心が浮き立つ曲を・・・。エレキ・ギターのザ・ベンチャーズ。「テケテケ・・・」。懐かしいですね。Aの父が初めて中古のステレオを買ったのはこの曲が流行っていたころでした。シングル盤のレコードで「ブルージーン・・・」とともに盤が擦り切れるほど何度も聴きました。
パイプ・ライン Pipeline'65 【Resize-HQ】 The Ventures
ベンチャーズ (The Ventures)は1959年結成の、アメリカ合衆国のインストゥルメンタル・バンド。特に日本に於いてはビートルズと並び、後の日本の音楽界の全般の影響を与えたバンドとされている。2008年にはロックの殿堂入りを果たした。
ベンチャーズが日本で人気が出たのは2回目の来日(1965年1月、アストロノウツなどとのパッケージツアー)で、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った日本公演からであった。彼らは専用ギターである、モズライトのギターを真空管アンプにプラグ・インすることで生まれるラウドなサウンドで、たちまち日本の若者たちをとりこにし、日本に於いて一大エレキ・ブームサーフ・ミュージック・ブームを巻き起こした。
アンプのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせて、トレモロ・ピッキングを行う「トレモロ・グリスダウン」奏法(日本では一般的に「テケテケ」と呼ばれる。しかし開祖はキング・オブ・サーフ・ギターと謳われるディック・デイルであり、ベンチャーズが編み出したわけではない)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた芦原すなお原作の『青春デンデケデケデケ』)、「10番街の殺人」、「ウォーク・ドント・ラン’64」、「キャラバン」など、数々のヒット曲を生み出した。彼らが本国米国で一番人気があったのは60年代までで、日本では長く人気を保ち来日回数は50回を超え、いわゆるビッグ・イン・ジャパンの代表例とされている。
1966年に加山雄三の「君といつまでも」のカバーを日本で発売してヒットしたことをきっかけに、1960年代中盤から1970年代前半にかけて日本を意識した曲を作るようになり、日本の作詞家が歌詞を付けて発売したことで、歌謡曲の作曲家としても注目されるようになる。越路吹雪のために書いた銀座の夜景をイメージした「GINZA LIGHTS」が「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)としてリリースされたのを皮切りに、「北国の青い空」(奥村チヨ)、ジェリー・マギーが関った「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれた。「アメリカ人にこんな日本的な曲を書けるのか」と当時の日本の音楽評論家たちを唸らせたが、これには当時メンバーを離れたノーキーに代わって参加したジェリー・マギーの幅広い音楽性が作用しているとも言われている。特に「京都の恋」は、(1970年)第12回日本レコード大賞企画賞を受賞している。(Wikiより)
パイプ・ライン Pipeline'65 【Resize-HQ】 The Ventures
ベンチャーズ (The Ventures)は1959年結成の、アメリカ合衆国のインストゥルメンタル・バンド。特に日本に於いてはビートルズと並び、後の日本の音楽界の全般の影響を与えたバンドとされている。2008年にはロックの殿堂入りを果たした。
ベンチャーズが日本で人気が出たのは2回目の来日(1965年1月、アストロノウツなどとのパッケージツアー)で、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った日本公演からであった。彼らは専用ギターである、モズライトのギターを真空管アンプにプラグ・インすることで生まれるラウドなサウンドで、たちまち日本の若者たちをとりこにし、日本に於いて一大エレキ・ブームサーフ・ミュージック・ブームを巻き起こした。
アンプのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせて、トレモロ・ピッキングを行う「トレモロ・グリスダウン」奏法(日本では一般的に「テケテケ」と呼ばれる。しかし開祖はキング・オブ・サーフ・ギターと謳われるディック・デイルであり、ベンチャーズが編み出したわけではない)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた芦原すなお原作の『青春デンデケデケデケ』)、「10番街の殺人」、「ウォーク・ドント・ラン’64」、「キャラバン」など、数々のヒット曲を生み出した。彼らが本国米国で一番人気があったのは60年代までで、日本では長く人気を保ち来日回数は50回を超え、いわゆるビッグ・イン・ジャパンの代表例とされている。
1966年に加山雄三の「君といつまでも」のカバーを日本で発売してヒットしたことをきっかけに、1960年代中盤から1970年代前半にかけて日本を意識した曲を作るようになり、日本の作詞家が歌詞を付けて発売したことで、歌謡曲の作曲家としても注目されるようになる。越路吹雪のために書いた銀座の夜景をイメージした「GINZA LIGHTS」が「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)としてリリースされたのを皮切りに、「北国の青い空」(奥村チヨ)、ジェリー・マギーが関った「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれた。「アメリカ人にこんな日本的な曲を書けるのか」と当時の日本の音楽評論家たちを唸らせたが、これには当時メンバーを離れたノーキーに代わって参加したジェリー・マギーの幅広い音楽性が作用しているとも言われている。特に「京都の恋」は、(1970年)第12回日本レコード大賞企画賞を受賞している。(Wikiより)