女性絵描き
女性の絵描きは現代にはたくさんいるが、次の絵の作者が修業していた時代は稀だったようだ。私はこの画家の生涯と画風を初めて知って衝撃を受けた。
アルテミジア・ジェンティレスキ(1593年 - 1652年 17世紀イタリア、カラヴァッジオ派の女性画家)
「絵画の女神としての自画像」1630年代作(王室コレクション、ウィンザー)
彼女の前半生はありのまま書くにしのびないほど過酷で熾烈である。
父は絵描きだった。娘に望みを託した父はある男性の画家をつけて個人指導をさせる。ところがこの画家に何度も陵辱されたのである。たまりかねて教会に訴えるが信じて貰えず却って過酷な仕打ちをうけ、その加害者は無罪放免となる。
悲しみに打ちひしがれていたが、結婚を契機に次第に本来の力量を発揮していく。そしてフィレンツェに移り住み、そこでメディチ家の援助を受け、すばらしい絵画の世界を築いていく。
1616年、女性で初めて正式なアカデミーの会員となった。後にナポリに移り、そこで過去の代償とも言えるまことに平穏な日々を送ったという。 彼女は肖像画家として知られていたが、歴史絵画、宗教絵画が評判になり、並外れた女性画家としての名を残した。上の絵から画業に打ち込む並々ならぬ気魄を感じ、私はもう何も言えなくなった。
繭篭りの家の彼女もこの画家のことは知っているに違いない。
女性の絵描きは現代にはたくさんいるが、次の絵の作者が修業していた時代は稀だったようだ。私はこの画家の生涯と画風を初めて知って衝撃を受けた。
アルテミジア・ジェンティレスキ(1593年 - 1652年 17世紀イタリア、カラヴァッジオ派の女性画家)
「絵画の女神としての自画像」1630年代作(王室コレクション、ウィンザー)
彼女の前半生はありのまま書くにしのびないほど過酷で熾烈である。
父は絵描きだった。娘に望みを託した父はある男性の画家をつけて個人指導をさせる。ところがこの画家に何度も陵辱されたのである。たまりかねて教会に訴えるが信じて貰えず却って過酷な仕打ちをうけ、その加害者は無罪放免となる。
悲しみに打ちひしがれていたが、結婚を契機に次第に本来の力量を発揮していく。そしてフィレンツェに移り住み、そこでメディチ家の援助を受け、すばらしい絵画の世界を築いていく。
1616年、女性で初めて正式なアカデミーの会員となった。後にナポリに移り、そこで過去の代償とも言えるまことに平穏な日々を送ったという。 彼女は肖像画家として知られていたが、歴史絵画、宗教絵画が評判になり、並外れた女性画家としての名を残した。上の絵から画業に打ち込む並々ならぬ気魄を感じ、私はもう何も言えなくなった。
繭篭りの家の彼女もこの画家のことは知っているに違いない。