とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

シナリオ

2011-12-16 23:12:16 | 日記
シナリオ




カルロ・ドルチ(1616年 - 1686年)作 「受胎告知 聖母」(ルーヴル美術館)

  
 長柄さんとの電話のやりとりである。今日また、今度は家からかけた。妻のいないときに。

 あなたはこの前絵の中に重要な手がかりが秘められているといいましたね。それから、受胎告知とか教えてくれましたね。

 ああ、そうです。

 私は、彼女に一度だけ会っています。・・・で、そのとき彼女の表情に寂しげな影を直感しました。何かある。苦悩している。そんな気持ちが私に焼きつきました。

 ・・・。

 それで、私はあれこれ考えていました。そこへあなたの電話があり、私はわが意を得たりとばかり徹底して調べ、想像されることをまとめました。・・・変な好奇心からではなくて、いや、好奇心は少しばかりありましたが、ほとんどは何か解決の糸口はないかという思いにとり憑かれていました。

 ・・・。

 それで、私は、あのー、何と言っていいか・・・、そのー、彼女が結婚を拒んでいた理由の一つに、どう言いますか、男性コンプレックスのようなものがあったのではと・・・。それと、どうしても母親との人間関係のことを考えるんですね、それらが家を出ることと何らかの関係があるのではと・・・。

 ・・・。

 聞いてますか、長柄さん。

 ああ、しっかり聞いています。ただ、私はあなたの言葉を聴いていて、何だか別の気持ちが湧き上がってきました。

 何でしょうか。

 作り過ぎです。

 何のことでしをょうか。

 ストーリイをあれこれ作りすぎるのじゃないかと・・・。

 ・・・。

 作ったシナリオにある女の運命を乗せようとしていらっしゃるという感じ・・・。いや、ごめんなさい。

 
 話をもとに返しますが、あなたは初めそっとしておいた方がいいとか言いましたね。

 ええ、確かに。

 どうしていろいろと情報を教えてくれたんですか。

 あなたを、・・・どう言いますか、はっきり言いますと試そうと思ったのです。

 試す・・・。

 そうです。

 試してどうするんですか。

 私は、人様の大切な財産を任せるに値するかどうか、試したのです。

 で、結論はどうですか。

 いや、安心しました。・・・貴方は私の最初の印象の通りのお方でした。

 愚直で単純な男ということですか。

 いや、卑下なさらなくてもいいです。

 今時貴方みたいなお方は珍しいです。

 そう言われると、褒められているのか、けなされているのか分かりませんね。

 いや、素直な褒め言葉です。

 貴方とはこれから旨くやっていけそうです。

 そうですか、ありがとうございます。・・・でも、少しも解決していませんね、あの家族のこと。

 そうです。これからがスタートですね。

 で、絵のことはご破算ですか。

 いやいや、大事にしていきましょう。

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洋画の世界

2011-12-14 23:11:25 | 日記
洋画の世界





 グイド・レーニ(1575年~1642年)の「受胎告知の天使」(Landesmuseum, Oldenburg)

 私は今日天気がよかったので久しぶりに繭篭りの家に出かけ、草取りをした。草取りといってもあまり伸びていなかったし、枯れ草が多かったので時間がかからなかった。そして、洋風の窓がある例の部屋に座って、西洋画が好きだったというこの家の娘さんのことを考えた。

 ああ、長柄さん、どうも、今あの家から電話しています、・・・。私はその部屋からケイタイで電話した。急に確かめたいと思ったからである。

 ・・・ええ、それで、この前の話ですけどね。長柄さん、どうして急にあんな話をしたのですか。

 あっ、そうですか、それで・・・。ごめんなさい、急に、・・・。気にされたんですか。と長柄さん。

 そりゃ、気になりますよ。あれからいろいろ調べました。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 その部屋にいますけど、絵とどう繋がっているのか分かりませんが、・・・。

 いえね、彼女、その部屋に美術全集たくさん置いて読んでました。

 そうですか。その本も全部持って行ったんですか。
  
 いえね、とにかくたくさん積んであったので全部持って行くのは諦めたようで、たくさん処分を頼まれました。その時、好きな画家の話をしてました。

 えっ! ということは彼女幅広く研究していたということですね。

 そうだったみたいですね。

 すると、ですね。彼女たち家族が家を出ることとどういう関係があるのですか。・・・もしかして彼女は実の子どもでなかったとか、・・・。

 いや、そんなことはありません。実の子どもです。

 ああ、そうですか。・・・あのー、立ち入ったことを聞きますが、お母さんとの関係は旨くいっていたんですか。

 いやー、そんなことは私は分かりません。・・・何にも変な噂などなかったですね。

 そうですか。じゃ、お父さんとはどうですか。

 いやー、それもよく分かりません。

 そうですか。ケイタイを持ちながら私は困り果ててしまった。切ってしまおうと思った。すると、長柄さんが気配を察したのか、思わぬことを言った。

 彼女、家にきたとき変なことをときどき言ってました。

 どんなことですか。

 えーと、なんだっけ、・・・ジュタイなんとか・・・。

 受胎告知ですか。

 ああ、そうです。

 ・・・。

 私はまた奇妙な世界、というか、暗くて奥深い世界にさまよい出たような気分になった。

 
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母子像・・・

2011-12-12 23:08:17 | 日記
母子像・・・



       


 
 ジョージ・エルガー・ヒックスというイギリスの画家の絵を調べるとは言ってもなかなか数多くは集められない。困ったことである。
 しかも、彼女が好んだのは母子像だけではない。すべてである。アカデミズムの作品の幅は広くとても絞りこめない。また絞り込むことが当たっているか全く分からない。しかし、私の直感では母子像に一番ひかれたような気がするのである。絵の独特の雰囲気、完成度。申し分ない気がする。だから私はいつの間にか母子像を追い求めるようになった。
 聖母マリアの母子像。これから始まって様々な様式の母子像が挙げられる。その中でもジョヴァンニ・セガンティーニ(1858年 - 1899年)の「生命の天使」(上の画像)は有名である。上の構図で3作くらい描いている。子どもが目を瞑っているものも瞑っていないものもある。幼いときに母を亡くしている。
 彼女はこの絵も見ていたのだろうか。それは分からない。ただヒックスの絵のとろけるような母子の幸せそうな雰囲気とは違い、寂しそうな絵柄である。葉を落とした大木は何を物語っているのか。単なる添え物ではないと思われる。母親の心象風景の象徴であろうか。または苦難に満ちた周囲の状況の象徴であろうか。はたまた母子の将来の暗示であろうか。とまれこの母子は幸せそうな感じとは言えない。
 彼女はヒックスの甘美な母性の愛を自分に引き比べて肯定的に見ていたのか、その逆として見ていたのか。憧れの対象としてみていたのか。
 そうだ!! 彼女の母は実の母ではないのかも知れない!! 私の思念はときに暴走することがある。私は何かを嗅ぎ出したような気持ちになって一人で身震いした。

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ジョージ・エルガー・ヒックス

2011-12-09 22:54:35 | 日記
ジョージ・エルガー・ヒックス



 かの「繭篭り」の家の管理人の長柄さんから先日電話があった。

 
 大事なことを忘れていました。

 な、なんですか。私は一大事でも起こったかと思って体が硬直した。

 いや、他でもない、例の娘さんのことなんですけどね。

 えっ、どんなことですか。

 絵のことなんです。

 絵のこと?

 そうです。

 絵がどうしたんですか。

 貴方も絵が大好きと聞いてましたが、・・・。

 そうです。大好きです。

 彼女も大好きなんです。

 で、それがどうしたんですか?

 ヒックス、正確には、ジョージ・エルガー・ヒックス。そういう外国の画家をご存知ですか?

 いや、私は日本の画家でないとあまり、・・・。

 そうですか。実は彼女は西洋画が大好きでした。洋風の窓の部屋があったでしょう。あれも彼女の好みで死んだ爺さんが作ったと聞いています。

 西洋画、ジョージ・エルガー・ヒックス・・・ですか。あんまり知りませんが。

 ぜひ調べてみてください。

 それが、何と関係があるのですか?

 もしかして、重大な事実が隠されているかもしれません。いや、これは私一人の思いすぎかも知れませんが。そう言って長柄さんは電話を切った。

 私は何だか訳のわからないまま、そのヒックスという画家の作品を調べてみたのである。

 

 ジョージ・エルガー・ヒックス(1824~1914)ハンプシャー生まれのイギリス画家。1843年サスアカデミー、44年からロイヤルアカデミーに学ぶ。59年ロイヤルアカデミーに展示。70年~80年代に歴史や文学のシーン、風俗などを題材に多作。こんなことしか分からなかった。


(探した作品で私が注目したもの)


+RESPECT: Roma people in the history of painting -- A journey across cultures and style.


 すごい技量を持った画家には違いない。(この映像の中でもヒックスの少女像が出て来る)私はこの画家と彼女とどういう接点があるのか皆目分からなかった。この数日この絵のことばかり考えている。

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明治天皇と森永ミルクキャラメル

2011-12-04 21:39:05 | 日記
明治天皇と森永ミルクキャラメル



 男子バレーの試合の一部始終を見ていてはがゆく思ったことが多々あった。体格の差、瞬発力の差、これは致し方ない面もある。一番残念だったのは、ここだ!!というときにミスをすることと攻撃のパターンを相手に先読みされてしまうことだった。それにしてもエース・アタッカー清水選手を中心に世界の強豪にぎりぎりまで食い下がっていった。負けていても最後まで食いついていった。この底力は将来に希望を繋ぐ要因となった。その感激が大きな力を日本に与えたことと思う。男子バレーの選手たちに初めに心から感謝したいと思う。お疲れ様でした。
 
 さて、この度の本題。 
 明治天皇は森永のミルクキャラメルが好きだったそうだ(?)
 イエスと答えたいが、そう旨くいく訳ではない。この二つの事柄を繋げる画家を紹介したいのである。それは、八木彩霞。洋画家である。愛媛県松山市出身。本名は八木熊次郎という。
 愛媛師範学校を明治43年卒業 。愛媛県内の小学校に大正5年まで勤務し、神奈川県横浜市元街小学校に転勤。そして、大正7年に「森永ミルクキャラメル」の箱のデザインを作成した。その箱は現在もそのままで歴史的なロングランとなった。



 大正11年には明治天皇のご尊像を油彩で作成するという名誉この上ないご下 命があった。1面は宮内省にもう1面は明治神宮に奉納し宝物殿で現在も保存されているという。
 大正14年まで横浜市元街小学校に勤務。同年退職しパリへ留学した。そしてソルボンヌ大学文学部とグランショミール美術学校に通い日本人会の会員となる。画友であったかの藤田嗣冶の紹介で当時モンマルトルの丘に住んでいた印象派・後期印象派のアトリエに通い研究を続けた。
 昭和2年帰国。以後教育界・画壇にて活躍した。1925年に再びパリに渡り、サロンコンクールで入賞。しかし惜しくも友人藤田嗣治の死を知ってからは絵筆を折ったという。
 明治天皇と森永のミルクキャラメルが偉大な彩霞という画家によって結びつく。私はこういう事実を絵に強い関心を持つ日々から知りえたのである。私はこれからも色々な史実を絵から学ぶことになると思う。絵は明快に歴史を物語る。絵は「どこでもドア」である。


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