて死に行くのであろうか。せめて生きているうちにし残したことは少しでも多くしておきたい。話がとても暗くなったが、私は死の準備をする年齢に到達していることを改めてしみじみと感じたのである。


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