とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

実態が見えない世の中

2010-11-03 22:25:14 | 日記
実態が見えない世の中



 最近の国内外の出来事を見ていると、その底にどういう思惑があって、どういう方向に動こうとしているのかさっぱり分からない。
 報道されている内容がすべて真実ではない。真実は常に奥にある。これは私がいつも思っていることである。だから、情報過剰のように見えて、実は情報過疎の立場に立たされているのである。私を含めたほとんどの人々はどのように時流を判断していいか分からなくなっているのである。
 日米関係、日中関係、日露関係等々の諸問題にしても、国内の諸問題にしても、本当のことは報道されていない気がする。ある一つの出来事の関するテレビ、新聞、ウエブ等のメディアを比較して検討しても微妙に食い違っているのである。
 例えば駐露大使を一時帰国させたことについても、そんなことをしても始まらないということを書いているのもあれば、そんなに刺激しなくてもいいとも書いている。中には素人のような対応であると批判している。かと思えば、当然だ、もっと突っ込んで大使を召還してもいいのではとも書いているのもある。
 いや、いろいろあってもいい。それをとやかく言う権限は私にはない。しかし、大使はロシアに関しては素人でなにが分かるかとか、メドヴェージェフは国内に活躍ぶりを宣伝してもプーチンにいずれ大統領選で潰されてしまう、ということまで書いているお方もいる事実はどう解釈していいのか。素人の私はさっぱり分からなくなる。混乱させるだけのような気がする。
 例えばある山があったとしよう。その山を東からいつも眺めている人たちにはその山は東の姿しか見せない。西からばかり眺めている人にも西の姿しか見せない。
 東からはなだらかに見えても、案外西の姿は急峻でものすごい姿を見せているかもしれない。四囲からいつも観ている人はこの世にいないかもしれない。だから、その山の実態は知られていないのと同じである。
 四囲からある事象を観て、真実に近い報道をすることは可能だろろうか。不可能なような気がする。だから私たちは、報道されていることは山の一つの姿に過ぎないという認識を常にもっていなくてはいけないと思うのである。
 
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。